プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★辛い記憶に封印

2017-07-07 09:51:43 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、現在、健常者と変わらぬ生活を送っているが、16年前のこの時期に、死の淵をさまよった記憶を引きずってきた。

 旅先のブタペストで倒れ、意識不明のまま、集中治療室で一週間過ごしたあと、一般病棟に移された。植物人間同然で、自力で寝返りも出来ず、連日、幻想に悩まされた。

 担当医師から、足の壊疽が進行し切除するしかないと宣告され、退院を懇願し、2か月後、ストレッシャーで国際線を乗り継ぎ、帰国した。

 診断書には「脳炎」とあったが、詳しい治療経過が不明だとして、入院拒否にあった。現在の主治医が、「敗血症」の症状に似ていると判断し、救われた。

 自力歩行困難で、排泄行為も不自由だったが、内科・整形外科・皮膚科・泌尿器科で治療を続け、前立腺手術を受け、リハビリに励んだ。

 現地通訳は、死亡確率90%以上と伝えたが、今では、誤訳ではなかったのかと疑っている。この辛い経験から学んだことは、人間の自然治癒力で、3人の外科医が宣告した足の切断を免れた。

 いまもなお、右足小指は不自由だが、数年前から爪が生えてきた。体中にケロイド状のあざが残り、時々、ひきつって痛みを感じるが、命の代償と思えば些細なことだ。

 運動できる体に戻ったことを素直に喜び、感謝しているが、74歳の誕生日を迎え、忌まわしい記憶に封印することを誓った。