まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

家康替え玉説

2014年01月16日 | Weblog
この間、駿河の地には。

徳川家康さんのお好きな方が多勢いらっしゃって。

みたいなこと、書きましたが。

こんな表題、メジャーな場では、ブーイングものだね。

ま、このマイナーなブログなので、ご容赦願って。

副島隆彦という激烈な思想家、というのか、政治学者というのか。

この御仁、常葉大学で教鞭をとっていたことがあり。

家康さんの正妻と長男が、信長さんから、死をたまわった。

わけだ。

武田信玄と内通しているかどでね。

その正妻さんが、瀬名姫というらしく。

常葉大学ってのは、瀬名にあるので、12年間通う間に、ジモッティーから。

さまざま、土地に伝わる伝承などを聞きもしたのかな。

それに加えて、明治の35年に刊行された、著者名は忘れましたが。

頭に、史疑とつく、家康本があり、当時は。

徳川公爵家からの圧力で、発禁になった、らしい。

という本をネタもとにして、書いていてね。

なるほど、そんなことも、あってもおかしくないよな、と。

そもそも、歴史、というものが、というか、できごとをパーフェクトに語る。

ってことが、どだい無理な話で。

せいぜい、その時の力のあるものであったり、だいたい、みんな言ってるよ。

みたいな感じで、事実ってのは、語られたことになるんでね。

昔、「きれぎれのつぎはぎが真実として語られ」、なんて言い方だったかな。

安部公房の小説のフレーズとともに歩いていたこともあったけれどね。

我々の仲間内でも、みんなが言っているからね、というフレーズね。

あれ、おもしろくて、じゃ、ってんで。

個々に聞いていくと、だれも、言ってなかった、なんてこと、ね。

よくありがちだし。

SNSが全盛だ、と言われるので、友達、ってのが、やたら、多くなっているけれど。

実際は、ロシア革命も7人から始まった、というし。

「荒野の七人」や「七人の侍」なんてのもあるので、そのくらいが。

ま、中には裏切り者もでるかも、だけど。

ちょうどいいのかな、イエスさんたちは、12人だったっけ。

ダースだね。

1ダースの鉛筆を使った身になると、ちょっと、多いかな。

全部、使い切れなかったからね。

それはともかく、家康さんは、世良田なんとかという駿河の地の。

荒くれ者というのか、そんな名前の人と入れ替わった、という説で。

その御仁は、どこからか拾われてきて、なんとかという願人坊主(がんにんぼうず)に、ね。

そだてられた、というんだね。

この願人坊主ってのは、一応、仏の道に、なんて格好しているけれど。

その実、風来坊というのか、法の埒外に暮らすようなものらしく。

それこそ、落語の「らくだ」の結末部分にも登場して。

落合の火屋で、危うく、生きたまま、酔っぱらったまま焼かれそうになり。

あちちち、ここはどこだ?

落合の火屋(ひや)だ。

冷やでもいいから、もう一杯、というね。

下げを演じるんだけどね。

国家というのか、法治というのか、がんじがらめに縛りとられているのが。

デフォだと、疑うことも知らない時代に生きている当方からは。

なかなか、想像が及びがたいけれど。

なんの縛りも受けずに、多勢の人々が生きていた時代ってのも、あったんだろうね。

そりゃ、高校時代の担任の先生が言っていた、力は正義だよ、っての。

この歳になって、そうですね、先生、って、言いたいくらいな。

なにせ、60歳以上の世帯消費が47%だ、という、この時代でね。

つまり、年金世代、ってわけだけど。

家康さん替え玉説が取りざたされる、あの時代ってのは、この年金のかわりに。

土地の親方、というのか、戦国大名とよばれる人たちが。

俺のところへくれば、安堵してやるから、ってことでね。

ある意味、彼らが、社会保険庁の年金係だったわけだ。

もっとも、人生50年、なんて信長は言っていた時代でもあるから、厳密には。

違うけれどね。

ま、大枠の絵柄ってのは、そんなところです。

あれ、今日は、もう、1500字超えだった。

というわけで、本日も、明るく楽しく元気よく、で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする