脳は、勝手に、ありがとうをいう状況を探そうとする。
というらしい。
だから、いいことがつぎつぎと起こる、というね。
小林正観さんという、それ系の方が、って、それ系ってなに?
ですが。
いらっしゃったらしく、読んだこともないけれど。
昨日、ツイッターだったか、眺めていたら、そんな言葉に出会ったんだよね。
たしかに、その通りではあるんだろう、と思うけど。
こうした言い方は、好きじゃないんだな、ちょっと、技に溺れる業師みたいでね。
でも、朝起きた時、大笑いしちゃえば、気分も笑いの次元に同調し。
なんていう、笑いのヨガ、なんても、あるというからね。
今でも流行っているのか、引き寄せの法則、なんてのも、似たもので。
例えば、お金持ちになりたい、と念ずると。
宇宙は、ほんとに、素直なんで、かならず、その願いをかなえてくれる。
っての、あるでしょ。
そう、なんとかになりたい、という状況を引き寄せてくれる、ってわけで。
年がら年中、お金持ち、じゃなく、それになりたい自分、ってやつをね。
この場に現出させてくれる、つまり、年がら年中、お金のない状態を、ってことで。
そこかしこに、こういったたぐいの言葉は、散見される。
喫茶店やらレストランやらで、お水だしてくれたりね、そんな時。
ありがとうございます、とぼくは、言うんだね。
彼女、彼の、その仕草、というのか、その思いに応じる、とでもいうのか。
お金を払うお客さんだから、という条件をつけるんじゃなく。
どこのおっさんか、馬の骨か、わからない当方に、にこやかに。
お水をだしてくれる、って、とんでもなく、すごいことだしね。
それすら、当たり前化しちゃっている、心持ち、ってのを、なんとか、切り替えたい。
というのか。
例えば、洗濯だとか、お茶碗を洗うのとか、まったく、当たり前に、僕の場合。
妻に、以前は、母親にも、やってもらっていて。
ありがたい、とも感じず、朝日が昇るように、空気を吸うように、ってな感じでいたわけだ。
今でも、その類だけど。
しかし、たまに、朝の出掛けにお茶碗を洗ったりするとね。
そのありがたさを、感じるわけだ。
なんてことは、そこかしこにありそうでね。
なくしてみてわかるなんとやら、って。
とはいえ、こういったことを、自分でない第三者に伝えるとき、どうしても。
上から目線的なね、あるいは、正義の押し売り、みたいな。
そうだな、日本の戦争中、隣組の気合の入ったおっさん、おばさん、とでも言えるかね。
とにかく、これが正しいのだからこうしなさい、となりがちでね。
そこんとこ、試験に出ます、と鞭をふりふりちーぱっぱ、って、雀の学校の先生だな。
ここで、白川静さんの、正という字のなりたちでも書けば、ビンゴなんだけど。
時間がないので、やめときますが。
それはともかく、今日は、これから、東京だ。
同友会の広報情報化委員会ってのがあって、その全国交流会、と銘打ち。
バズセッションがあるわけだけど。
広報、とかってのは、こうほうしずおかからお知らせです、なんていうのでもあり。
あるいは、ゲッペルスの、例のヒットラーの部下だね、ナチスの情報相だ。
現実を、ある一定の方向へ解釈しなおし、それを提示し、というね。
あるいは、現代でいえば、原発は安全です、なんてのも、そうだし。
まわりで起こっていることを、どの角度から、どのように切り取るか、というね。
なかなか、興味深いテーマでもあるわけです。
そもそも、自分をどのように広報するか、どんな自画像を描く、なんてことにもつながり。
これ書き出したら、一晩でもたりない、って、だれの歌だっけ。