南無煩悩大菩薩

今日是好日也

風竹。

2008-09-19 | なんとなく落書。

見えない風を、画に取り込もうとするなら、媒体に頼ることになる。

風という触媒は、竹を媒体にみえないものの存在と役割を教えてくれる。

見えないものを、可視化させるためには、2次的なものを豊かに現し且つ見る眼の想像力に委ねるしかない。


私のかいた風は、やはり硬い。風が作られている。とってつけた取り繕い。
基本的な表現技術が稚拙な由縁である。

心技がおろそかな為に、体をなさないのだ。


上手く見せようとする事で、かえって違うものを見せてしまうことがよくある。

見えていないにも拘らず、見えていると錯覚することがよくある。


かいてみることで、至らなさを知ることは大事なことだ。

それが恥であったとしても。


見えないものを少しでも豊かに感じられるようになれば、少しは風をつかまえられるのかもしれない。

それはもう、実際の風竹に教わるしかない。

コメント
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