キムチ作りが名人のヤキモノ屋さんからの頂き物。
チャンジャそのものは、タラの食道から胃袋までのキムチなんだけど、作る過程で『干し大根のキムチ』を加えたり、追いトウガラシがあったり、仕上げに胡麻油があったり…という末に出来上がる逸品である。
到底自分では再現不可能な複雑怪奇・重厚長大なレシピなので、有難く賞味するのみ。
頂く時は、「殿からの贈り物を拝領する家臣はかくあるべし」かのように押し頂く。
まさに下賜。だって、作れないもんね。リスペクト!
在日二世ということもあり、いろいろとキムチ通な方。
「日本のキムチは発酵食品とは言えない」というのが持論で、小生のキムチリテラシーを上げてくれた。
野菜の下処理、発酵の浅さ深さ、トウガラシの種類、その切り方、油の使い方、合わせるもの、動物性の旨味、時間…。
その人が「夏にはこれが良いよ」と教えてくれたのが、水キムチ。
サラダ感覚のキムチでサッパリしている。作るのも簡単で失敗が無いし、バリエーションはいくらでも。
夏に作るので発酵が早く (→作るのが早い=小生向きレシピ)、ついうっかり忘れる心配が無い。
作るの2日、食べるの1週間。
ひと口にキムチといってもイロイロ。
一国を代表する食文化は、場所ではなく個人の中に深く脈々と受け継がれていると思う。
場所・環境が変化しても、柔軟に受け止めて創意工夫で緩やかに変化し進化していく。
そして、美味しい文化交流の果てにある『グローバル化する食』と『パーソナルな食』は、相反するように見えつつもハイブリッドされ、また個人の中に蓄積され受け継がれていくもの。それが愉しい。
今は野菜の端境期であるけれど、これから先に出会う味がお楽しみ。
そんなことを思いながら、しみじみと大切に頂いています。
(冷蔵庫の一番高い棚の奥の方に秘蔵中)
チャンジャそのものは、タラの食道から胃袋までのキムチなんだけど、作る過程で『干し大根のキムチ』を加えたり、追いトウガラシがあったり、仕上げに胡麻油があったり…という末に出来上がる逸品である。
到底自分では再現不可能な複雑怪奇・重厚長大なレシピなので、有難く賞味するのみ。
頂く時は、「殿からの贈り物を拝領する家臣はかくあるべし」かのように押し頂く。
まさに下賜。だって、作れないもんね。リスペクト!
在日二世ということもあり、いろいろとキムチ通な方。
「日本のキムチは発酵食品とは言えない」というのが持論で、小生のキムチリテラシーを上げてくれた。
野菜の下処理、発酵の浅さ深さ、トウガラシの種類、その切り方、油の使い方、合わせるもの、動物性の旨味、時間…。
その人が「夏にはこれが良いよ」と教えてくれたのが、水キムチ。
サラダ感覚のキムチでサッパリしている。作るのも簡単で失敗が無いし、バリエーションはいくらでも。
夏に作るので発酵が早く (→作るのが早い=小生向きレシピ)、ついうっかり忘れる心配が無い。
作るの2日、食べるの1週間。
ひと口にキムチといってもイロイロ。
一国を代表する食文化は、場所ではなく個人の中に深く脈々と受け継がれていると思う。
場所・環境が変化しても、柔軟に受け止めて創意工夫で緩やかに変化し進化していく。
そして、美味しい文化交流の果てにある『グローバル化する食』と『パーソナルな食』は、相反するように見えつつもハイブリッドされ、また個人の中に蓄積され受け継がれていくもの。それが愉しい。
今は野菜の端境期であるけれど、これから先に出会う味がお楽しみ。
そんなことを思いながら、しみじみと大切に頂いています。
(冷蔵庫の一番高い棚の奥の方に秘蔵中)