まわりで起こっていること

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安否確認のドブ掃除

2021年04月19日 | Weblog

昨日は、拠なき事情にてブログはお休み。

って、表題なんだけどね。

村のできごと、町内会のドブ掃除が朝も早よから、って次第で。

のだけれど、下水道はそれなりに整備され、泥がたまることも無くなって、ついでに。

界隈は高齢化、の波に抗えず、ってこともありで、結果、ああでもないこうでもない。

なんて話を、10何人か、僕ともう一人だけはタバコを吸いながら、という情景。

のなかで、相方からの言葉を表題にしたのでした。

別段、一年に一度やらなくても、だけど、ご近所さんの安否確認くらいの気分で、ってわけだ。

流通が今のようになるずっと前には、北街道というのは、幹線道路でもあったんだろうから。

それに、何本かの小さな交差点のあるところなので、お店が小さな隆盛を極めもし。

だったんだろうな。

子どもの頃の記憶をたぐれば、あそこが下駄屋さん、ここが桶屋さん、饅頭屋さん。

鶏屋さん、お肉屋さん、八百屋さん、なんてお店がせいぜい100mにも満たない間に軒を連ね、だ。

木曽の奈良井の宿、とか、会津の、なんだったか、とか、もっと言えば、軽井沢の追分近くの。

マイナーな御代田の宿、の宿場町と比べるのもなんだけど、そんな具合に。

そこここに、大きなから小さなまでのプチ繁華街に軒を並べた小さな店の数々、ってことだな。

効率が悪い?生産性が低い?って。

大きなお世話だよな、と思うけれど、押し寄せる近代化の波に攫われちゃった、ってわけだ。

それらは今となれば、跡形もなく、という時間の中で生まれてきた方々からすれば。

そこには何もなく、ただ、家が立ち並び、あるいは、コンビニの駐車場になり、とかね。

歴史は、そうして、過去を過去として葬り去ってしまう、あるいは、くれる、とも言えるか。

ゆく川の流れは絶えないんだ、いつも流れていく。

流れゆく川へ刻むのが恨み、恩は石に刻む、という言葉を僕に残してくれた方、この事務所の近くの会社の。

社長さんだった。

その会社も今はない。

僕の記憶の中にはある。

朝から少々感傷的な気配だね。

今日は、妻の義理の叔父の葬儀だ。

幽界がなくなった、という言説もある今の、あちら側はどんな具合なのか、なんてのも、少し気になる。

そんな葬儀だ。

というのも、そのうち、生と死に関してのことが、明らかになる瞬間があるかも、なんて予感・関心が。

当方の現在なので。

なんてことはともかく、虹始めて見る(あらわる)、という第15候の最終日だ。

コメント
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