その1969年刊の数学公式集の電子計算機の部に出てくるディジタル型電子計算機は、後にメインフレームと呼ばれる大型機のことを指すようです。
中央処理装置(CPU)はもちろんトランジスタとダイオード(と抵抗とコンデンサ)で構成され、集積回路と書いてありますが、TTLのような小規模なモノリシックICなのか、今で言うモジュール型とかハイブリッド型の小型のプリント基板に単体トランジスタなどを半田付けしたものなのか、のどちらも指すと思います。
今で言う主記憶に相当するメモリは内部記憶装置と書かれていて、磁気コアが普通だったそうです。私も初めて仕事に使ったミニコンの主記憶も磁気コアでした。1977年に登場した、当時スーパーミニコンと呼ばれたDEC VAX-11/780の主記憶も磁気コアですから、いわゆる仮想記憶マルチタスクOSも磁気コア時代に生まれた、ということ。
外部記憶の説明は初っぱなが磁気テープ装置で、当時の映画ではコンピュータを示すときに必ずこの装置の外観が映されていたと思います。カクカクっと不連続動作したり、高速に早送り/巻き戻したりするのが絵になるからでしょう。当時はまだCPUの筐体にはコンソールと称する電球とスイッチが並んだパネルがあったと思いますから、その電球がちかちか点滅するのも映されていたと思います。
外部記憶の次が磁気ディスクになっていて、もう当時から主流になっていたようです。
その次の磁気ドラムは私が本で読んだ限りではトランジスタが安定するまでは主記憶として使われていたと思います。
では、紙カードや紙テープは何かというと、これは入出力装置の媒体です。
入力装置の代表がカード読み取り装置で、この場合のカードはIBMの80欄のパンチカードを指します。一枚が新書程度の大きさがあって、長方形の小さな穴が情報を示していて、元々は数字の0~9しが表せなかった感じで、うまく工夫してEBCDICの8bit情報を1欄で表していました。つまり、1カードあたり80バイトの情報量です。読み取り速度は200~1000枚/分ですと。そして何と、これが電子計算機のメインの入力です。
出力装置の筆頭はラインプリンタで、1行132文字程度で、毎分200~1200行の印字と書いてあります(ラインプリンタ用紙は66行毎にミシン目が付いていて、1ページとして綴じる。)。この速度でも当時は驚異の高速印刷でした。どうやって実現できたのか、興味ある方は調べると面白いと思います。よくこんなの考えたこと。もちろん漢字などは無理筋です。上述のアルファベットなど8bitの範囲のキャラクタのタイプライタみたいな印字です。
その下の方にカード穿孔機の説明があって、しかし、私の記憶ではこの3セット、つまりカード読み取り機とカード穿孔機とラインプリンタが大型機のメインの入出力で、当時のFORTRANなどの入出力はこれらを前提としていました。
XYプロッタなど、特殊な入出力装置は当然、特別扱いです。
ミニコンではさすがに紙カードを大量に用意するのは無理で、紙テープが入力と出力に用いられ、ラインプリンタの代わりに当時、海外では普通に通信手段(テレックス)として使われていたテレタイプが用いられたと思います。テレタイプにはキーボードが付いていて、紙テープに穴を開ける場合に使用し、通信時はその穴の空いた紙テープを付属の読み取り装置で読ませ、受け側はそのままロール紙に印字するか、紙テープに穿孔させます。
OSへの指令は、ミニコンでは早々にテレタイプのキーボードからの指令になっていたと思います。
このテレタイプ付属の紙テープ読み取り/穿孔装置は比較的に低速なので、ミニコンのラックにはコンパイル時などに使う高速の紙テープ読み取り/穿孔装置が付いていました。
長々と思い出話をしました。これは当時は電子計算機の常識ですから、当時のコンピュータ関連の文献を読むときには、こうした今ではレトロな装置を思い浮かべないと妙なことになると思います。