まったり アイマス2

アイドルマスター2 超ライトユーザーのプレイ日記

3471. 計算、続き^3

2021年07月26日 | 日記

 ですから、私が大学に入って必須では無い電子計算機の講義を受けたときは、その古いFORTRANで、NECの大型機だったか、で、授業のレポートは80欄のパンチカードで創作プログラムを1個作って、ラインプリンタの出力を提出する形式でした。
 パンチカードは50枚くらいが一組で大学生協で購入。カード穿孔機はセンターに行くか、なぜか教養部の廊下にぽつんと1台設置されていました。穿孔機はカードに穴を開けるだけですから、すぐには動作しません。プログラムを作ったら、センターの所定の棚に置くと、翌日くらいにラインプリンタの結果が受け取れます。ここで狙いの出力でなかったら大変で、また2日かけてやり直しです。

 まあなので、NECのPC-8001 (1979年)等は画期的な装置でした。世界初とも言われるモノリシックICによるCPU、インテル4004は1971年。ホームコンピューティングに使えるCPU、インテル8080は1974年。16bitの8086は1978年。IBM PC-AT (1984年)に使われた80286は1982年。32bitの80386は1985年、Windowsが実用的に動作した80486は1989年です。このあたりはあれよあれよの感じでした。
 PC-8001やAPPLE IIあたりの8bit機は大型機とは比べものにはなりませんでしたが、意外に高度な技術計算も何とか可能です。
 80286になるとミニコンと同等となり、80486ともなるとスーパーミニコンと同等となってしまって、大型機は急速にサーバーとしての役目に追いやられて行った、と思います。

 パソコンが席巻する直前に、大型機などに多数のビデオ端末を接続する、タイムシェアリングシステムが一瞬、流行したことがあります。これはイーサネットが普及する前は大した威力でした。しかし、イーサネットは画期的な発明で、一本のケーブルでミニコンと多数の端末を繋ぐだけで無く、パソコン同士も繋がってしまったので、今のようなファイルサーバーやデータベースと現場のパソコンの組合せで充分になりました。


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