満潮ということなんだろうな。
勾配が鈍い川、と書いたら、夕べの、相良の御仁との会話が思い浮かんできた。
何川だったか、相良城のあった土地で、その川の周辺が隆盛を極めた時代もあって、と。
船を浮かべて艶っぽい空気も流れ、なんてことね。
それを復活させたいものだ、なんて話だった。
そりゃ、静岡、古代マレー語で天国という意味を持つ駿河の、お宝発見、という仕儀とも通じるね、ってわけだ。
かたや、ご当地清水の川が、巴川。
駿府城を作るときの石垣の石を運搬中に、川に落とした、落城につながるから使えん、ということで。
現在では巴川製紙の正門となっている、そこで作られたノート、トモエリバーがわが愛用の。
それも、北海道の女史に教えられたもので。
その紙に書き留められた言葉の数々が、僕の一日、とも言えて。
そこからインスパイアされて、次なる一日、人生、会社経営、となっていく。
今朝の珈琲は、ブラジルからのシャパドンと名付けられたもので、甘い、といっても砂糖の味ではないけど。
ところで、福島での、水の話。
アンダーコントロール、とか、汚染水⇨処理水、飲んでも大丈夫、よその国の垂れ流す水の方が放射能濃度高い。
とか。
さまざまな言葉が飛び交い、行き交い、しているけれど。
それらの言葉が刺激する世情、風評、政治情勢などなど。
どちらを取るか、どんなポジショントークに与するか、なんてことでもあり。
なんて当方のトークのポジションはどこなのか、ってことでもあるか。
真を極め、真実にたどり着く、というのも、これまた、幻想の一つでもあり。
せいぜい、その時々の、気分、または、科学的見地、見解、そうだと思われている事実。
いや、それにしても、今朝の文章は、わけわかんないね、ま、それも宜なるかな。
わけわかんないことをわけわかんなく書いているに過ぎないのだから、さ。
それについては、パンデミックも同じ、といえば同じ、違うと言えば違う。
ということで、相変わらず本来の流れに逆らって流れていく巴川を眺めながら、終了です。