goo blog サービス終了のお知らせ 

ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

北オホーツク100㌔マラソン終了 その3

2023-02-28 09:20:18 | Weblog
 北オホーツク100㌔マラソン終了 その3では、「ぶんちゃんの里同窓会」の開催要項を記載します。

開催要項
  1,開催のねらい
     2018年の第9回大会までぶんちゃんの里に宿泊したりジンギスカン交流会に参加いただいた方々が
    4年ぶりに再会し、当時を思い起こし交流を深め、再び地域の良さを実感してもらう事を狙いとする。
  2,主 催 
     ぶんちゃんの里(小川文夫 小川優子)
  3,参加人数
     最大7名まで(1名でも開催) 人数になり次第締め切り
     交流会のみの参加もOK
  4,開催日時、場所
     7月22日 午後5時  ぶんちゃんの里 集合
  5,会 費
     1泊2日      12000円 (交流会費含む)
     交流会のみ      5000円
  6,内 容
     思い出の100㌔マラソン(パワーポイントで映写)
     バーベキューで懇親交流会 (10㍍横の茶屋で二次会)
     集合時間まで自由にコースを車、徒歩で散策 (自己責任で)
  7,申し込み方法、問い合わせ先 (メールのみでお願いします)
     パソコンメール bunchan@sweet.ocn.ne.jp
:携帯ショートメール 090-1528-9837 
  8,申し込み締め切り日
     6月10日 午後5時
  9,名 称
     100㌔マラソンぶんちゃんの里同窓会

 たしか、第3回大会からぶんちゃんの里もランナーの皆さんに宿泊していただけるようになりました。
沢山の方ガタとの出逢いがありました。
私達は、牛のお世話をしながらでした。
朝食の弁当作りで妻は午前2時頃の起床。午前4時には送り、午前5時にスタートを見送り、急いで帰路して
搾乳作業。午前8時には庭先のエイドでボランティア。
私達もランナーど同様に頑張り、良き思い出担ったのです。若かったです。

 2018年に「来年もまたここであいましょう~」と言って別れたのが、記憶に新しいです。
その後もFBなどで近況を確かめあっていました。たしか海外におられる高橋さんからも「残念・・」と言うコメントが・・・
今回はその1部の人達をご紹介します。

                          

                        

 エイドで出会って、2泊3日の酪農体験に来られた方もおりました。
ケガで走れなくて、エイドのボランティアに参加して・・・。

                         

                         

                                


お世話になりました

2023-02-27 17:04:15 | Weblog
 6年3ヶ月間、とてもお世話になりました。
「6年前、生涯最後のいれかえだね~」と言って、旅の途中車中泊もできるようにと入れ替えました。
しかしこの間、色々と走りましたが一度も車中泊はありませんでした。しかも、「生涯さいご・・・」が、諸般の事情で入れ替えに
なってしまいました。

 とてもとてもお世話になりました。
手放すのがとても残念で大好きな乗り心地でした。
道南はせたな町、道東は根室まで・・良く走ってくれました。お別れが近くになると毎日のように「もったいない、もったいない・・」と
話していることが自分でも印象に残っています。
結構遠くまで走っても1度の事故もありませんでした。しかし、妻が運転中、我が家から2㌔ほど離れた道で走行中、シカと激突。
初めて保険を使い修理。
悪いことでしたが、走行時速オーバーもありましたが、一度も逮捕されることも有りませんでした。ゴールド続きです。
3度ほど「注意ちゅうい」と車内放送で助けられました。
本当におりこうな方でした。
最後の記念写真でした。

                             

                               

 次の方も宜しくお願い致します。 

北オホーツク100㌔マラソン終了 その2

2023-02-26 09:24:33 | Weblog
 北オホーツク100㌔マラソンが今年の開催なく終了する。
私達の26世帯の暮らす地域もコースになっていた事から、第2回の大会からボランティアの参加などランナーの応援と交流の為に
大きく関わってきた。

 タイトル「北オホーツク100㌔マラソン終了 その2 」では、私達地域住民が関わってきたランナー応援のロールラップサイレージでの
メーセージの9年間を写真で見てみたい。
牧草収獲などで超多忙期でしたが、地域のかたがたも町民の皆さんとともに、懸命に応援のために尽力した。

    その前に・・・7月22~23日 1泊2日でぶんちゃんの里、宿泊者、ジンギスカン交流会参加者の方々で
          ぶんちゃんの里主催 「ぶんちゃんの里同窓会」開催を決定。22日午後5時ぶんちゃん里 集合。限定人数7名。
           「思い出し懇親交流会」のみの参加も可能。  詳細は後日・・。

 さて、ロールサイレージラップ応援メッセージは第1回から登場。
この年のボランティア参加はなかった。コースが「五線の沢」道路を通り、小川牧場の折り返し点になってから2カ所のエイドのボランティアと
して参加した。
1回目のロールラップは・・これだ。 2カ所にも作った。

                       

 その後の応援メッセージは・・・順不同で・・・
町長や副町長、実行委員長の似顔まで登場。

                       

                     

                      

                     

                          

                  

                      

                        

    その3 に続く         

             

MIKAKOマガジン

2023-02-25 16:01:20 | Weblog
 今朝、放送されたFMエアージー放送のMIKAKOマガジンを初めて聞いた。
先日行われた北海道グリーンツーリズムの集まりがあったことを紹介し「遠くは浜頓別町からも参加していました」と、私達の名前こそは
ありませんでしたが、「浜頓別町の名前」が出ていました。
ありがとうございました。
毎週土曜日、午前6時30分から7時までの林美香子さんのパーソナリティ番組でした。
パソコンで聞いていましたが、途中からは除雪のためにトラクターの中でスマホで・・・

                           

 美香子さんや皆さんとは8日前に2年ぶりにお会いしたばかりでした。
写真を整理していましたら2年前のものも出てきました。なつかしかつたで、アップです。

                            

 以前にもここにあっぷしましたが、これは先日の写真。
今日の放送で懐かしくなりまして・・・。
今度皆さんと会えるのはいつになるだろうか~。若い方々が引き継いでくれることになりましたから期待したいです。
私の脳が元気なうちに・・・・。

                            

新規就農を目指した若者

2023-02-24 23:27:07 | Weblog
 酪農で新規就農を目指す、若者ご夫妻と新農業人フェアで出逢い、このたび浜頓別町に見学にやって来た。
ご夫妻とは11月に札幌で開催されたイベントで浜頓別町のブースで私達の説明に耳を傾けてくれた。
ご来訪とともにJAや浜頓別町南町長を表敬。
沢山の激励を受けた。

 その後、離農予定物件2カ所を見学。
沢山のお話しを聞き満足に。その後すでに新規就農していたお二人を含めて意見交換会を行った。
夜は宿泊する我が家で簡素な情報交換会。
意見交換を通してのおもてなしで歓迎した。きっと浜頓別町の良さを実感していただいたと思う。
来年のご夫妻の決断に期待したい・・と心からおもった。

                            

                         

                             

                               

                  

北オホーツク100マラソン終了 その1

2023-02-22 13:43:37 | Weblog
 北海道北オホーツク100㌔マラソンが今年は開催せずに終了する。
今朝の地方紙に掲載された。
2011年に初めて開催したウルトラマラソン。以来、第9回まで全国からランナーを集めて盛会に開催されてきた。
10回目の記念大会を目前にして、コロナ禍で3年間中止に。
9回開催の歴史に幕が閉じられることになった。

                    

                                  

                    

                                  

 私達の地域でもコースになっていたことから、地域住民一丸となって応援。
全国のランナーの方々との交流を楽しんできた。色々な社会情勢を鑑みると仕方なく、残念なことである。
私達も、宿泊も進んで受け入れ、沢山の方とわずか1泊2日の滞在期間であったが楽しんでした。

                                   

                              

 関係者の皆さんのご苦労に敬意を表したい。
楽しみにされていた、知り合いに慣れた皆さんの「残念」の気持ちも察しがつきます。
                        その2 に続く(思い出)
                

「黙歩」その4

2023-02-21 11:13:22 | Weblog
 ときどき、昨日の出来事や突然に思い出したようにポツリと話す事はあっても、多くの歩く時間は「黙歩」だ。
気温が冷え込んだときの朝、風を正面から受けるときなど、下向きの目線になり、そんな時は幼い時の通学路が脳裏をかすめる。
昨日も鮮明に思い出す瞬時があつた。

 それは~~
 小学4年生のころだっただろうか。
1㌔先の隣の家の相棒とも別れ、ひとりぼっちでぷらぷら歩いていたとき「熊の通る道」を過ぎたあたりだった。
目線を正面に向けたとき、50メートルほど先の道端の笹の中に丸い「黒い物体」が・・・
ピタッと、止まった足。固まった体が3~4歩下がってジッと見つめる。すこしづつ前に出た。
動いた「黒い物体」。道端に完全でた「黒い物体」。
「なんだ~馬の顔だったのか~」と喜んだ。
瞬時の事が長い時間に感じた出来事。これまで何十回語り続けてきた、この思い出。
熊を意識しての通学路だったためだろうか~。黒い物を見るとすぐに想像してしまう。

 熊は開拓時代からの恐怖だったと先人から聞いていた。
牛舎の中にまで入ってきて牛も襲われたとか。
子ども達が怖がるから出来るだけ熊の話はひかえていたとも・・・。親心だつたのかも。
そんな怖さを身にひそませ歩き続けた道。
60数年前に捕獲した熊。牛を襲い続けたと言う。

                    

 こんな道を歩き続け通った4㌔先の小学校。
つっかい棒をした校舎だった。

                    

 以後、幾多の変遷をへて、2回の全面的な校舎改築が行われた。
3回目の校舎はおとぎ話に出てくるような校舎。
4㌔先にあることに変わりはなかったが、当たり前だが、私達はこの校舎に通う事はなかった。

  しかし、28年前の1995年から始めた山村留学制度で里親留学された児童を我が家では数名受け入れていた。
関東関西などからやって来た児童。当然4㌔の道を歩くことになった。
道こそ良くなっていたが「熊の通る道」だけは変わっていなかった。

 その学校も、13年前には廃校となった。
今では地域のコミュニティセンターと発展した。
その距離こそは変わらないが、所要時間は5分とかからない。

                          

 私達がここに住み続ける限り道は残る。
そして・・・健康を意識して歩き続けるかも知れない。
そんな時「黙歩」ではなく、話題を作って語りあいながら・・・
その為にも元気と黙歩にならない相手がいることが必要なんだ。

「黙歩」その3

2023-02-19 18:30:07 | Weblog
 今朝の午前6時20分の我が家周辺の気温はマイナス14度。
日々、気温は上下しているがいまの時期としては割と暖かい。日中は湿った雪になって気温も上がっていたのだろう~。
「割と暖かい・・」と言えども、マイナス14度の空気の中を、少しの風でもホホに吹き付ける風は冷たく耐えがたい。
そんな風に耐えられなくなり、思わず手袋の両手でホホを覆っての妻のウォークだ。ホホは真っ赤だ。

                  

 大人でさえ耐えがたい真冬の気候。
1950年代後半の幼き時代のこの時期を思い起こして見てもなかなか脳裏には浮かばない。気温の低さはどうだつたんだろうと~。
雪の深さはどうだったんだろう~~と。
除雪もされていない一本道。しかも、馬そりを引く馬の跡と馬そりの跡ははっきりと覚えている。
当然のごとく馬1歩の足幅は大人の足幅でもあわない。ですから馬そりの2本の各20㌢幅の跡がゆういつの道であった。
降雪が多くなると、通学と同時に馬に「タマ」という幅60㌢長さ1メートルほどの道具を引かせ、道を作ってくれた父親。

 それだけに春の訪れは待ち遠しかった。
雪どけが進むと、馬そりの跡も溶け出しその跡には馬の糞が1本の筋になって現れるのも、山奥の田舎道の風物だった記憶もある。   
春になっても車一台通ると1杯の道。
道の両端には笹や草が覆い被さるようになるから道の幅は狭く感じる。しかも水たまりの砂利道。
よくぞ小学校1年生のときから歩いたものだと・・。

 その道も2カ所だけものすごく怖い場所があった。
それは・・・「熊の通り道」といわれている場所だった。昔むかしからの言い伝えられているようであった。
親達から聞いて、幼い私達にも分かっていた。
その道近くになると物音出さずに歩いていた記憶がある。「うた歌いながら歩きなさい」と言われていたものの声など出なかったと思う。
その場所は冬ではあるが、ここだ。
牧草地がなくなり、両サイドが樹木に囲まれたわずか50メートルほどの長さ。
恐怖の50メートルだつたのかも・・。

                     

 幸いな事に青年時代含めて、子どもの頃も一度も遭遇した事はない。
しかし、近年になってこの場所で毎年のように姿を見たり形跡を感じたりする。
やっぱり昔の言い伝えは正しいのかと・・・。

 そんな道も近代的な道に変わって60年以上前の歴史を盛んに思い起こし、何不自由なく今を生きる私達が、健康管理のために
歩いている。
しかし、「熊の通り道」だけは60年前と変わっていない。
熊もまた「通る道はここだよ」言い伝えているのかも知れない。
                                その4に続く。

北海道グリーンツーリズムネットワーク

2023-02-18 18:57:54 | Weblog
 今回の出札は北海道グリーンツーリズムネットークの集まりだった。
1990年代の後半、にわかに{グリーンツーリズム」という言葉が語り始められ、行政機関の中でも推進に向けた
取り組みも強化されていた。

 私達もファームイン(農家民宿)や体験活動などにも取り組み始め、消費者を牧場は田舎に迎える活動を始めだした。
グリーンツーリズムの組織も立ち上がったり、全道のネットワーク作りも始まり参画するようになった。
全道各地の色々な方々との出逢いや繋がりも出来た。
毎年のように研修会や情報交換会も行われ、全道各地にも足を運んだ。

 あれから30年近い歴史が流れた。
活動は定着されていったためか「グリーンツーリズム」という言葉は徐々に語られなくなった事も事実である。
農業経営の規模も拡大され、取り組む人材数も減少した。
そして・・コロナ禍の中で集まる機会も失われ、久しぶりに昨日対面再会を果たした。

 集まった数こそ少ないが、とても懐かしい人達との再会、集まりに初めてきた・・と言う人との出逢いもあってとても楽しい一時だった。
長く責任者として牽引してきた、鹿追町の山岸さん、若い人の新しい目線での今後のの活動を期待して、牽引役を引き継いだ。
鈴木宏一郎さんも長い間お世話になりました。林美香子さんにも・・・襟裳のたかはしさん、本当に10数年ぶりの再会。
洞爺の通ちゃん、滝川の中野さん、大樹の大石さん、、昔からお世話になっていた林さん、いただきますカンパニーの井田さん今後とも宜しくお願い致します。
とても楽しく情報交換を行った。
長老・・と言う事もあって私が乾杯の発生。皆で近況報告しあった。

                     

                                     

                     

                                    

                                   

                       

 最近、お出かけしてもなんとなく気持ちがのんびりした気分になる。
牛のいない生活になれてきているのだろうか~。わずか2泊3日のお出かけでも呑気に過ごした。
それでも農業公社を訪問する機会を作って担い手対策で担当者の方との意見交換もしてきた。本部長や部長さんにも挨拶して・・・。
食事もしっかり取って元気もつけて・・。十数年ぶりの貸し切ったようなシネマでの鑑賞も。懐かしい看板も。

                       

                        

 老いた体に沢山の元気を頂いた2泊3日だった。


                                  

出札移動

2023-02-17 09:32:31 | Weblog
 昨日から、一足先に北海道グリーンツーリズムネットワークの集まりのために、出札移動してきました。
道中、所々での降雪に見舞われましたが、今年初めての札幌になりました。
ちょっとのんびり過ごして、今夕の集会(しゅ会)に参加予定です。
私的に農業公社に寄ったりの予定も立てていて有効な時間を過ごそうと思っていますが、果たして・・・。

 私にとっては珍しく、イライラ感を抑えて30分並んで待って、かなり遅い昼食をとるのんびりさ。
せっかちな私には、成長ぶりがうかがえると、ほんの少しだけ自分で自分を褒めていた心がありました。

            

 夜も少しのんびりと身内での久しぶりの再会で新年の挨拶を交わしました。
一年程ぶりに訪れたところで、久しぶりのマイクを握りおだちました。