昭和40年代のあの頃、チエちゃんの家には2~3週間に一度、納豆屋のおじさんがやって来ました。
おじさんは荷台に納豆を入れた箱を載せ、
なっと、なっと、なっとう~
の元気な売り声とともに、自転車を漕いで街の方からやって来たのです。
自転車を道路脇に停め、5、6個の納豆を手に持ってチエちゃん家への坂道を上って来ます。荷台の納豆を盗むものなど誰もいなかった時代です。
おじさんは玄関先に腰掛け、しばらく世間話をした後、代金を受け取って帰って行きます。俳優 斉藤洋介さん似の陽気なおじさんでした。
当時の納豆は経木に包まれた三角形の形をしていました。
包みを解いて中身を小鉢に入れ、塩、さらに醤油をかけ、グルグルとかき混ぜ、十分に糸を立ててから食べたものです。チエちゃんは納豆が大好きでしたが、今ではもうあの頃の食べ方はしませんね。
添付のタレをかけ、さらっと混ぜる程度が好きですから。
あの頃は、こんな風に行商にやって来る人がいました。
じじみ売りのおじさんもその一人でした。天秤ばかりとざるに入ったしじみを持ってやって来ました。つまり、計り売りをしたのです。このおじさんは地井武男さんにそっくりだったなあ。
そして、こうしてやって来た行商さんは、顔馴染みで、チエちゃんの家では決して「今日は要りません」と断ることはありませんでした。持ちつ持たれつの関係と言いますか、売り手もちょうど無くなる頃、食べたいなと思う頃にやって来ましたし、買い手も来てくれるのを楽しみに待っていました。せっかく来てくれたのだから買ってあげようという気持ちもあったのです。
三角納豆が発砲スチロールの容器に変わってからも、しばらくはおじさんがやって来ましたが、年を取ったせいなのか、行商の時代ではなくなったせいなのか、いつの間にかおじさんと顔を合わせることも無くなりました。
帰り道は鼻歌を歌いながら、のんびりと帰っていくおじさんでした。