プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★東京マラソンの残響

2007-02-22 10:15:01 | 日記・エッセイ・コラム

 「ヨーッ!東京どうだった?」。ジムの浴槽に浸かっていたら、頭上から聞き覚えのある大きな声が降ってきた。私が一番苦手とする友人だった。「残念ながら25キロでリタイアしたよ」と、小声で答えた。

 「そうか。残念だったな、テレビで見たけどあんな雨では厳しいよな」と慰められ、「フルはもう限界かもね」と、つい弱音を漏らした途端、「制限時間が7時間だから、長さんも完走したと思ったけどな」と返ってきた。隣りの湯船が一瞬、静かになった。

 彼らは、抽選に外れたので仲間の応援に行って来たみやげ話をしていたのだ。今まで、彼らのマラソン談義を聴いていた私には、静けさの原因が分かるだけにバツが悪かった。だが、私の相方は事情を知る由も無く、しゃべり続けた。

 「そうか。でも、最初から雨で走らんかったことにしとけば、誰も分からんよ」。「・・・(お前がしゃべるんじゃないか)・・・」。「しかし、長さんが300人の仲間入りするとは思わんかったよ」。「・・・(途中棄権は300人じゃねーや。1020人だい)・・・}と、無言で相槌を打っていたが、心ここにあらずだった。

 彼は、現役時代の組織や人間関係と断絶した私にとって、時には貴重な情報を提供してくれる友人でもある。だが、私がつけたあだ名は、「放送局」。あーぁ!これで、ぶざまな結果になったことはあっという間に知れわたること間違いなしだ。