プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●奥の細道・北陸路

2005-06-23 10:32:30 | 日記・エッセイ・コラム
 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を棲とす、、、」で始まるのは、芭蕉の「奥の細道」。私の生き方に色濃く影を投じている気がする。

 江戸深川を起点に、東北地方から北陸を経て大垣までの150日間、芭蕉が辿った道程をトレースしたいと思い立ったのは、今から5年前。が、予期せぬ大病を患い断念し、その書を読むことで彼の人生観を想像して楽しんでいる。「奥の細道」というと、誰もが東北地方の代名詞のように想像する。松島や立石寺、最上川などで詠んだ句が余りにも有名で、学校の教科書で学習したからだろう。

 ところが、新潟から富山・石川・福井と北陸地方を回り、終着大垣まで、多くの地で句を残している。当地金沢では10日間も滞在しており、そのエピソードは胸をうつ。一笑という門人がいたのだが、芭蕉が金沢を訪れる一年前に亡くなっていて、芭蕉は追善会に出席した。その際に詠んだ句は「塚も動け 我が無く声は 秋の風」。門人を失った悲しみが痛切に感じる。同時に、そこにこめられた思いは、背景を知ることによって、一層深まってくる。金沢から加賀・越前へと向かう途中、立ち寄った地で詠んだ句を辿ってみたら、今までと異なる感動を覚えた。ほんの一部だが、ご紹介したい。

 勧進帳で有名な小松では、「しをらしき 名や小松吹く 萩すすき」。紅葉の名所で名高い那谷寺では、「石山の 石より白し 秋の風」。山中温泉では「山中や 菊はたをらぬ 湯の匂ひ」。
 ここで同行していた弟子曽良と別れる際の一句は、「今日よりや 書付消さん 笠の露」。曽良が残した「行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原」と一人旅になって、大聖寺の全昌寺に投宿した際の句は、とりわけ悲しく寂しい思いが伝わってくる。「よもすがら 秋風聞くや 裏の山」。いずれにも、二人の深く通い合った心が窺われる。

 その他、北陸地方に多くの俳句を置き土産にした芭蕉。東北地方を辿る旅は断念したが、せめて北陸地方の足跡だけでも歩き回りたいとの思いを強くしている。