まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雪の諏訪大社前宮

2014年01月19日 | Weblog
諏訪大社には。

上社と下社があり。

上社に、前宮、本宮と、下社は、秋宮、春宮と呼ばれていて。

昨日は、上社の前宮と本宮へ参詣した。

前日までは、雪だったんだろうか。

路傍には、雪が積み重なり、境内も雪だったんだけど。

通り道はしっかりと雪かきしてくださってあって。

昭和一桁生まれの子どもたちをエスコートしながら、お詣りしたのでした。

僕は、この前宮が好きで、とても、気持ちがよかった。

守谷山を向背に、そこから、流れてくる小川の水音が、これまた、いいんで。

その由緒書きには、清音とかの文字が見えたな。

モリヤなんていうと、ユダヤの、旧約聖書にも出てくる名前だよね。

そこから、本宮へ。

なにせ、プリウスのタイヤを、スタッドレスにしてあるので、意気軒昂、というもので。

お、すべったな、なんて感覚をもちながらも、心の中は、余裕で。

なんていっても、駿河の温暖な地で生まれ育ったので、雪道を自力で走行するのは、初めてでね。

これで、タイヤを替えたかいがあった、というものです。

本宮の駐車場では、ダルマさんの供養祭があり。

地元の役員の方々が、ダルマさんを積み重ね、その前の祭壇では、何宗になるんだろう。

お坊さんが、般若心経を唱え、ぼくも、ご相伴といえるのか、お焼香をさせていただいた。

前宮でも、この本宮でも、おばたちは、御朱印をしていただき。

足元を気をつけてね、といいながら、歩いていると。

毎日二時間歩いているから、というおじが、滑って転び。

すわ、こりゃ、骨でも折れたらやっかいだな、と瞬間思ったけれど。

事なきを得て。

近くのたき火で暖をとり、居合わせた群馬からのツアー客と談笑。

諏訪湖には白鳥がいて、今、えさもやってきてね。

なんて言葉に、おばたちは、行こ、行こ、童心に帰り。

お昼の時間もすぎたので、いつもの、諏訪湖畔のおそばやさんに向かった。

のでした。

そこは、「そば蔵」という名前で、何年ぶりだろう、店内は少し改装されていて。

ちょっと、若者風で、漬け物バーなんてのもあり、そう、案の定。

おばたちは、テーブルに漬け物てんこもりで、なかでも、沢庵がおいしくてね。

すかさず、帰りには、お土産になったのでしたが。

駐車場の雪を、ビニール袋にいれ、これまた、お土産で。

今回のおじおば会のキーワードは。

雪とおいしい沢庵とおじの転んだこと、とあいなり。

何年か後にも、語り継がれるのでしょう、ってのは、脳みそでなくて、感情というか感性というかね。

そういうものが、思い出になるんだね。

そう言う意味でも、歴史ってのを、文献学だけにとらわれてしまうと、核心部分を見落とすことになるかもね。

もっとも、残された文字以外ってのは、その時代の証拠を集めるには、骨が折れるし、ね。

なので、文献、ぶんけん、ってことにもなるんだろうな。

と、諏訪湖とは関係なさそうな話になっちゃったけれど。

出雲の地から、大和軍に追われ、この地まで逃げ延びてきた、というタケミナカタさんの。

それより、ずっと以前から、この地を治めていた、というモリヤさんの一族の住居あと。

神長官(じんちょうかん)守谷資料館は、前宮と本宮の中間にあるんだけど。

そこは、ちらっと見ながら、通り過ぎてしまったのですが。

あの方々の祭祀の仕方、というか、日嗣(ひつぎ)というのは、出雲の国造(こくそう)の。

千家さんところと似ていてね。

この世的な死を認めない、というか、見せないで、次代への継承をしていく、というね。

ところで、このブログ、当方の、精神的なバランスをとるような具合になってきて。

まるで、睡眠とか夢見が、起きているときのストレスの調整、と言われているみたいなもので。

思いの丈の全部を書いているわけではないけれど。

いずれにしても、外へ出す、ってのは、人間の基本、デフォですね。

早い話が、入れることと出すこと、人間ってのは、それだけ、とも言えて。

排泄ってのは、とても、大事なことだね。

尾籠な感じになっちゃったけど、アインシュタインの発想だって、ある意味、排泄行為、ともいえて。

いやいや、どうも、方向転換できないので、この辺りで、やめにしときますか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする