1964年東京オリンピックは、敗戦から復活を遂げた日本が、国際社会に復帰するシンボリックな大イベントで、熱狂的な国民の支持と期待に溢れていた。
オリンピックに無関心な私でさえ、TV画面を通じて、活躍する日本選手を応援した。のめり込むことはなかったが、市川崑監督制作の記録映画を見て、東京大会の意義を自分なりに納得できた。
一番、印象深かったのは、マラソン競技だった。ローマの石畳を裸足で走ったアベベが、シューズを履いて、東京の道路をひたすら走り続ける姿をカメラが追い続けた。見ているうちに、涙がこみあげてきた。
また、代々木競技場のトラックに、2番手で姿を現した円谷が、ヒートリーとのデッドヒートの末、ゴール直前で抜かれ、銅メダルに終わったが、レース後の笑顔がさわやかだった。
アスリート共通のひたむきさと雑念の無い清廉さが、見る者の感動を呼び起こす。薄っぺらなパフォーマンスでは、決して得られない。
オリンピックに無関心な私でさえ、TV画面を通じて、活躍する日本選手を応援した。のめり込むことはなかったが、市川崑監督制作の記録映画を見て、東京大会の意義を自分なりに納得できた。
一番、印象深かったのは、マラソン競技だった。ローマの石畳を裸足で走ったアベベが、シューズを履いて、東京の道路をひたすら走り続ける姿をカメラが追い続けた。見ているうちに、涙がこみあげてきた。
また、代々木競技場のトラックに、2番手で姿を現した円谷が、ヒートリーとのデッドヒートの末、ゴール直前で抜かれ、銅メダルに終わったが、レース後の笑顔がさわやかだった。
アスリート共通のひたむきさと雑念の無い清廉さが、見る者の感動を呼び起こす。薄っぺらなパフォーマンスでは、決して得られない。