映画のCMをよく見た。映画自体は見たいと思いつつ、見る機会を逸していた。本屋で目に飛び込んできた。長崎出身で好色一代男の名を持つ横道世之介。大学で東京に出てくる。映画では高良健吾がやっていた。何となくその映像が浮かぶ。世之介の大学生活、偶然知り合った二人とサンバ部に入り、紹介されたホテルの夜勤のバイト。突然、その仲間の一人の時を越えた世界が描かれる。まわりを何となく幸せにする。でたらめでいい加減で、それでいてふと思い出してしまうような。青春小説なのだなあ。何だかいいなあ。こんな感じあったなあ。そうだよなあ、と☆☆☆☆ほ。映画、見てみたいなあ。
池井戸の銀行シリーズ。東京第一銀行長原支店。東急池上線沿線の支店が舞台。大田区の住宅街で老舗の支店ではあるが、花形支店からはほど遠い。そこを舞台に、高卒の副支店長、同期トップから滑り落ちた融資課員、営業課の女子行員とその上司…と多くの行員が描かれていく。その中で、事件が、人生が、家族が描かれていく。少々やるせない、重苦しい。これほどなのかと疲れてくる。百万円紛失事件、それを追う人物、追い詰められる行員、エース行員の課長補佐、さまざまな人物が錯綜し、銀行という社会のルールの中で動き、追い詰められていく。ああしんど。そして謎がとけていく。☆☆☆☆かな。
『冬のフロスト』を読み終える頃のこと、本屋で表紙にひかれて手に取った。フロストシリーズのカバーイラストを担当する村上かつみのデザインで。イギリス・ロンドンの高級住宅地ハムステッドの刑事が主人公。ロシアの富豪が自宅で死体で発見される。自殺か。捜査にあたったベルシーはその高級住宅に入り込む。破産寸前、問題を抱えたベルシーは富豪の金に狙いをつける。敏腕刑事で、私生活は破綻。それが富豪の死とそれに連動するいくつもの事件の謎を追っていく。フロストシリーズとは全く違う、異質な警察物。イギリス社会を垣間見ることができるということで☆☆☆ほ。
久々のフロスト・シリーズ。今回、既刊のフロスト・シリーズすべて再読して、ようやく本作を読了。相変らずのフロストワールド。署長のマレットは相変らずの嫌みぶり、アレン警部は例によって別の署に出かけていて不在。前作で昇進をマレットに阻まれていたリズ・モード部長刑事が今回は警部代行をつとめている。ただ、巡査部長のウェルズとは相変らずで相性は良くないようで、ウェルズもマレットにいじめられ続けている。今回の新登場はタフィ=芋にいちゃんことウェールズ出身の刑事モーガン。これがフロストが呆れるほどのできない男。それでもフロストを親父っさんと彼を呼ぶ芋にいちゃんを責められないのだ。例によって、事件は次から次へ。少女の行方不明、売春婦の連続惨殺、強盗、怪盗枕カヴァーなど重なりあって、「直感」たよりの捜査でデントン署の残業手当は大変な状況。「憎まれ役」の新人刑事がいないけど、それでもやはりフロストで、最近は携帯電話も普及したが、それでもやっぱりデントンで。☆☆☆☆☆。あと一作しか残っていないけれど、それの翻訳が楽しみです。
ススキノ探偵シリーズの東直己の作品。1994年に扶桑社文庫で発行されたもの。『探偵はバーにいる』が1993年。本格作家デビュー前のノンフィクション。「探偵」が東本人と重なる部分が見えてくる部分は面白い。ただ、全体に、東さんは再文庫化を喜んでいるが、どうもという感が強い。☆☆ほ。それでもススキノ探偵シリーズのファンとしては、『バーにかかってきた電話』の中で探偵が「…<サッポロ音興>の南はオシマイだ。麦飯食って工場で旋盤つかうことになる。禁酒禁煙で、風呂は三日に一度、一日に使えるチリ紙は十枚だ。…」なんてこと言ってるのを見ると、ニヤリとすることになる。
東直己原作の札幌を舞台とした探偵の物語、映画としては第二弾。大泉洋が探偵、高田は松田龍平、今回はヴァイオリニストで尾野真千子も。第一作の時の方が楽しめた。今回はいくつか気になった。探偵と高田、この二人がこの映画では先輩と後輩のような感じに。大泉探偵は上から目線なのだ。小説では探偵は高田を武術の師と仰ぎ、親友。その感覚が映画では無い。ポーターたちから「だんな」と呼ばれるのもちょっとなと。小説ではもっと仲間感が。新聞記者の松尾も小説では友人なのだがその辺りも。細かく言えば、妻子がありながら二刀流の松尾、映画だとゲイというより隠れオカマみたい。ちょっとなあ、松重さんの相田役も映画用にコミカルさが強調されているしな。映画として残念なのは、アクションシーンで何とかしようという部分が強すぎ。無意味なアクションシーンが多くて、本来の作品の味が希薄になってしまっていて、☆☆☆。次作は作られても見なくていいのかと。尾野真千子のしゃべりはそれなりに面白かったけど。東さんが患者役で出てたけど、味が消えたのは平気なのかな。