昨日は、10時50分からの。
清水MOVIXの「永遠のゼロ」を見ようか。
と、妻とね。
ところが、洗濯やらなにやらで、結局まにあわず。
スタバで、お茶をした。
ドリプラのスタバは、喫煙席が、外部で。
膝掛けなんか、置いてくれてあったけれど、やっぱり、寒くて。
部屋内で、そうだな、2時間ちかく、話したかな。
佐藤初女さんの「家事」のことや妻が。
若い頃、好きだった音楽をもう一度、聴きたい、という気になった、ということや。
さまざまで、当たり前だけど。
自宅のベランダで洗濯物を干していると、ネガティブなマインドにとらわれる。
というので。
地球、という生命体にも、オーラというのか、その周囲を網の目のようなネットワークがはりめぐらされていて。
そこに、思考、というものが、さまざま、まといつきやすく。
時代や土地の心癖ってのが、あるようで。
なので、ベランダにも、そんなのがやってきているのかもしれないね、なんてことを。
もちろん、自分の中で、記号化がなされ、ってのもありで。
わが母親が、臨済寺というと、お墓が高いところで行くのが大変で、からはじまり。
あの家がどうしてこうして、みたいなところまでが、思考のセットにもなっていて。
と同じように、妻のベランダ、ってのも、そのでんで。
とかね。
野口五郎に、思い出は美しすぎて、という歌があったけれど。
すぎる、ということは、その逆もありで、思い出は辛すぎて、ってやつね。
とかく、まわりで起こっていることを、ありのままに受け止める、ってのは。
なかなか、骨の折れることで、見たいものを見たいように見る、ってのが、人間のデフォなわけでして。
ま、しかし、「永遠のゼロ」を見ることができなかったことで、豊かな時間をすごすことができ。
しかも、リアルにもとづいたリアルな会話ができたので。
それこそ、万事塞翁が馬、ってことです。
ところで、わがiPhoneのバッテリーの減りが、昨日あたりから、尋常ならず。
なんだけど、そのiPhoneのATOK Padというメモ用のアプリには。
「趣味と現業がいつ、どこで交差するか」なんてメモがあり、もちろん。
僕が書き込んだんですが。
いつもは、ブログネタを書いておくんだけどね。
それとか、「タバコを吸うのも珈琲を飲むのも瞑想だ」とかね。
それこそ、思考、ってのが、楕円軌道を周遊していて、一度、手元を離れると。
銀河の彼方まで、瞬時に飛んで行き、いつ帰ってくるか、わからない、というね。
そんな具合なので、メモにしておくんだけど。
上記の、オーラの蜘蛛の巣状、ってことからすると。
そこに絡めとる技法を、持っていると、一端、手元にきたやつは、離しません。
みたいな、木口小平だっけ、ラッパは死んでも離しません、ってことで、明治の頃、英雄扱いされた。
そんな御仁がいらっしゃったけど。
それも、なかなか、やっかいでもありね、ネガティブにみれば、トラウマだし。
ポジティブにみれば、便所の100ワットだし、というわけで。
思考の連続が、自分である、という。
だから、おれは、言ったことは必ず守るんだ、という雄々しい言説も成り立つけれど。
宇宙からみれば、ちょっとちょっと、それ、蜘蛛の巣にからまっているだけだよ。
なんてことにも、なるかもしれず。
ということは、「永遠のゼロ」をもう一度、チャレンジしてみたら、ってことかな。
というわけで、なんだかわからないブログを終了することにします。
清水MOVIXの「永遠のゼロ」を見ようか。
と、妻とね。
ところが、洗濯やらなにやらで、結局まにあわず。
スタバで、お茶をした。
ドリプラのスタバは、喫煙席が、外部で。
膝掛けなんか、置いてくれてあったけれど、やっぱり、寒くて。
部屋内で、そうだな、2時間ちかく、話したかな。
佐藤初女さんの「家事」のことや妻が。
若い頃、好きだった音楽をもう一度、聴きたい、という気になった、ということや。
さまざまで、当たり前だけど。
自宅のベランダで洗濯物を干していると、ネガティブなマインドにとらわれる。
というので。
地球、という生命体にも、オーラというのか、その周囲を網の目のようなネットワークがはりめぐらされていて。
そこに、思考、というものが、さまざま、まといつきやすく。
時代や土地の心癖ってのが、あるようで。
なので、ベランダにも、そんなのがやってきているのかもしれないね、なんてことを。
もちろん、自分の中で、記号化がなされ、ってのもありで。
わが母親が、臨済寺というと、お墓が高いところで行くのが大変で、からはじまり。
あの家がどうしてこうして、みたいなところまでが、思考のセットにもなっていて。
と同じように、妻のベランダ、ってのも、そのでんで。
とかね。
野口五郎に、思い出は美しすぎて、という歌があったけれど。
すぎる、ということは、その逆もありで、思い出は辛すぎて、ってやつね。
とかく、まわりで起こっていることを、ありのままに受け止める、ってのは。
なかなか、骨の折れることで、見たいものを見たいように見る、ってのが、人間のデフォなわけでして。
ま、しかし、「永遠のゼロ」を見ることができなかったことで、豊かな時間をすごすことができ。
しかも、リアルにもとづいたリアルな会話ができたので。
それこそ、万事塞翁が馬、ってことです。
ところで、わがiPhoneのバッテリーの減りが、昨日あたりから、尋常ならず。
なんだけど、そのiPhoneのATOK Padというメモ用のアプリには。
「趣味と現業がいつ、どこで交差するか」なんてメモがあり、もちろん。
僕が書き込んだんですが。
いつもは、ブログネタを書いておくんだけどね。
それとか、「タバコを吸うのも珈琲を飲むのも瞑想だ」とかね。
それこそ、思考、ってのが、楕円軌道を周遊していて、一度、手元を離れると。
銀河の彼方まで、瞬時に飛んで行き、いつ帰ってくるか、わからない、というね。
そんな具合なので、メモにしておくんだけど。
上記の、オーラの蜘蛛の巣状、ってことからすると。
そこに絡めとる技法を、持っていると、一端、手元にきたやつは、離しません。
みたいな、木口小平だっけ、ラッパは死んでも離しません、ってことで、明治の頃、英雄扱いされた。
そんな御仁がいらっしゃったけど。
それも、なかなか、やっかいでもありね、ネガティブにみれば、トラウマだし。
ポジティブにみれば、便所の100ワットだし、というわけで。
思考の連続が、自分である、という。
だから、おれは、言ったことは必ず守るんだ、という雄々しい言説も成り立つけれど。
宇宙からみれば、ちょっとちょっと、それ、蜘蛛の巣にからまっているだけだよ。
なんてことにも、なるかもしれず。
ということは、「永遠のゼロ」をもう一度、チャレンジしてみたら、ってことかな。
というわけで、なんだかわからないブログを終了することにします。