という表題で、始まる、今朝のブログなんだけど。
その前に。
天河の由来、について、書き留めておこう。
一時は、芸能人にも人気があったようで、なにせ。
水と芸能の聖地、とでも言われていたのか。
なので、細野晴臣ね、YMOだったか、彼なんか。
霊能者たちの六本木、なんて言っていたらしい。
まずは、2600年前、と日本の正史ではなっているわけだけど、神武天皇ね。
和歌山のほうから熊野経由で吉野へ、という道筋をたどって、大和朝廷ができた。
という、その際、ご当地、天川で。
額づき、ひのもと、という言霊をえた。
つづいて、天武天皇が、ひのもと、から、「日本」という国名をこの地で得た。
というんだね、これ、みんな阿部さんのブログからのパクリだけど。
その後、空海さんが、悟りを開き。
「阿宇観」という、たぶん、あうかん、と読むんだろうけど、そんな境地にいたり。
といっても、この意味、調べてませんが。
次に、わが菩提寺もそうだけど、禅宗である臨済宗の、中興の祖。
白隠さんが、8日間不眠不休の修法で、「護法の神、大弁財天」という。
託宣を空海さんからいただいた、ということらしい。
まさに、オールスターだ。
この、弁財天さんが、サンスクリットで、サラスワティといい。
と、ボブ・フィクスさんの話にも続くんだけど。
早い話が、真実の我にいたるための、ガイドというのかね。
それは、弁財天さんですよ、ということなんだね。
というのが、あらまし、ではあるんだけど。
そういうことは、言葉で表現されたもので、実のところ。
その地に、自らの足でたち、言葉にならない、あるいは、五感をはずれたところで。
身にまとう、とでもいいましょうか。
そんな体験が、天河神社での時間だったのでした。
そうそう、表題でしたね。
昨日、長男坊たちが、静岡へ来ていて。
やささがし、マンションをね、物色、ということで。
二箇所ばかり、たずね、さまざま、解説をしていただいて。
その帰り、わが家へ寄ってね、それで帰京、という段取りで。
それが、夕方の6時ころ。
ちょうど、その時間は、タイのチェンマイ、やモスクワ、ロンドン、アメリカなどで。
同時に、グループ瞑想の時間だったので、ごめんごめん。
ちょっと、30分ばかり、待って、と。
彼らが帰る前、僕は二階で瞑想をしていて、階下では、彼らに母親もまじり。
笑いのたえない時間を過ごしていて、そこへ、やおら。
お待たせ、と降りてきた時の、彼女の第一声でね、お帰りなさい、っての。
なかなか、わかってるじゃん、という印象が残っていて、の表題なのです。
その彼女も、そのうち、わが娘と呼び方も変わるんだよね。
そんな具合で、数えきれないくらいの人々が、この歴史を紡いできて。
今に至る、ってわけだけどね。
しばしの時間、わが母親のテンションは、急上昇、いい子だ、いい子だ。
と彼らに、なんども語りかけ、やっと、今週末に米寿の。
という話を伝え、東京からもみんなが集まり、と。
泊まり?
天気にしたいね、といつもの言葉が出てきた次第で。
そんなことのあった翌日、今朝ですね、は。
零下だった。