まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

いつもと違う時間が流れ

2021年04月17日 | Weblog

なんて書くと、いかにも、だけど。

早い話が、先に走りを終わり、コスタリカのアキアレスと名づけられた珈琲を落とし。

さて、という時間が、7時過ぎ。

雨の、しかも大雨の予報が見事なのか、どうなのかハズレ、今日も走ることができた。

ありがたい。

この間、「エートス」というお店で、店長さんなのか、オーナーさんと呼ぶ方がいいのか。

あるいは、焙煎士でもいいか、そんな御仁との会話で、中南米の浅煎りがタバコにあいますね。

ってやつを、今朝は実践、という風情だな。

もっとも、こちらは浅煎りでもないのかな、にしても、ほんの少し、酸味も感じないこともない。

なんて朝、昨日来社された御仁と、「天国にちがいない」という映画、その標語について意気投合。

彼、そのフレーズ、どこかで聞いた、とiPhoneのEvernoteから、倉本聰のフレーズ。

『人生は、アップで見れば悲劇だが、ロングショットでは喜劇である』を探し出し。

どうやらこれは、チャップリンが言っていた言葉らしいね。

一つの瞬間、当方に引き寄せれば、「トゥルネラパージュ」で音にひたった後、さて一服するか。

とお店の外の喫煙席に座らんとした時に目に入ったポスターに書かれた、くだんのフレーズ。

そこにインスパイアされ、来社の御仁のなかの何かと絡まり、その瞬間は、どこかへ放り投げられ。

そのうち、また、何かのタイミングでやってくる、というわけだ。

というようなことが、まさに、アップの人生でもありロングショットの人生でもあるな。

悲喜劇交々、って事になるか。

そんなアップダウンがなければ、ロングで、つまり、引いてみている観客席からの視線では。

つまらない映画だよね、って。

走り終わった後の文章は、で口がいいような、なんだろう、ま、いいか。

夕べの短編小説は、谷崎潤一郎の「母を恋ふる記」だったけれど、途中で眠くなってしまったな。

内容が眠い、というのではなく、わが睡魔がやってきたんだよね。

なにせ、前日は浜松帰りなので、4時15分起床・瞑想、というわが日常では非日常だったので。

され、今日に入っていくか。

コメント
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