まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

ありがとうを100回言うと

2015年02月20日 | Weblog

脳は、勝手に、ありがとうをいう状況を探そうとする。

というらしい。

だから、いいことがつぎつぎと起こる、というね。

小林正観さんという、それ系の方が、って、それ系ってなに?

ですが。

いらっしゃったらしく、読んだこともないけれど。

昨日、ツイッターだったか、眺めていたら、そんな言葉に出会ったんだよね。

たしかに、その通りではあるんだろう、と思うけど。

こうした言い方は、好きじゃないんだな、ちょっと、技に溺れる業師みたいでね。

でも、朝起きた時、大笑いしちゃえば、気分も笑いの次元に同調し。

なんていう、笑いのヨガ、なんても、あるというからね。

今でも流行っているのか、引き寄せの法則、なんてのも、似たもので。

例えば、お金持ちになりたい、と念ずると。

宇宙は、ほんとに、素直なんで、かならず、その願いをかなえてくれる。

っての、あるでしょ。

そう、なんとかになりたい、という状況を引き寄せてくれる、ってわけで。

年がら年中、お金持ち、じゃなく、それになりたい自分、ってやつをね。

この場に現出させてくれる、つまり、年がら年中、お金のない状態を、ってことで。

そこかしこに、こういったたぐいの言葉は、散見される。

喫茶店やらレストランやらで、お水だしてくれたりね、そんな時。

ありがとうございます、とぼくは、言うんだね。

彼女、彼の、その仕草、というのか、その思いに応じる、とでもいうのか。

お金を払うお客さんだから、という条件をつけるんじゃなく。

どこのおっさんか、馬の骨か、わからない当方に、にこやかに。

お水をだしてくれる、って、とんでもなく、すごいことだしね。

それすら、当たり前化しちゃっている、心持ち、ってのを、なんとか、切り替えたい。

というのか。

例えば、洗濯だとか、お茶碗を洗うのとか、まったく、当たり前に、僕の場合。

妻に、以前は、母親にも、やってもらっていて。

ありがたい、とも感じず、朝日が昇るように、空気を吸うように、ってな感じでいたわけだ。

今でも、その類だけど。

しかし、たまに、朝の出掛けにお茶碗を洗ったりするとね。

そのありがたさを、感じるわけだ。

なんてことは、そこかしこにありそうでね。

なくしてみてわかるなんとやら、って。

とはいえ、こういったことを、自分でない第三者に伝えるとき、どうしても。

上から目線的なね、あるいは、正義の押し売り、みたいな。

そうだな、日本の戦争中、隣組の気合の入ったおっさん、おばさん、とでも言えるかね。

とにかく、これが正しいのだからこうしなさい、となりがちでね。

そこんとこ、試験に出ます、と鞭をふりふりちーぱっぱ、って、雀の学校の先生だな。

ここで、白川静さんの、正という字のなりたちでも書けば、ビンゴなんだけど。

時間がないので、やめときますが。

それはともかく、今日は、これから、東京だ。

同友会の広報情報化委員会ってのがあって、その全国交流会、と銘打ち。

バズセッションがあるわけだけど。

広報、とかってのは、こうほうしずおかからお知らせです、なんていうのでもあり。

あるいは、ゲッペルスの、例のヒットラーの部下だね、ナチスの情報相だ。

現実を、ある一定の方向へ解釈しなおし、それを提示し、というね。

あるいは、現代でいえば、原発は安全です、なんてのも、そうだし。

まわりで起こっていることを、どの角度から、どのように切り取るか、というね。

なかなか、興味深いテーマでもあるわけです。

そもそも、自分をどのように広報するか、どんな自画像を描く、なんてことにもつながり。

これ書き出したら、一晩でもたりない、って、だれの歌だっけ。

 

コメント
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