このところ、鳥とか花とか、そういったものが五感にやってくる。
と言うのか、意識がそちらに向いているのか。
例えば、これ。
タンポポ。
ほのかな風に揺れていたんだけどね、今朝見たら。
すでに、各所各方面に飛び散って行った後だった。
昨日だったか、日経の「明日への話題」と言う夕刊コラムに、篠田さんという作家さんが書いていた。
COVID-19がらみね、環境破壊によって。
「特定の地域で特定の生物と平和共存していたウイルスを解き放って、
ヒトの細胞という絶好のエサと住処を大量に与えた」
のがパンデミックじゃない、なんて。
人工的か、自然発生か、なんて議論もある中、たしかに、これ、ありかもだな、と。
と同じことが、わがヒトの間でも起こっていて、さしずめ、外食屋さんがお弁当屋さんに変身しつつ。
なんてのも、似たような話でもあるね。
「エサと住処」がどこにあるかなんて、誰にもわからず、ああじゃね、こおじゃね、と喧々諤々。
ってことを、社内戦略会議であったり、脳内試行錯誤であったり、ってのを繰り返し。
ルネッサンスが登場、って仕掛けだな。
わが建設業界なんかでは、首都圏からの職人さんへの恐れ方、忌み嫌い方?ってのは。
まるで、関東大震災での朝鮮人大量虐殺、みたいな風情でもあるからね。
あるいは、首都圏ナンバーの車、とかさ。
この、恐れを、どうしたら、ルネッサンスへと導引できるか、ってわけだ。
リアルな首都圏の人士方への恐れ、って、とりもなおさず、自身の命への、暮らしへの、もっと言えば。
自分の中に隠す生存本能からの発症なんだろうからね。
そういう意味では、本音で語ろう!の本音だな。
だから、そこに小さな萌芽が見えるわけだ。
お為ごかしや慮りや忖度や空気読みなんかからは、新生地球、は生まれません、きっぱり。
ってとこだな。
もっとも、こんな書き方ってのは、語弊、誤解、誤読の宝庫、でもあるけれど。
いずれにしても、自分の中に眠る、隠れてる、恐れなら恐れ、喜びなら喜び、ってのに。
真摯に向き合う時処位を与えてくださった、このタイミングをいかにせむ、とも。
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