まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝は窓をあけて

2014年03月26日 | Weblog
こんな具合にブログを書いているんだけどね。

そう、暖かな春の朝、というわけです。

目の前の温度計は、15度を指しているな。

娘にもらった、誕生日祝の、PC用のメガネをかけてね。

わがMacBook Proに向かっているんです。

今朝は、微妙な時間で、ラジオ体操おじおばさんたちとは邂逅せず。

いつもと違ったメンバーが、暖かくなったせいもあり。

ランニングやウォーキングやしていてね、平和な朝だよ。

クリミアで、とか、尖閣が、とか、文字面は勇ましげな事件・できごとが。

いかにも、きな臭く、またぞろ、戦争の時代到来か、みたいなウタイで、メディア的には。

扇情報道の観、なきにしもあらず、ではあるけれど。

古来、度々繰り返された、ことだと、馬謖をかさねてみると、ね。

ところで、いきなりですが。

われ、木鶏たりえず、という電報がね、南洋航海中の船に届けられた。

のは、何十年前なのか。

受け取ったのは、安岡正篤(やすおかせいとく)で。

彼、そうか、負けたか、とつぶやいたそうで。

って、戦前の話ですが、双葉山がね、69連勝で記録が止まった日だった。

というような話があり。

それで、「致知」という出版社で主催している勉強会が、「木鶏クラブ」とついたのか。

木鶏、ってのは、早い話が、木の鶏なわけで、なにごとにも動じない、というような意味なんだろうけど。

昭和の名横綱、双葉山でさえ、勝ちにはやって、こころが動いた、ということだね。

なんで、こんなこと書いてるのかな。

わがiPhoneのネタ帳に、木鶏、と、細木数子、と書いてあって。

それを見ていたので、ではあるけれど。

上記の安岡さんね、ずっと前にもご紹介しましたが、終戦の詔勅に朱をいれた、といわれ。

戦後は、政治家たちの勉強会で、いろいろと説いて。

そもそも、東大の学生の時点で、老師と呼ばれていた、という御仁なんだけど。

晩年、占い師で有名な、細木数子と結婚したんだね。

このあたりの顛末は、それこそ、もと「致知」出版の編集長と飲みながらお聞きしたんだけど。

それはおいといて、って、少々、生臭いからね。

その細木さん、静岡のメガネ屋さんへ嫁いだことがあるそうで。

某お店で、お聴きして、記憶に残っているわけです。

細木さんは、溝口敦だったか、やくざのルポなんか、書いている方との戦いが。

その筋的には、よく知られてもいるけれどね。

彼女のパワースポットが、伊勢の滝原宮だ、というのも、以前、ご紹介したんだけど。

あそこは、いいところで、それこそ、僕が、失礼ながら、サンバカ大将と呼んでいる方々と。

一度、お詣りして。

細木女史にあやかろう、というわけではなかったけれど。

あのお宮さんにも、アマテラスさんは、一時、いらっしゃって。

倭姫だったか、斎宮というのか、おつきの女性と、各地をさすらい、いまの伊勢、五十鈴川の近くに。

鎮座ましました、という次第らしいけど。

神様も、人に言えないご苦労が、いろいろ、あったわけです。

コメント
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