窓の外は陽も当っているが、時折り春の嵐なのか強い風が吹いている・・・・・と、思っていたらチラチラと小雪も舞ってきた。
何とも不可思議な天気である
9日のお昼前、三陸沖を震源とした強い地震が東北地方にあったらしい・・・・10日早朝にも。また、それに伴った津波への警戒注意報も呼びかけられていた。
岩手・大船渡港では、60センチの津波がやってきたとのこと。
反対側の日本海側では、雪の降る荒れ模様の天気とか、年末・年始以降日本各地は異常な天候に振り回されている・・・・世界を襲う天変地異の一端か。
国政の方では、相変わらず与野党双方が“あげ足をとる”騒動ばかりで、国民の関心事である景気回復・予算関連法確立などそっちのけの感にある。
一方、大学・高校入試真っ盛りの時期、先般の携帯電話を使った入試問題流出事件など常識では考えられないことが起きている。
また、日本経済の長引く低迷により、卒業を目前に控えた大学生・院生なども含めた内定率が急落・・・・・誠にもって住みにくい日本になっている。
希望の持てない社会のためなのか、家庭内・学校内における戦後教育の崩壊によるものか、マスコミメディアの影響なのか、「イジメ」それも「陰湿なイジメ」が横行し「自殺」をする若年層も増えている。
また、男でもない・女でもない不可思議な人たちが、マスコミメディアからもてはやされるなどオゾマシイ世の中になっている。
自分のストレスの「はけ口」を弱い者へ向けてしまう・・・・・幼児虐待も急増。
取り分け、先日の熊本における幼児殺害・死体遺棄事件は、どこにでもいる極普通の若者による犯行であった。
自分の欲求を満たすためには、後先も考える事の出来ない稚拙な人間による犯行である。
通り魔事件の犯人も全く同じタイプの現実と仮想が分からない、自分の置かれている立場も将来のことも見いだせない人間のなせるところであり、本当に恐ろしい世の中に成り下がっている。
「最後の忠臣蔵」の瀬尾孫左衛門、「太平洋の奇跡」の大場栄大尉などその生き方を美徳とされたのが、本来の日本人であったはずである。
「『最後の忠臣蔵』の瀬尾孫左衛門」
池波小説「その男」の主人公・虎之助が、晩年述懐している。
「いえ、いかに文明開化の世がやって来ようというときでも、人のこころなぞというものは愛憎のおもいから一歩もぬけ出すことができるものじゃございません。
愛憎のおもいというものがわいてこぬ人は、もう人間じゃない。そう考えますね。
よろこびも憎しみも、そして悲しみも、みんな上の空というやつ。こういう人間は、どうも私どもにはぴったりとまいりません・・・・」
と、嘆いているが・・・・・・”その想いが分かる”これこそが、日本人としての教育を連綿とつないできたところである。
敗戦国日本が戦後教育で封印してしまった日本人のあるべき姿の教育、そのすたれが、現代の悲劇を生んでいるものと思っている・・・・道徳教育のなさで。
まずは、個々の家庭からその教育を変えていくべきであろう・・・・。(夫)
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何とも不可思議な天気である
9日のお昼前、三陸沖を震源とした強い地震が東北地方にあったらしい・・・・10日早朝にも。また、それに伴った津波への警戒注意報も呼びかけられていた。
岩手・大船渡港では、60センチの津波がやってきたとのこと。
反対側の日本海側では、雪の降る荒れ模様の天気とか、年末・年始以降日本各地は異常な天候に振り回されている・・・・世界を襲う天変地異の一端か。
国政の方では、相変わらず与野党双方が“あげ足をとる”騒動ばかりで、国民の関心事である景気回復・予算関連法確立などそっちのけの感にある。
一方、大学・高校入試真っ盛りの時期、先般の携帯電話を使った入試問題流出事件など常識では考えられないことが起きている。
また、日本経済の長引く低迷により、卒業を目前に控えた大学生・院生なども含めた内定率が急落・・・・・誠にもって住みにくい日本になっている。
希望の持てない社会のためなのか、家庭内・学校内における戦後教育の崩壊によるものか、マスコミメディアの影響なのか、「イジメ」それも「陰湿なイジメ」が横行し「自殺」をする若年層も増えている。
また、男でもない・女でもない不可思議な人たちが、マスコミメディアからもてはやされるなどオゾマシイ世の中になっている。
自分のストレスの「はけ口」を弱い者へ向けてしまう・・・・・幼児虐待も急増。
取り分け、先日の熊本における幼児殺害・死体遺棄事件は、どこにでもいる極普通の若者による犯行であった。
自分の欲求を満たすためには、後先も考える事の出来ない稚拙な人間による犯行である。
通り魔事件の犯人も全く同じタイプの現実と仮想が分からない、自分の置かれている立場も将来のことも見いだせない人間のなせるところであり、本当に恐ろしい世の中に成り下がっている。
「最後の忠臣蔵」の瀬尾孫左衛門、「太平洋の奇跡」の大場栄大尉などその生き方を美徳とされたのが、本来の日本人であったはずである。
「『最後の忠臣蔵』の瀬尾孫左衛門」
池波小説「その男」の主人公・虎之助が、晩年述懐している。
「いえ、いかに文明開化の世がやって来ようというときでも、人のこころなぞというものは愛憎のおもいから一歩もぬけ出すことができるものじゃございません。
愛憎のおもいというものがわいてこぬ人は、もう人間じゃない。そう考えますね。
よろこびも憎しみも、そして悲しみも、みんな上の空というやつ。こういう人間は、どうも私どもにはぴったりとまいりません・・・・」
と、嘆いているが・・・・・・”その想いが分かる”これこそが、日本人としての教育を連綿とつないできたところである。
敗戦国日本が戦後教育で封印してしまった日本人のあるべき姿の教育、そのすたれが、現代の悲劇を生んでいるものと思っている・・・・道徳教育のなさで。
まずは、個々の家庭からその教育を変えていくべきであろう・・・・。(夫)
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