また春の星座が、めぐってきた。
クラナッハ…に。
塚本邦雄さんの歌に揺さぶられてか、さまざまにヴィジョンが動く。
クラナッハの視線を「死魚」としたけれど、葛原妙子のほうがいい。
現代歌人文庫の、一葉。曖昧な、ジョコンダふうの微笑。唇をきちっと結んで。
視線が、かすかな斜(はす)かい。こちらを揶揄しているようにも、冷たく測っているようにも見える。
美貌ではないけれど……重量のある貌。
クラナッハもまた、こんな表情の持ち主だったのかもしれない。
放心していると……わたしのあたまのなかは、歌と詩ばかり。
午前中、丘陵地帯へ。
あかるい春が雑木林の残る住宅地にひらける。
丘のなだりに、無人の家。そのむこうは断崖(きりぎし)。
横須賀線が視界はるかを真横に走ってゆく。
吹き抜ける風が暖かさをすぎて、暑く。
瓦葺の平屋。
まるで平安物語の葎の家のよう。梅の古木、桜の大樹、木蓮、連翹。
鬱蒼と繁りあい、からみあう枝がわずらわしいばかりに。
風のゆくえを追って梅が散る。
万葉集のなかで、あまり目立たないのかもしれないけれど、もしかしたら一番好きな歌を思い出す。
風に散る花橘を袖に受けて君が御跡(みあと)と偲びつるかも
こんな静かな愛のかたちもある。
『塚本邦雄歌集』が手元に届く。国文社から出版されたもの。
この方への近寄りは、じつは歌からではなく、きれぎれに読み込んでいた批評からが出発。
その達意で無駄のない、的確、さらに唯美な文体と、卓越した批評眼に魅かれた。
自分と価値観の違うひとに対しても、筋の通った明晰な鑑賞をされる。
そうして、自分自身にも、鋭い省察を怠らない。
ひとけのないお庭の桜、ひとかかえしても余りある太い幹、樹齢はどのぐらいだろう。
染井吉野の幹はバロックにゆがみながら空へ這い登る。
銀色の枝さきに、爛漫と花あふれるときがくる。
老桜の誘う幻想かぎりない……。
桜月、3月の異名。
湘南では今日明日の暖かさで、開花が進むかも。
咲いたら夜明けの桜を、観にいこう。しんとして、誰もいない。
お花と対話ができるから。