諏訪大社には。
上社と下社があり。
上社に、前宮、本宮と、下社は、秋宮、春宮と呼ばれていて。
昨日は、上社の前宮と本宮へ参詣した。
前日までは、雪だったんだろうか。
路傍には、雪が積み重なり、境内も雪だったんだけど。
通り道はしっかりと雪かきしてくださってあって。
昭和一桁生まれの子どもたちをエスコートしながら、お詣りしたのでした。
僕は、この前宮が好きで、とても、気持ちがよかった。
守谷山を向背に、そこから、流れてくる小川の水音が、これまた、いいんで。
その由緒書きには、清音とかの文字が見えたな。
モリヤなんていうと、ユダヤの、旧約聖書にも出てくる名前だよね。
そこから、本宮へ。
なにせ、プリウスのタイヤを、スタッドレスにしてあるので、意気軒昂、というもので。
お、すべったな、なんて感覚をもちながらも、心の中は、余裕で。
なんていっても、駿河の温暖な地で生まれ育ったので、雪道を自力で走行するのは、初めてでね。
これで、タイヤを替えたかいがあった、というものです。
本宮の駐車場では、ダルマさんの供養祭があり。
地元の役員の方々が、ダルマさんを積み重ね、その前の祭壇では、何宗になるんだろう。
お坊さんが、般若心経を唱え、ぼくも、ご相伴といえるのか、お焼香をさせていただいた。
前宮でも、この本宮でも、おばたちは、御朱印をしていただき。
足元を気をつけてね、といいながら、歩いていると。
毎日二時間歩いているから、というおじが、滑って転び。
すわ、こりゃ、骨でも折れたらやっかいだな、と瞬間思ったけれど。
事なきを得て。
近くのたき火で暖をとり、居合わせた群馬からのツアー客と談笑。
諏訪湖には白鳥がいて、今、えさもやってきてね。
なんて言葉に、おばたちは、行こ、行こ、童心に帰り。
お昼の時間もすぎたので、いつもの、諏訪湖畔のおそばやさんに向かった。
のでした。
そこは、「そば蔵」という名前で、何年ぶりだろう、店内は少し改装されていて。
ちょっと、若者風で、漬け物バーなんてのもあり、そう、案の定。
おばたちは、テーブルに漬け物てんこもりで、なかでも、沢庵がおいしくてね。
すかさず、帰りには、お土産になったのでしたが。
駐車場の雪を、ビニール袋にいれ、これまた、お土産で。
今回のおじおば会のキーワードは。
雪とおいしい沢庵とおじの転んだこと、とあいなり。
何年か後にも、語り継がれるのでしょう、ってのは、脳みそでなくて、感情というか感性というかね。
そういうものが、思い出になるんだね。
そう言う意味でも、歴史ってのを、文献学だけにとらわれてしまうと、核心部分を見落とすことになるかもね。
もっとも、残された文字以外ってのは、その時代の証拠を集めるには、骨が折れるし、ね。
なので、文献、ぶんけん、ってことにもなるんだろうな。
と、諏訪湖とは関係なさそうな話になっちゃったけれど。
出雲の地から、大和軍に追われ、この地まで逃げ延びてきた、というタケミナカタさんの。
それより、ずっと以前から、この地を治めていた、というモリヤさんの一族の住居あと。
神長官(じんちょうかん)守谷資料館は、前宮と本宮の中間にあるんだけど。
そこは、ちらっと見ながら、通り過ぎてしまったのですが。
あの方々の祭祀の仕方、というか、日嗣(ひつぎ)というのは、出雲の国造(こくそう)の。
千家さんところと似ていてね。
この世的な死を認めない、というか、見せないで、次代への継承をしていく、というね。
ところで、このブログ、当方の、精神的なバランスをとるような具合になってきて。
まるで、睡眠とか夢見が、起きているときのストレスの調整、と言われているみたいなもので。
思いの丈の全部を書いているわけではないけれど。
いずれにしても、外へ出す、ってのは、人間の基本、デフォですね。
早い話が、入れることと出すこと、人間ってのは、それだけ、とも言えて。
排泄ってのは、とても、大事なことだね。
尾籠な感じになっちゃったけど、アインシュタインの発想だって、ある意味、排泄行為、ともいえて。
いやいや、どうも、方向転換できないので、この辺りで、やめにしときますか。
上社と下社があり。
上社に、前宮、本宮と、下社は、秋宮、春宮と呼ばれていて。
昨日は、上社の前宮と本宮へ参詣した。
前日までは、雪だったんだろうか。
路傍には、雪が積み重なり、境内も雪だったんだけど。
通り道はしっかりと雪かきしてくださってあって。
昭和一桁生まれの子どもたちをエスコートしながら、お詣りしたのでした。
僕は、この前宮が好きで、とても、気持ちがよかった。
守谷山を向背に、そこから、流れてくる小川の水音が、これまた、いいんで。
その由緒書きには、清音とかの文字が見えたな。
モリヤなんていうと、ユダヤの、旧約聖書にも出てくる名前だよね。
そこから、本宮へ。
なにせ、プリウスのタイヤを、スタッドレスにしてあるので、意気軒昂、というもので。
お、すべったな、なんて感覚をもちながらも、心の中は、余裕で。
なんていっても、駿河の温暖な地で生まれ育ったので、雪道を自力で走行するのは、初めてでね。
これで、タイヤを替えたかいがあった、というものです。
本宮の駐車場では、ダルマさんの供養祭があり。
地元の役員の方々が、ダルマさんを積み重ね、その前の祭壇では、何宗になるんだろう。
お坊さんが、般若心経を唱え、ぼくも、ご相伴といえるのか、お焼香をさせていただいた。
前宮でも、この本宮でも、おばたちは、御朱印をしていただき。
足元を気をつけてね、といいながら、歩いていると。
毎日二時間歩いているから、というおじが、滑って転び。
すわ、こりゃ、骨でも折れたらやっかいだな、と瞬間思ったけれど。
事なきを得て。
近くのたき火で暖をとり、居合わせた群馬からのツアー客と談笑。
諏訪湖には白鳥がいて、今、えさもやってきてね。
なんて言葉に、おばたちは、行こ、行こ、童心に帰り。
お昼の時間もすぎたので、いつもの、諏訪湖畔のおそばやさんに向かった。
のでした。
そこは、「そば蔵」という名前で、何年ぶりだろう、店内は少し改装されていて。
ちょっと、若者風で、漬け物バーなんてのもあり、そう、案の定。
おばたちは、テーブルに漬け物てんこもりで、なかでも、沢庵がおいしくてね。
すかさず、帰りには、お土産になったのでしたが。
駐車場の雪を、ビニール袋にいれ、これまた、お土産で。
今回のおじおば会のキーワードは。
雪とおいしい沢庵とおじの転んだこと、とあいなり。
何年か後にも、語り継がれるのでしょう、ってのは、脳みそでなくて、感情というか感性というかね。
そういうものが、思い出になるんだね。
そう言う意味でも、歴史ってのを、文献学だけにとらわれてしまうと、核心部分を見落とすことになるかもね。
もっとも、残された文字以外ってのは、その時代の証拠を集めるには、骨が折れるし、ね。
なので、文献、ぶんけん、ってことにもなるんだろうな。
と、諏訪湖とは関係なさそうな話になっちゃったけれど。
出雲の地から、大和軍に追われ、この地まで逃げ延びてきた、というタケミナカタさんの。
それより、ずっと以前から、この地を治めていた、というモリヤさんの一族の住居あと。
神長官(じんちょうかん)守谷資料館は、前宮と本宮の中間にあるんだけど。
そこは、ちらっと見ながら、通り過ぎてしまったのですが。
あの方々の祭祀の仕方、というか、日嗣(ひつぎ)というのは、出雲の国造(こくそう)の。
千家さんところと似ていてね。
この世的な死を認めない、というか、見せないで、次代への継承をしていく、というね。
ところで、このブログ、当方の、精神的なバランスをとるような具合になってきて。
まるで、睡眠とか夢見が、起きているときのストレスの調整、と言われているみたいなもので。
思いの丈の全部を書いているわけではないけれど。
いずれにしても、外へ出す、ってのは、人間の基本、デフォですね。
早い話が、入れることと出すこと、人間ってのは、それだけ、とも言えて。
排泄ってのは、とても、大事なことだね。
尾籠な感じになっちゃったけど、アインシュタインの発想だって、ある意味、排泄行為、ともいえて。
いやいや、どうも、方向転換できないので、この辺りで、やめにしときますか。