ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

30㎝の雪が・・。

2009-12-31 13:54:23 | Weblog
 昨夜から今朝にかけて30㎝の新雪が積もりました。
日中は素晴らしい天気に恵まれています。雪が降ると活躍するわがやの除雪車です。(写真)今冬もお世話になります。
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1年間が無事に終えられて

2009-12-30 09:36:48 | Weblog
 明日、明後日は大荒れの天気予報。今年の締めくくりと新しい年のはじめが大荒れの天気とは、予報といえども何とも落ち着かない感じがする。
お正月に我が家に一番人が集まるのは、1月1日と決まっている。1日に羽田から飛んでくる人、札幌から車で・・・などもいる。良い方向に予報が外れることを期待したい。

 何はともあれ、我が家にとって今年も無事に終えることが出来たことは最高の年だったに違いない。毎年無事に終えているから毎年が最高の年と言うことになるかも知れない。

 様々な出来事が脳裏をかすめるが、「せっかち」な私にとって短気を起こさず日々の事をこなして来たことが何よりだったかも知れない。とは言っても時々起きていたかも知れない。むかつく事も多くあった。もちろんどうしようもなく楽しいことも・・・。

 まあ~~あぁぁ~~焦らず「おおもの」のふりをして呑気に構えていくことが何よりだと分かっていても・・・来年は出来るかな~~?

 私どものモットーにしている、「遠い将来を見つめるよりも明日の生活がより楽しくなるように生きていきたい」の精神で来年も頑張りたいです。
私の日々の出来事、考えにコメントを書き添えていただいた全ての方々に心から感謝をして・・・来年もまた、私自身の心の癒しとして、書いていきたいと思っています。
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今年もあと3日ですね

2009-12-28 19:40:09 | Weblog
 少し気温の高い日が続いています。日中も0度前後であったわが家周辺。
夕方から風も強まり雪も降り続きあわや「猛吹雪か」と思ったら、夕食も終わった頃には落ちついてきた。これからの日々、農作業の時期とは違った意味で天気が気にかかります。

 今年もあと3日となりました。すでに1年間も経営のまとめも終わり、次年度にむけた経営戦略が脳裏をかすめています。自立的経営はもちろんの事、将来を見つめるよりも日々の生活がより楽しくなるスタイルを求めている私どもです。

 低レベルの話になりますが、暗黙の了解といいますか、おおざっぱに決めていた妻との家庭内ルールを農業委員会などが推進する「酪農ニコニコ協定」という形で、いくつかの新ルールを加え4日後からスタートさせることになっています。
小遣いが決まっていなかった私もいただけるようになりますし、温泉旅行積立金、妻の寝坊しても良い日などなど・・・楽しみが加わりました。

 もう手遅れですが、「今年も悔いなかった」と言えるようにあと3日間精一杯生きていこうと思っています。
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オーライ!ニッポン大賞応募

2009-12-26 21:11:37 | Weblog
 今朝の我が家周辺も厳しい冷え込みだった。今冬2番目であろうか-13度であった。今夕はぐ~と高く-5度くらい。

 年賀状も書き終えホッとしていたら、都市農山魚村交流活性化機構から「オーライ!ニッポン大賞に応募しないかという通知が届いた。
昨年はおだって、農村交流活動関係の色々な募集しているところに応募したが、毎日新聞農業記録賞だけの入賞だけだった。オーライ!ニッポンにも応募していたが、「残念でした」との通知をいただいていた。

 そんな募集の事など全く念頭に無かったが、通知を見るとワクワクしてきて、またまたおだってしまった。昨年の応募の原稿がデーターで残っていたので、若干の修正を加えて、いま書き終えたところだ。昨晩からやって2晩もかかった。

 このオーライ!ニッポン大賞には、大きな関わりがある。第2回の募集で私たちの集落でやっていた山村留学の取り組みを応募したら、見事に大賞に選ばれ養老孟司さんから賞状をいただき、事例発表したことがあった。その時の写真がこのパソコン打っている頭の上に飾ってある。

 個人的な私の取り組みですから、無理でしようが応募の数を増やすために貢献協力することに意義を感じて書き上げた。
写真や資料をそろえて年内発送だ!! 妻には「入賞したら3月10日の表彰式に東京に連れて行ってあげる」と宣言した。宝くじを当てるくらい難しいでしようが・・。いき高く今年を終えるために・・決意だけでも強く。
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農業施策に関する建議

2009-12-24 19:40:39 | Weblog
 今日、浜頓別町農業委員会は、農業委員会等に関する法律第6条第3項の規程に基づいて町長に対して、当面する3つの課題について建議をおこなった。

 いま酪農は、飼料高騰が続く中で今年の天候不順による、越冬粗飼料確保不足や飲用乳緩和による消費の低迷、次年度の乳価の引き下げ予測など引き続きの厳しい
状況下にあります。

 こうした中にあっても町の基幹産業である酪農の維持発展は不可欠であり、振興方策を実践していくことは緊急の課題でもあります。そして、意欲的な担い手が経営に参画しやすい環境を作っていくための支援対策も重要です。
 こうした観点にたって、担い手対策を重視した持続可能な酪農対策の支援、各経営体にあった経営支援体制の拡充、農地基盤整備の推進などを大きな柱とした建議内容になった。

 町の酪農家戸数は、経営主の高齢化や担い手不足によって年々減少傾向にあり、酪農家子弟の就農、外部からの新規就農、配偶者対策など関係機関が一丸となって対策を講じていくことが大切だと改めて認識した1日でもあった。

 その後、酪農関係の別組織の会議がありその中でも、関西からの酪農実習を希望する若者の受け入れを審査、決定や酪農後継者の婚活対策について関係者と真剣に論議を交わしてきた。
年明け早々から酪農青年と論議していくこと等を決定した。

 今日の会議で今年の組織に関する全ての会議を終わった。何かにつけて反省することの方が多い年でもあった。心の中では悩み、悔しがり、何度もやめたくなったりを繰り返しながら、組織活動の難しさを改めて実感した1年でもあった。そしてまた、議論を通して元気をもらい、奮い立たせていただいた。

 全ての出来事に感謝だ!!
 
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「かなざしさん」が居た所

2009-12-23 21:29:11 | Weblog
 人だれにでも幼少期を過ごした場所を思い起こすことがあるだろう。
私は生まれたときからずっ~とここに居るから考えた事はないが、出来事を鮮明に思い起こす事がある。
そんな時、「年をとったんだなあぁ~~」と思ったりして・・。

 「かなざしさん」が過ごしたと思われる所をシヤッターを切った。「あんどうあきおさん」の物だったと思われるサイロが、今も残っている。
バックの白色になっているところは、採石工場の採掘した跡地だ。こんな写真でも懐かしんでいただける人がいることに、地域を守り発展させなければ・・と言う思いも。

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斜内山道の写真 NO-2

2009-12-23 10:26:20 | Weblog
 「小学校時代の楽しみは遠足だった。斜内山道まで歩くんだ。普段なら食べられないゆで卵やリンゴなどを持って行けるから・・。」

 来年3月の閉校記念誌に掲載する、88才の古老の方の小学校時代の思い出のインタビューの一文である。小学校から片道8㎞弱の国道の道のり。80年前から、いやもっともっと以前から周辺住民にとって斜内山道は、遊びの場であり憩いの場でもあり、そして時には岩肌に腰を降ろしてロマンを語る場でもあったのでしよう。その雄々しい姿は、何百年たった今も変わることはありません。

 浜頓別町史には、「神居岬は(斜内山道のこと)岩山の切り立った尾根が海にささりこんで、人の行く手をはばみ、昔から旅人にとっては大変な難所であった・・・・。単調な砂丘が続くオホーツク海の海岸線は、この岬で断ち切られ斜内山(438.9㍍)を中心に切り立つ岩の岬は、北方の荒々しいオホーツク海とよく調和して厳しい北国の代表的な景観地をつくっている」と記されている。

 この斜内山道は枝幸町との境にあって、私ども、岩間にもぐってウニや貝をとってその場で食べたり、キャンプをして楽しんだりしたものだ。
そんな斜内山道も今では、山の尾根を走っていた国道もトンネルが掘られ、国道の移設によって、冬期間は閉鎖されている。
 (写真は、12㎞ほど離れた浜頓別市街地の国道からシャッターをきったもの)

 毎日の様に見慣れた斜内山道をこの場に掲載したのは、このブログを通して出会った、この地の小学校の同窓生に、今尚変わらないふるさとの光景を見ていただきたかったからです。舌足らずや下手な写真をご勘弁いただき・・・。
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斜内山道の写真 NO-1

2009-12-21 22:07:08 | Weblog
 夕方からシンシンとボタン雪がふりつづいていた我が家周辺。
夜は、集落の年末年始にむけた行事に関する会議があり、妻とともに出かけ久しぶりに会った集落の人々と会話を楽しく交わしてきた。
今年最後の会議とあって、少しの杯を交わしたが随分と話す自分の姿があった。これも久しぶりのためだろう。

 日中の晴れ間を見てカメラ片手にオホーツク沿いの国道を走って見た。私にとっては何十年もの間の見慣れた光景だが、斜内山道にむけてシャッターをきった。残念ながら雪がちらつく天気だった。

 「斜内山道」・・・神居岬と表現するが、この名称はアイヌ語地名「カムイ、エト」と記録され一般的には斜内山道といわれ、松前藩時代の記憶に残されていると言う。(この2行半を記すために、14年前に発刊された浜頓別町史を購入以来はじめて開いてみた)

 集落の会議の後の杯が段々ときいてきた。この後の記は明日にしよう。

 
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さむ~い~。

2009-12-21 12:04:07 | Weblog
 朝5時20分、研修生くんが休日のため妻とともに牛ちゃんのお世話の為にいつもより早く、防寒着を着て外へ出る。雪も降っていなくそれほどの寒さを感じなかったが、何となく息を吸うと鼻の中がわずらしさを感じていた。

 午前7時に玄関前の温度計を見ると、-15度を指している。「う~ん~、さむ~い~」と感じる。トラクターのエンジンもかかりずらく電気で暖める。
外へ出入りする妻の頬や顔全体が乱れている。

 「これくらいの寒さはまだまだ。これからが本番だよ」と思っては見たものの寒くない方がいいなあぁ~~。
我が家周辺では、今冬最高の寒さでした。

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「最北の地から」という話に・・・

2009-12-20 14:19:15 | Weblog
 本州の地での集まりの中で、パワーポイントを使って話す機会を与えられ自己紹介するときに、「私は最北からやって来ました」と言って地図を写し出します(写真)。
すると少ない参加者の中からでも「おぉ~~お~~」という声が出ます。そんな声に最初から満足にしたったりしたことがありました。

 私の家から札幌まで車とJRを乗り継いで片道4時間。稚内空港から東京までは車と飛行機で片道2時間40分ほど。札幌で午前から会議をやると私は前泊しなければならないが、東京から来る人は日帰りできる。
こんな事も付け加えて話してあげると、北海道の広さと交通アクセスの不便さがよくわかってもらえる。
若者が東京から来てはじめて稚内空港に降りる。まわりに何もなく広々とした光景を見て「外国にきたみた~~い」と歓喜を上げる。
車の乗って私の町まで・・・不思議な顔をして話す「道路に信号機が無いんですね~~」と・・。こんな事を付け加えて話すと、溢れ出る豊かな大自然の中に住んでいることが分かってもらえる。

 山村留学に取り組んでいたとき、里親留学で子供ひとりでやって来たとき、留学したその子のおばあちゃんが「どうしてそんなロシアに子供をやるの」と反対したという話を聞き、笑ったことがあった。
とかく最北で生活に不便と思われがちだが、そんなことは全くない。「むしろ最高の生活場所だよ」と自慢してあげる。

 でも、「交通アクセスがいいと助かるなるなぁ~~あ~」と言うことも脳裏をかすめる。
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