ふと、今朝のお題は、ってわけだ。
生産性を上げろ!の合唱、モノゴトを効率よく、とか、スピード感を持って。
なんて標語が、インテリゲンチャの証、みたいな風情濃厚な令和だったけど。
現在の状況、早い話が、COVID-19のよる「パンデミック」だと、科学信仰がいや増すわけで。
科学?
そりゃ、大事です、人様の命、救うからね、と。
なので、人みな、にわか科学者になり、って絵柄でもあり。
しかし、表題に逆ドライブがかかり、結果、自粛ってのは、あえて「無駄をすること」と定義もでき。
たぶんね、ポストCOVID-19と言う時代を想定すると、無駄への翼賛、賛嘆なんてことになるのかも。
もちろん、言葉は変わっているんだろうけど。
ここまで書いてきて、今朝の表題はいいな、と自画自賛していたので、少し時間が経ってしまった。
この誘惑によって、ホモ・サピエンスの思考回路がどれだけ変容しちゃったか、ってお題だ。
価値観が、価値の創造が、どれだけ影響を受けてきたか、そして、ピークに至りそうか。
なんてことね。
だから、ぼちぼち、自然の営みに沿って、とかさ。
そもそも、とか。
この地球、とか、人って、とか、さまざまな問いがシンプルなかたちでやってくる。
だって、「無駄な時間」が多くなったからね。
生産性向上とは真逆な立ち位置が、ある意味、強制された状態。
いろんな人が、煽るからね、東京は、凄まじいことになる、日本は、アメリカ以上になる。
とかさ。
そうだ、アメリカ以上になるかもよ、しかし、それはパンデミックが、と言うより。
人として生きるにおいての本源的な部分へ立ち帰る、という意味においてね、と断り書きあり。
だけどね。
もっとも、こうなると、どこよりも、とか、誰よりも、とかの標語が虚しく響く。
比較の話でもなく、ヘイトスピーチでもなく、ニッポンすんごい運動でもなく、ってわけだ。
自尊。
すべては尊天にてまします、なんだからね、サナート・クマラも言っている。
今朝はたくさん時間があるので、短いブログしか書けません。
なんて芥川龍之介を気取って、このあたりにしときます。