選択公理の本はほぼ半分までを読んで、後半は公理的集合論で一階述語論理の話に入って行くのでじっくり読まないといけないので、ここで前半のまとめを。
要するに、数学者が修飾語無しで選択公理と言う場合は、非加算個の集合からの選択を指すようで、数学を豊かにはするものの、激しいパラドックスを引き起こすのはこの部分だそうです。
選択公理に似た感じの言説はいくつかあるようで、その中でおそらく一番弱いのが「可算選択公理」で、私を含む普通の人が想像する「集合からの選択」はこれだと思います。で、その最弱公理を認めさえすれば、何と、関数の連続性(コーシー列やε-δ式定義)の定理もルベーグ測度(長さ・面積・体積・確率などの根拠)もあっさりと証明できてしまうそうです。
この時点では悪性のパラドックスは発生しないと言うことで、何とも拍子抜けです。つまり、現代文明を支える実用数学の広範な部分では何らのパラドックスも生起しない、ということ。
じゃあ数学者の頭の中はどうなっているのだ、なのですが、私の想像ではいわゆる高階の述語論理を駆使しているようで、目の前にある機械が動く、とは別次元の感じのようです。ようです、というのはさすがにここまで来るとはっきり書いていない上に、一階述語論理でさえも一見不思議な動作をするので、それとの区別がまだ私にはしっくりきていないからです。ちなみにこの分野の重要単語である「ボレル集合」は3階述語論理の話のような気がしてきました。定義は割と簡単な文章ですが解釈は難しそうです。
引用すると可算選択公理は「Tが可算集合で、その要素がすべて空でない集合であるならば、Tの選択関数が存在する」との言説です。
以下、私のフィーリング理解に突入するので要注意です。これを数学の試験、特に理学部数学科の授業などで披露すると零点を喰らう可能性があります。
私の関心は機械、特に計数型電子計算機で動くかどうかなので、チューリングマシンを想起します。メモリは左右に無限に続く紙テープで、一個の区画に一個の記号(アルファベット)が入っていて、一区画を読んで演算装置で計算して、同じでも良いですが任意の区画に計算結果の記号を書きます。そこに書かれていた以前の記号は消失してしまいます。
で、その記号の中に実数を含めたい、ということ。特に分数と小数の交換ができることで循環小数も無限に続きますから無限のメモリが1個の区画の中に入っていて、そのメモリ内容に分数が指定されると一瞬にして(可算)無限個の内容(基数)が入れ替わります。それが有限の計算時間で可能ということ。
一見、現実化は不可能に思えますが、実用的にはオンデマンドで求められる精度内の計算をすれば良いです。つまり小数点以下何桁か以降の計算はとりあえず放っておきます。なのでそれ以上のメモリは確保しません。
計算機科学で言う遅延評価です。通常、プログラミング言語の関数の引数は呼び出し時には確定している必要があります。しかし、それが(サブルーチン内で)参照される時に計算するのが遅延評価です。必要な時にはいつでもいくらでも計算できますよ、の考え方です。
これなら現実の機械で動作させることが可能のような気がしませんか?。これが現在の所の可算選択公理の私の解釈です。が、数学の証明ほどの精度で説明できるのかどうかは心許ないです。