夕方からシンシンとボタン雪がふりつづいていた我が家周辺。
夜は、集落の年末年始にむけた行事に関する会議があり、妻とともに出かけ久しぶりに会った集落の人々と会話を楽しく交わしてきた。
今年最後の会議とあって、少しの杯を交わしたが随分と話す自分の姿があった。これも久しぶりのためだろう。
日中の晴れ間を見てカメラ片手にオホーツク沿いの国道を走って見た。私にとっては何十年もの間の見慣れた光景だが、斜内山道にむけてシャッターをきった。残念ながら雪がちらつく天気だった。
「斜内山道」・・・神居岬と表現するが、この名称はアイヌ語地名「カムイ、エト」と記録され一般的には斜内山道といわれ、松前藩時代の記憶に残されていると言う。(この2行半を記すために、14年前に発刊された浜頓別町史を購入以来はじめて開いてみた)
集落の会議の後の杯が段々ときいてきた。この後の記は明日にしよう。
夜は、集落の年末年始にむけた行事に関する会議があり、妻とともに出かけ久しぶりに会った集落の人々と会話を楽しく交わしてきた。
今年最後の会議とあって、少しの杯を交わしたが随分と話す自分の姿があった。これも久しぶりのためだろう。
日中の晴れ間を見てカメラ片手にオホーツク沿いの国道を走って見た。私にとっては何十年もの間の見慣れた光景だが、斜内山道にむけてシャッターをきった。残念ながら雪がちらつく天気だった。
「斜内山道」・・・神居岬と表現するが、この名称はアイヌ語地名「カムイ、エト」と記録され一般的には斜内山道といわれ、松前藩時代の記憶に残されていると言う。(この2行半を記すために、14年前に発刊された浜頓別町史を購入以来はじめて開いてみた)
集落の会議の後の杯が段々ときいてきた。この後の記は明日にしよう。