南無煩悩大菩薩

今日是好日也

蝶柄。

2008-09-08 | つれづれの風景。

野戦でも、平地と森林地帯の戦いにおいてでは、兵士達は、違った迷彩服を着用する。

環境への溶け込みかたは、その生存戦略の基幹をなす情報を教えてくれる。


ある蝶柄の蝶がそこに止まって休んでいる。せわしない警戒感は感じられない。

梅の木とその切り株の環境パターンが、自らの生物的特徴にとって、生存に不可欠な休息場所と認識するこの能力は、覚えたものではなく、備わった能力だ。

青色の虫は、決してこのような色彩の場所は選ばないだろう。

私達人間の眼から見れば、識別可能だが、彼等にとっての仮想敵、即ち捕食者の認識するパターンレベルでは、十二分に迷彩という機能に達しているはずだ。


この蝶柄は、敵を騙している。という風に受け取るべきではないだろう。

逃れられる可能性がよりたかい。という戦術によって逃れられない生存競争を優位にしてきた故に、備わったものだ。

騙る事のできない、つまり話し合いで解決がつくような相手では無いものへの対応が、天敵対策の基本戦術だろう。

自らの柄とその環境パターンとの関係を知ってこそ、そこが戦闘地帯なのか、消炎地帯なのかを教えてくれる。

うまくいく。ということは、戦うことではなく、非戦闘戦略を成功させることである。



たかが蝶柄。されど蝶柄。

美しきは、その柄そのものに目を奪われることではなく、柄にも無いことを抑制したその実在の賢明さなのである。




私はこの蝶の天敵ではない。

だから、安心してこうして接写に甘んじてくれているように思える。


コメント
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