まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

永遠のゼロは永遠のままかな

2014年01月13日 | Weblog
昨日は、10時50分からの。

清水MOVIXの「永遠のゼロ」を見ようか。

と、妻とね。

ところが、洗濯やらなにやらで、結局まにあわず。

スタバで、お茶をした。

ドリプラのスタバは、喫煙席が、外部で。

膝掛けなんか、置いてくれてあったけれど、やっぱり、寒くて。

部屋内で、そうだな、2時間ちかく、話したかな。

佐藤初女さんの「家事」のことや妻が。

若い頃、好きだった音楽をもう一度、聴きたい、という気になった、ということや。

さまざまで、当たり前だけど。

自宅のベランダで洗濯物を干していると、ネガティブなマインドにとらわれる。

というので。

地球、という生命体にも、オーラというのか、その周囲を網の目のようなネットワークがはりめぐらされていて。

そこに、思考、というものが、さまざま、まといつきやすく。

時代や土地の心癖ってのが、あるようで。

なので、ベランダにも、そんなのがやってきているのかもしれないね、なんてことを。

もちろん、自分の中で、記号化がなされ、ってのもありで。

わが母親が、臨済寺というと、お墓が高いところで行くのが大変で、からはじまり。

あの家がどうしてこうして、みたいなところまでが、思考のセットにもなっていて。

と同じように、妻のベランダ、ってのも、そのでんで。

とかね。

野口五郎に、思い出は美しすぎて、という歌があったけれど。

すぎる、ということは、その逆もありで、思い出は辛すぎて、ってやつね。

とかく、まわりで起こっていることを、ありのままに受け止める、ってのは。

なかなか、骨の折れることで、見たいものを見たいように見る、ってのが、人間のデフォなわけでして。

ま、しかし、「永遠のゼロ」を見ることができなかったことで、豊かな時間をすごすことができ。

しかも、リアルにもとづいたリアルな会話ができたので。

それこそ、万事塞翁が馬、ってことです。

ところで、わがiPhoneのバッテリーの減りが、昨日あたりから、尋常ならず。

なんだけど、そのiPhoneのATOK Padというメモ用のアプリには。

「趣味と現業がいつ、どこで交差するか」なんてメモがあり、もちろん。

僕が書き込んだんですが。

いつもは、ブログネタを書いておくんだけどね。

それとか、「タバコを吸うのも珈琲を飲むのも瞑想だ」とかね。

それこそ、思考、ってのが、楕円軌道を周遊していて、一度、手元を離れると。

銀河の彼方まで、瞬時に飛んで行き、いつ帰ってくるか、わからない、というね。

そんな具合なので、メモにしておくんだけど。

上記の、オーラの蜘蛛の巣状、ってことからすると。

そこに絡めとる技法を、持っていると、一端、手元にきたやつは、離しません。

みたいな、木口小平だっけ、ラッパは死んでも離しません、ってことで、明治の頃、英雄扱いされた。

そんな御仁がいらっしゃったけど。

それも、なかなか、やっかいでもありね、ネガティブにみれば、トラウマだし。

ポジティブにみれば、便所の100ワットだし、というわけで。

思考の連続が、自分である、という。

だから、おれは、言ったことは必ず守るんだ、という雄々しい言説も成り立つけれど。

宇宙からみれば、ちょっとちょっと、それ、蜘蛛の巣にからまっているだけだよ。

なんてことにも、なるかもしれず。

ということは、「永遠のゼロ」をもう一度、チャレンジしてみたら、ってことかな。

というわけで、なんだかわからないブログを終了することにします。



コメント
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