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AEOCの2枚

2014-10-05 | JAZZ
最近は、余り聴かないAEOCのレコードを、久しぶりに聴いて見ました。
1970年代当時、よく聴いたAEOCですが、わが家の収納スペースの関係から、今では大半が手元から離れてしまいました。

その前にAEOCとは、
シカゴのアフリカ系アメリカ人音楽家による自助組織「AACM」
(Association for the Advancement of Creative Musicians、1965年発足)のメンバーによるフリー・ジャズ・バンドで、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(Art Ensemble Of Chicago )の頭文字の略です。
前身バンドであるロスコー・ミッチェル・セクステットが1966年に結成され、1968年にレコード・デビューしています。
その後、メンバー・チェンジを経てロスコー・ミッチェル・アート・アンサンブルとなり、1969年に渡欧し、最初にヨーロッパで認知されました。
70年には、5人目のメンバーであるドン・モイエ(perc)がパリで加わってヨーロッパを拠点に活動した後、71年に帰米し、アメリカでも受け入れられることになりました。
彼等の音楽が「革新的」で「前衛性」を保っていたのは70年代半ばまでですが、その後も伝統的なものも組み入れながら、ブラック・ミュージックの旗頭として90年の初めまでは不動のメンバーで活動していました。

「BAP-TIZUM」 ATLANTIC SD 1639 1972年9月作品
   
1. INTRODUCTION BY JOHN SINCLAIR
2. NFAMOUDOU - BOUDOUGOU
3. IMMM
4. UNANKA
5. OOUFFNOON
6. OHNEDARUTH
7. ODWALLA
メンバー5人は、ステージ上に膨大な数の楽器を並べ、それらすべてを演奏するのですが、ここでは各人の主楽器のみを記載しました。
LESTER BOWIE(tp) JOSEPH JARMAN(reeds) ROSCOE MITCHLL(reeds) 
MALACHI FAVORS(b) DON MOYE(perc) 

このアルバムは、1972年9月9日、米国ミシガン州のアナーバで行われた「ブルースとジャズのフェスティバル」からのものです。
短いイントロの後、打楽器による連打からスタートし、次の曲ではメンバーによる叫び声も聞こえてきます。
そしてベースの導入後にメロディアスなサックス・ソロがあり、フリー・インプロビゼーションと打楽器の入り交じったサウンドに繋がっていきます。
6番目の15分にも及ぶ曲も、大半は打楽器の連打によるもので、混然とした演奏が続いた後、彼等のテーマ曲でもある「オドゥワラ」でフィナーレとなっています。

70年代の活動の中で、1974年には初の日本公演が実現、78年にはECMレコードに移籍し、更に知名度を高めていきます。
また80年代後半には日本のレーベルDIWと契約し、そこでの第1作「Ancient To The Future, Vol.1」(1987年)では、多くのカバー曲(デューク・エリントン、オーティス・レディング、ボブ・マリー、ジミ・ヘンドリックス、フェラ・クティ)を収録しています。

手持ちのCDの中で、珍しい1枚も取り上げてみました。
1992年に発売されたセロニアス・モンクに捧げたトリビュート・アルバム
「Thelonious Sphere Monk: Dreaming of the Masters, Vol. 2」、
ここではフリー・ジャズ・ピアニストの巨匠、セシル・テイラーと共演しています。 
「ART ENSENBLE OF CHICAGO with CECIL TAYLOR」 DIW - 846 1990年3月作品
 
1. DREAMING OF THE MASTERS
2. INTRO TO FIFTEEN
3. EXCERPT FROM FIFTEEN PART 3A
4. ROUND MIDNIGHT
5. CASEWORKS
6. NUTTY
7. DREAMING OF THE MASTERS
LESTER BOWIE(tp, flh, perc) JOSEPH JARMAN(reeds, synth, perc) 
ROSCOE MITCHLL(reeds, perc) MALACHI FAVORS(b, perc) 
DON MOYE(perc, p, vo) CECIL TAYLOR(p, vo, perc)

このアルバム、
セロニアス・モンクに捧げるという副題が付いていますが、モンクのオリジナル2曲(4, 6)以外はその欠片も現れません。
一方、モンクの曲にセシル・テイラーは参加していません。 
そのセシル・テイラー、
モンクへのトリビュートであっても、こちらもモンクの影は見当たらず、彼のピアノは相変わらずパーカッシブなタッチです。
特に3曲目などはAEOCとセシルの即興による応酬が緊張をもたらしています。
遡って2曲目などは、ピアノを全く弾かず、「ヴォイス」で参加しているパートもあります。
AEOCとセシル・テイラー、
異色の共演ではありますが、もう少し聴いていたいと思わせる凡そ62分の演奏です。

その後のAEOCは、
93年にジョセフ・ジャーマンが脱退し、残された4人は98年に「Coming Home Jamaica」を発表するも、99年レスター・ボーイが死去。
再びジョセフがバンドに復帰するが、2004年にはマラカイ・フェイバースも死去。
バンドは、新たなトランペット奏者とベーシストを迎えて活動を続けています。


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