プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★悪しき平等主義(番外編)

2021-08-26 07:40:34 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、個人主義・自由主義者なので、他人の主義を非難しないように努めているが、若者が、無分別な行動をとり、高齢者が委縮する風潮が気に入らない。

 連日、一般医療が崩壊しつつある現実を報道されると、自分が終末期を迎える時、どうなるのかと、不安に感じる年齢域に入った。

 私が、いま恐れているのは、コロナではなく、記憶が残らなくなる「認知症」。人生のすべてが、記憶から消え去った時、人間にとって一番大切なものとは、何なのかと自問自答してみる。

 自分のことが、自分で分からないことほど、辛いことはない。これも、認知症でないから考え及ぶことであって、万が一、そうなったら、いったい、、。

 若者には、コロナ終息後に見果てぬ夢を追い続ける可能性が残っており、老人の方が、刹那を楽しんで良いのだと、開き直ろうとする自分の心理状態が怖い。

★悪しき平等主義(後編)

2021-08-25 08:16:55 | 日記・エッセイ・コラム
 菅総理が、規制を強化する覚悟なら、呑気にパラリンピックを観戦している議員を叱り飛ばして、国会を開催して対策を議論する姿勢を示すべきだ。

 仮に、国会開催が難しいとしても、ワクチン接種済みの人から、普通の生活に戻すルール作りは、現行法制化でも、十分、可能だ。

 さて、オーストラリアのロックダウンは、外出制限による失業や労働時間が減った人を対象に、1人当たり、週に最大750ドル(約5万9000円)を支給する。その代わり、違反者からは、罰金を徴収する。

 それ以上に、数度のロックダウンを経験し、国民自身が、問題の深刻さを肌で感じている。

 日本の場合、事業者が要請に応じないと、店名公表や罰金をとるが、違反した利用者からとらないのは、不公平で、正直者がバカを見ている。

 日本特有の「みんなで渡れば怖くない」や「ご一緒主義」のような悪平等主義と決別すべき時だ。

★悪しき平等主義(前編)

2021-08-24 08:40:15 | 日記・エッセイ・コラム
 菅総理は、諸外国のロックダウンが感染対策の決め手となっていないとし、「ワクチン接種を進めること」が感染収束に寄与すると強調する。

 欧米諸国のやり方が万能ではないし、ワクチンも万能ではないことは、オーストラリアのモリソン首相が、方針変更を決断したことからも窺える。

 ワクチン接種率は、日本と変わらないが、「目標を達成したあとは利益よりも弊害のほうが大きい」と述べ、ワクチンの接種率が一定水準(70~80%)に達したら、制限を緩和する考えを明らかにした。

 日本でも、全国民にワクチンが行き渡るまで待っていたら、いつになるか分からない。

 日豪政府の違いは、トップのメッセージが具体的で、国民に安心感を与える点にある気がする。

★秋波(番外編):投票行動

2021-08-23 08:25:49 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日の横浜市長選について、メディアは、小此木候補の敗因を菅総理の不人気と報じるが、私は違った見方をしている。

 無党派層が、積極的に投票所に足を運んだのは、「新型コロナ対策とIR構想」を重視したからだ。

 無党派層の多くを占める若者たちは、政策中心で判断し、投票行動に移す傾向が強い。それは、菅内閣の支持率が、最も高い世代が29歳以下で、60歳代と70歳以上は、最も低いことを見ても分かる。

 菅総理が推進している「携帯電話料金の引き下げ」や「雇用環境の改善」等の政策が、若年層の生活環境に影響するからに他ならない。

 一方、投票率では、平成29年10月の衆院選で、初投票の10歳代は40.49%だが、20歳代が33.85%で、60歳代72.04%の半分に満たない。また、令和元年7月の参院選では、更に差が開いたが、傾向は同じだった。

 「支持率と投票率のアンマッチ」現象は、何を物語るのか?秋の衆院選で、この国の将来を託される若年層の問題意識が、投票行動にどう反映されるのかを注目したい。

★秋波(後編):都知事国政復帰?

2021-08-22 08:22:55 | 日記・エッセイ・コラム
 世の中には、知らないことが実に多い。また、知らなくても良いことも多い。しかし、受け手側の都合と関係なく、無遠慮に送られてくる情報には辟易する。

 メディアの高度化に伴う宿命とはいえ、小池都知事が国政に復帰し、更には、自民党総裁を目論むとの憶測記事などは、その最たるものだ。

 記事の根拠は、都知事が、日本新党から国政デビューした時に、同党が作成したパンフレットを、最近、周囲に配っていることにあるらしい。

 政治家が、本音を表立って口にできない場合、「政府高官や政府首脳、党幹部」等の表現を用いることがよくある。人物を特定できず、マスコミにとっても好都合だが、周囲への影響が大きいので、慎むべきだ。

 「火のないところに煙は立たない」というが、「オリ・パラ終了後は、フリーハンド」のなお書きは、無責任極まりない。