プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●ハンブルク~ベルリン

2005-06-07 14:56:19 | 旅行記
EPSN0005リューベックからハンブルクまでは約70キロ。ハンブルクで5月30&31日とニ連泊。ホテルはドムトー駅のすぐ前で、アルスター湖や植物園が近い最高のロケーション。ドイツ第二の大都市ハンブルクは、人口およそ170万人。人造湖の内アルスター湖と外アルスター湖に続く運河に架かる橋の数はヨーロッパ随一とか水辺に映る市街地の景観も素晴らしいが、周囲約15キロのアルスター湖を囲むようにつづく土道とその外側に広がる緑地公園の広大なこと。二日目に自由行動日がもうけられていたので、水辺の白鳥や鴨を見ながら、女房と二人でジョギングを楽しんだ

 今回の旅行の最後の訪問地は首都ベルリン。大都市共通だが、混雑していて活気があってごみが多い。前日まで訪れた都市はいずれも緑が多く落ち着いた中世の佇まいを見せていただけに、急に現実の世界に引き戻された気がした。二度目の訪問だったが、旧東ベルリン側では相変わらず工事中の建物が多く、復興途上であることを強く印象付けた。ブランデンブルグ門前では、戦後60年のイベントが開催されていた。観光客が多く訪れる場所で、戦争の悲惨さをアピールする潔さに感心した。現在と第二次世界大戦で崩壊した当時のブランデンブルグ門の模様を、二枚の写真で見比べると面白い。EPSN0010EPSN0012





●リューネブルク~リューベック

2005-06-07 11:27:50 | 旅行記
 2005年5月30日はリューネブルクを経て、ハンザの盟主リューベックを訪れた後、ドイツ第二の都市ハンブルクへ向かった。いずれの都市も個性的で美しい景観を呈する都市ばかりだ。
EPSN0020ツェレから約90キロにあるリューネブルクは、「白い黄金」とよばれた岩塩の生産地。ニシンの長期保存に使用された塩は、ハンザ商人にとって重要な商品だったから、この町が栄えた最大の要因といえる。旅行期間中、唯一、雨に降られた1日だったが、石畳が濡れて光り、石造りの建物をいっそう風情あるものにしていた。

EPSN0073リューネブルクからリューベックまで約140キロを専用バスで移動し、「船員組合の家」(ハウス・デア・シファーゲルシャフト)で昼食をとり、市内観光に出発した。船員組合の家は、縦長の居酒屋風建物で、店内は照明をおとし薄暗く、帆船や錨などで飾り付けられ、昔ながらの雰囲気だったが、ちょうど昼時でもあり客で活気にあふれていた。写真で見るとおり、リューベックの象徴ともいえる「ホルステン門」が修復工事中だったのが残念。

 


●ハーメルン~ツェレ

2005-06-07 11:26:18 | 旅行記
 2005年5月29日。ヒルデスハイムからハーメルン観光後、ツェレへ移動。
EPSN0015ハーメルンは、中世の伝説「ハーメルンの笛吹き男」の舞台になったことで有名だが、市街地に一歩踏み込むと、まさに童話の国を想わせる美しい木組みの家並みが続き、横道にそれると中世の町に迷い込んだ錯覚に陥りそうな古い家が建ち並んでいる。130人の子供がいなくなったという笛吹き男の伝説は重苦しいが、当時、ペストが流行したことは事実で、報酬の約束をほごにした戒めと重なり、物語が創られたのかも知れない。

EPSN0004ツェレは、軍馬の産地だが、日本では木組みの町並みが美しいことで知られている。人口は7万人余りの小都市で、見所のツェレ城やフランス庭園、木組みの家並み等は、町の中心部にあり歩いて回れる範囲だ。城はリューネブルク伯爵の居城だったそうだが、取り立てて特徴の無い建物だ。むしろ、泊まったホテル(「ヒュルステンホーフ ツェレ」)の有名なレストラン「エントテンファンク」が定休日だったのが残念だった。


●ブレーメン~ヒルデスハイム

2005-06-07 10:38:44 | 旅行記
 2005年5月27日ブレーメンで一泊し、いよいよハンザ都市巡りの始まりだ。翌28日、ブレーメン市内観光後、ハノーバーで昼食後、ヒルデスハイムに向かった。
 EPSN0002
5~6月はドイツ観光のベストシーズンと言われるが、ブレーメンの街はしゃくなげの花が咲き乱れ、緑の木々やレンガの建物とのコントラストが一層、美しさを際だたせていた。ブレーメンは、人口50万人の中都市だが、「自由ハンザ都市」を名乗る誇り高い町。それは、ちょっとしたところにもあらわれていて、市街地を走るトラムの駅の看板には、市の紋章と一緒に「FREIE HANSESTADT BREMEN」(ハンザ自由都市ブレーメン)と記されている。ビールとコーヒーをこよなく愛する伝統だというので、素直に従った。

 ハノーバーは、昼食休憩に立ち寄っただけなので詳しくご紹介できないが、第二次世界大戦で市街の9割近くを失うほどの爆撃を受けたが、今は緑の多い商工業の中心地として復興を果たしている。毎年二回開催される「ハノーバー・メッセ」は世界的にも評価が高いそうだが、これもハンザ同盟時代に果たした役割が根底を成しているのかも知れない。というのも、ハノーバーは内陸部にあるので、海上交易が中心のハンザではメリットが少なく、流通のビジネスが主体とならざるを得ず、メッセのノウハウを蓄積したのではないかと。
 EPSN0047
 ヒルデスハイムは、初期ロマネスク文化の中心地だったが、第二次世界大戦の末期に猛爆撃を受け、町は灰燼に帰してしまった。戦後、再建に莫大な資金が投入され、かつての栄光の町を復活したそうだが、世界遺産に登録されている大聖堂とミシャエル教会とも再建されたものである。市の中心に位置するマルクト広場に建ち並ぶ木組みの家やゴシック様式の市庁舎の見事なまでの景観は、歴史を大切にするドイツ人の精神を垣間見る思いがした。