なにを、どう、食べるか。
ってわけだ。
昨日は、箱根から帰ってきたんだけど、その際。
同行の相方ふたりと、食の話になり。
どちらも、ほぼ外食、という次第でね。
ま、デフレのビジネスモデルが、衰退はじまり、とはいえ。
外食産業も、あの手この手のご苦労の中にいるんで、そういう御仁が。
存在するのは、彼らからしたら、喜ばしいかぎり、ではあるんだろうけど。
それこそ、NHKで特集していた、腸内フローラの観点からしたらね。
待て、しばし、というわけだ。
がん、糖尿、うつ、も腸内環境の影響下で、というね。
腸内を整えたら、なんとかという難病もなおりまして、ほら、このとおり、元気です。
なんて症例も紹介されていたんだよね、あの番組で。
なので、くだんのふたりもね、高邁な哲学書を読んだり、なんやかやと。
自分の中の宇宙を、いじり倒したり、と悪戦苦闘するんだったら、ほんの少しね。
例えば、早起きして、ご飯を炊いて、手作りのおかずを作って、という作業を。
したら、まさに、急転直下、悩みごとのほとんどは、消えてなくなるかも、で。
なんてことを、つらつらと思い浮かべて。
そういえば、ちゃんりんちゃんりん、この子を見てください。
かわいそうなのは、この子です、親の因果が子に報い。
ってね、秋葉山のお祭りの見世物小屋で。
ほらほら、よく見て下さいね、上半身は人間の女性、下半身は人魚です。
って、暗い穴の中を見せられ、あら、いやだ、的な、ね。
そんなことも、あったな、と。
つまり、親の、なんだろう、悪業(あくごう)が、子どもに現れ、ってね。
なんとも、因果応報というね、孔子さんの儒教をもじったのか。
遺伝する。
お父さんも糖尿だったから、とかね。
そのまたおばあさんも、血圧高かったから、とか。
今以上に、家というもののしばりが強かった、というか、その家に依存、依拠しないと。
一人で生きていくのが辛かった時代、そりゃ。
食べるものから考え方から、家の影響下で作り上げられ。
わたしの好きなものはこれです、という錯覚に染め上げられ、ってのも、ありかも、で。
狼に育てられた、というオオカミ少女ね。
あの子だって、親からの遺伝、って、あったんだろうけど、オオカミになっていたからね。
せいぜい、その程度、くらいに考えておいて。
郷に入らば郷に従え、なんて命令されなくても、自ずからなっちゃうんだよね、たぶん。
アメリカに暮らせば、アメリカ人の香り満載に、中国孤児は、まんま、中国人に、という次第で。
そうだ、食の話だね。
いろいろと、経済やら政治やらの、二ひねり半のウルトラDとか使わずに。
シンプルに、腸内細菌に、栄養を与えましょう、くらいの軽い感じで、食というものを。
見なおしたらね、これまた、チャレンジ感満載で。
ちっちゃな自分の、エゴとでもいうのか、そこから脱して、それこそ、利他の精神ってやつだね。
100兆も生きている、という腸内のいのちたちに、慈愛をほどこす、と。
すると、それは、あるものたちは、便になり、あるものたちは、繁殖の道をたどり。
と考えただけで、なんだか、ワクワクしてくるからね。
ひところ、って、いまでもか、絆、ひとりじゃないよ、なんていい方、流行ったけど。
まさしく、人はひとつの命じゃなく、めっちゃたくさんの命とともに、そこにある。
ってわけで。
もうね、途方もない、いのちたちとの、共同作業ってのが、生きている、ってことでもあり。
というわけだ。
そうそう、昨夜は、田中会で、というネタもあったんだった。
「奥谷」という灘のお酒の差し入れもあり、仕上げに。
小唄を習っている、CMさんの初お披露目もあり、ね。
声が出てない、と遠慮知らずのみんなからの声もかかって。
楽しいひと時も、あっという間にすぎ、的な、時間が流れ。
あの短い時間の情報量ってのは、振り返ってみれば、途方もないもので。
それこそ、キュレートして、この場にご披露できれば、なかなか、味わい深いものでもあり。
人と人ってのは、そういう出会いから、作り上げられていくものなんだろうね。
と感想を述べ、本日のブログ、終了します。