ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

牛乳(原乳)風呂

2011-03-31 20:34:22 | Weblog
 福島の酪農家の知人のブログを見た。1ヶ月前にお会いした方だ。
幸いにして地震では大きな被害はなかったが、集乳停止や工場の閉鎖で搾った原乳(生乳)は廃棄していて
やっと出荷出来るようになったら、今度は放射線汚染で出荷停止になり、廃棄し続けているという。

 私はそのブログを見て笑ってしまった。搾ったお乳をそのままホースにつないでタンクに貯めて、牛乳風呂に
したという。お子さんが入浴している様子が何枚か写真であった。(了解を得ていないのでアップできないのが残念)
搾りたての原乳の温度は30度位あるから、温めの風呂だ。
いくらでも流れてくる。「源泉たれながしだ」とかかれてあった。「廃棄するなら・・・」との思いからの発想だった
のだろう。悲しさの中にも元気がでるホットな話題だとおもった。

 私もず~~と以前にどこかの温泉で「牛乳風呂」の浴槽がひとつあって、入ったことがあった。
どんな感じであったか忘れてしまったが、慣れていないためか気分は良くなかったように思う。生乳があまって初めて
の生産調整の頃だったと思う。

 人間の食の為に懸命に出してくれる生乳を廃棄しなければ事ほど、牛さんに申し訳ないことはないでしよう。
同業者として、現地での酪農家の人達の切ない気持ちが痛いほどわかる。

 東電や政府の並々ならぬ尽力で一日でも早い復興と素早い補償を求める以外にないだろう。
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何を書いていると思ったら・・

2011-03-30 20:11:48 | Weblog
 今日、町の農業委員会の総会があった。冒頭、今回の大震災に対しての黙祷を行った。
そして、北海道農業会議が行う支援金も送ることとした。多くの人は、色々な組織に加入している。それぞ
れの組織は募金活動をするが、それにも進んで答える。一日も早い復興を願っているのでしよう。

 用事から帰宅すると妻は車庫の中で慣れない手つきで何やら・・・?
何をしているのかと思いきゃ・・・コンパネに絵をかいているではないですか。

                         

 何となく少し分かってきた感じだ。

                         

 完成間近のようだ。顔の部分を切り抜いて、人間が顔を出し写真撮影の看板だという。
どこかで見てきたような感じもするが、来月末からオープンする「何もない静かな山奥、ぶんちゃんの里」の
開店準備のようだ。来ていただいた人に楽しんでもらうために・・。

 新しい写真撮影のスポットになれば幸いだが・・・。
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大阪の先生からのお便り

2011-03-29 20:14:07 | Weblog
 昨年の夏、3泊4日で大阪の小学校の先生がファームスティしながら酪農体験をしていった。
その先生から昨日、お便りが届いた。

 朝、5時半に牛舎にやって来て掃除からエサやり搾乳と酪農家の仕事を一通り体験した。その時に私が青空教室で使
っている「酪農体験から学ぶ事が出来る食と命の大切さ」のパワーポイントもみせてやった。
   (写真は搾乳体験でおこなっている青空教室の様子で先生のものではありません)

                              

 その時、先生にとても気にいっていただき、「子ども達にも伝えたい」とのことだったので、CDにコピーしてあげた。
1年生の担任をしているらしく、そのパワーポイントを使って「いだきます。ごちそうさま」の授業に使ったとのこと。
私が説明してあげたことをキチッと説明したらしい。

 牛が赤ちゃんを産んだ後、子供と離されたり、オス牛は食用の肉にされていく様子はとても真剣な目で見つめてい
ました。その後の給食の時間で、「これは牛さんのお乳やから大切に飲もう、これは牛さんの肉やからがんばって最後まで
食べよう」など子ども達なりに心に響くものがあったようだ、との先生の感想が書き込められいた。

                                 

 そして、その授業での子ども達一人一人の感想も同封されていた。
27名分の感想の多くは「牛さんがお肉になってしまうのがかわいそうだ」とか「牛さんのいのちをもらっているので
きゅうしょくをがんばってたべます」「牛はこどもをうんでおちちをだすんだね」「いただきます、をおしえてくれて
ありがとう」などなど・・・。

 僅か3日間の先生の酪農体験が小さな子ども達の心に届いたのかと思うととても嬉しく感じた。

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被災した牛を思うと「お前達は」・・・

2011-03-28 20:03:45 | Weblog
 昨日の雪と違って1日中晴れわたった最北。
そんな晴天の中、我が家の牛ちゃん達は久しぶりに外へ出て、雪中の中で飛び跳ねた。
 
 大震災で搾られた生乳が捨てられたり、食べたい餌も食べられず、原発で大変な目にあっている多くの牛たちが
いることを思うと「お前達は幸せだ」と飛び跳ねる姿を見てしみじみと感じてしまった。と同時にそんな牛の世話
をしている酪農家のみなさんの胸中を改めて・・・。

 時間がたつにつれ牛ちゃん達も静かになり、何かを見つめているような感じの姿もあちこちにあった。
そんな牛ちゃん達の姿を見ていると「震災した牛たちの事を思っているのだろうか」深読みしてしまう。

                           

 牛の中にはそれぞれ色々な表情を表す。その表情や動作から勝手な事を想像してみる。
2頭で顔を合わせ「黙祷でもしているのだろうか」と・・・。

                          

 震災や原発で苦しめられている牛たちが、1日も早く日常の生活に戻ってもらいたいと祈らずにはいられない。

   
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減らない積雪

2011-03-27 19:55:11 | Weblog
 風も冷たく寒い日々が続いている。
震災の被災地でも厳しい冷え込みだと聞く。雪のちらついている映像がテレビで写されている。

 最北(我が家周辺)も今朝はマイナス10度。このところ吹く風も冷たく雪解けが進まない。少雪だった今冬で
早くに雪が溶けるのを期待したが、全く減らない。

 今日も、朝からシンシンと降った雪は午後までに我が家の前で15㎝程になっただろうか。黒色の舗装を全面的に
出していた道も半日で真っ白に・・。
 
                           

                          

                          

 昨日、十勝の友人からのメールには「畑の雪もすっかり消え、陽当たりの良いところではフクジソウが顔を
出してきました」とありました。まだ50㎝以上の積雪の我が家。やっぱり時期が来ないと・・・。

 減らない積雪・・・ハウスの中を行ったり来たりしているが、少し大きくなってきた野菜の苗を見て、減らない
積雪に少しウンザリ。畑への定植までまだまだ先のさき。「やっぱり早く播きすぎたか」と反省顔も・・。 
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黙祷

2011-03-26 14:23:00 | Weblog
 昨日から出札出張だった。北海道農業会議の総会で全道からそれぞれの市町村の農業委員会長や事務局長など
200名以上が集まった。往復8時間の移動時間だから距離の遠さとアクセスの大変さが・・・。
車とJRの移動で、贅沢な言い方かも知れないが移動中はとても疲れる。いつものことである。

 会議では冒頭、今回の震災に対する黙祷が出席者全員で行った。短い時間ではあるが目を閉じると様々な事が脳裏を
かすめ、涙が落ちそうになるのは私ひとりではなかっただろう。
各界の挨拶も冒頭、震災に対するお悔やみやお見舞いから始まる。そして支援をすることも・・・。

 被災にあった方々に黙祷を捧げることも、支援のひとつになるのかも知れない。

                        

 総会は、提案された議案を全会一致で承認された。そして、各地で長年にわたって活躍されている農業委員等の
みなさんに表彰状の伝達も行われた。
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穏やかだった北オホーツク海

2011-03-24 19:56:08 | Weblog
 市街地からオホーツク海沿いを走る国道を通って自宅に戻った。
いつも見る光景だが、陽当たりも強く道ばたの雪も溶け、真っ青で波も静かなオホーツク海。何十年と走り慣れた
道であっても、「春近し」の為だろうかなんだか気持ちを落ちつかせてくれていた。

 そんな思いからのんびり走っていたら、色々な事が脳裏をかすめた。
「今、この穏やかな波が5㍍だったら、10㍍だったら・・あるいはそれ以上だったら・・・」
なにげなくラジオのスイッチを入れてしまった。そして、車の速度は急に早くなった。

 あの日はこのオホーツク海は注意報だった。私どもの集落の旧小学校が災害時の避難場所になっている。
2名の人が一定の時間自主避難していたと聞いた。近海で50㎝ほどの潮位の変化があったと・・。

 穏やかな北オホーツク海・・いつまでも、いつの日も穏やかであって欲しいと思った。
 

  
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被災地への互いの思いが・・・

2011-03-23 20:23:53 | Weblog
 今回の大きな地震や津波、原発への被災地へのご見舞いの言葉や思いが多くのブログやHP、MLなどで
述べられている。そうした書き込みから新たな情報や被災状況も知ることができる。

 私も何度か自分の日記に書き込んできた。その書き込みを沢山の方々に閲覧、訪問していただいた。
そして、被災にあった人、心配している人達からの書き込みもいただいた。

 そんな中から「aiaiさんのブログ、蒼い夢の歌」に出会った。  

     http://pub.ne.jp/aoiyumenouta/
                 
千葉県の在住の方で今なお、日々多くの余震にあいながら被災地の心配をし、ブログに書き綴っている。
被災地の酪農家の方の心配も沢山いただいている。

 aiaiさんのブログに私の日記の事が紹介されていて、恥ずかしい限りではあったが「被災地へのお互いの思い」が
ブログを通しての出会いになることを思い、今日の私の日記の話題にさせていただいた。
 
 aiaiさんには、私の住んでいるところまで調べていただいて、感謝に耐えません。
是非機会があったら日本最北の地まで足を運んでいただきたいものです。ネットのすごさに感謝して・・・。
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雪原を歩く老体

2011-03-22 19:37:08 | Weblog
 陽が照らしはじめた頃の午前8時半頃、雪原の上を歩く老体があった。
この時期、陽が高くならない間の雪原は固い雪になっていてどこにでも歩いていける。それは、日中の暖気で雪が柔らかく
なり、朝夕の低温で凍結してしまうからだ。広大な雪原を独り占めしたかのように散歩するにはとても楽しい。
おそらく老体もそうであったのだろう。

                           

 老体は止まって何かを見つめているような姿だ。老木でも眺めているのだろうか。
時々北キツネやシカに出会うこともある。今の時期だからこそできる体験かもしれない。我が家周辺では、これから4月中旬
まで溶けたり凍結したりをくり返しながら、雪は段々と減っていく。途中至る所で春の息吹を感じさせながら・・・。

 そして、4月下旬には黒色の大地が顔を出す。まだ、1ヶ月先のことだ。

 
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いつもだったら賑わっていたが・・。

2011-03-21 19:42:55 | Weblog
 いまの時期、小さな集落でも小学校があることによって小さな賑わいを見せる時期であるが、人影を見ることも
なくひっそりと近代的な旧校舎だけが毅然とそびえ立っている。

 小学校の開校以来昨年まで、3月は先生方との別れの月として杯などを交わす機会も多くあり集落の中に刺激を与え
住民のコミュニティの輪が高まる時期でもあった。昨日も古老のかたと言葉をかわしたが「送別会もなく寂しいですね」と
語ってくれた。「その内楽しい事がありますよ」と私は元気に言葉を返した。

                           

 校舎の前には広いグランド。そのグランドの前には見た目は新し住宅3戸。教員住宅だった。今の所誰も入居する
人もなく、寂しそうにたっている。

                           

 こうした光景は別に珍しいことではなく、多くの集落で目にすることでもある。
この住宅を町では今年、3戸の家の1軒を生活用品をそろえ、都市の方々に田舎での生活体験をしていただく
「ちょっと暮らし」の住宅として提供する計画だという。
とても素晴らしいアイディアだ。超高級品の大自然が溢れ出る田舎での生活、きっと活用されるだろう。そして、瞬時
ではあっても集落が繁華街へと変わっていくことを期待したい。

 昨日言葉を交わした古老は別れ際に言った。「あの学校が大震災にあった東北地方の子ども達の学校として使えたらど
んなに役立つだろう」と・・「船で運ぶわけにも行かないしね~」と少し遠くを眺めて語っていたことが印象に残った。

 私は、「がれきの中に土のついた多数のランドセルが写っていた新聞の写真」を脳裏にかすめながら古老と別れた。    

 
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