プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

☆アンカレッジの憂愁

2004-09-06 09:52:30 | 旅行記
 2004年8月28日午前8時。成田発の日航チャーター便でアンカレッジに着いた。残暑の厳しさから逃れるべく、氷河とデナリ・ナショナルパークを巡る旅の始まりだ。アラスカで、日本人が最も訪れやすく、親しみを感じるのがアンカレッジ。アラスカはアメリカ49番目の州で、面積は日本の約4倍、人口は62万人だが、その40%強がアンカレッジに集中している。この数字からだけでも、広大で自然豊かなところだと分かる。

 ヨーロッパへの航空便が、アンカレッジ経由だった頃を知る者には、その凋落振りが寂しく感じられるが、今もなお経済や観光の中心都市であることに変わりはない。北国の凛とした空気が町並みにも色濃く影を落としているかのようで、ダウンタウンの道路にゴミやペットボトル・空き缶類が転がっていないのに先ず驚かされる。整然と区画された道路と歩道の白樺の並木、色とりどりの花々が見事にアレンジされたすがすがしい町だ。

 キャプテン・クックが錨を下ろしたクック入り江を西に望み、東に雄大なチュガッチ山脈がそびえる。クック湾からのマッキンリー遠望を期待していたが、2ヶ月間続くフェアバンクスでの山火事の煙がたちこめ、幻のかなただった。山火事の消化活動は、住宅に延焼する危険があるエリアを限定的に行い、あとは自然消火を待つしかないと聞かされ、自然の威力と規模の大きさに圧倒される思いがした。

 今回は、「26氷河クルーズ」と「デナリ国立公園」を巡るのが目当てだったので、注意を払わなかったのだが、帰国当日、アンカレッジでも夏のオーロラが観測出来ると聞かされ、早寝したことを悔やんだ。オーロラの規模と出現率では、フェアバンクスが北半球一と評されるが、アンカレッジでも年間100日前後の確率だそうだ。日本からはハワイへ行くより近い。次回は、オーロラを見に行きたいと考えている。