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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

小説 カケス婆っぱ(13)

2013-03-08 06:39:43 | Weblog
                                           分類・文
       小説 カケス婆っぱ
             第31回 吉野せい賞奨励賞受賞         箱 崎  昭

 授業中に鳥の話題になって、先生が鹿島地域に生息している鳥の名前を1人ずつ挙げるよう生徒に言った。
 順番にホオジロ、セキレイ、キジなどと次々に鳥名が出てきたが1人の生徒がホロスケと言ったら教室内は爆笑に包まれた。
 先生もつい貰い笑いをしてしまった。
「この辺ではホロスケで通用するけど、正式名はフクロウと云うんだからな」と言って援護した。
 浜通り地方の放言でホロスケというと、馬鹿者という意味でも解釈されるから一層笑いを誘ったのだ。
 次に立った生徒がカケスの名を挙げたら別の誰かが茶化すような言葉で「カケスー?」と如何にも意味有り気に言い返した。
 その途端に殆んどの生徒が和起の顔を窺うようにして笑った。
「何が可笑しいんだ」
 先生は一瞬、カケスに関して生徒たちが何故受けるのか理解できなかったが、不可解に思いながらもそれ以上の言及はすることなく時間がきて授業は終わった。 
 カケスと言った生徒に反応して笑った者たちの意味が分からず、和起は隣席の武夫に聞いた。
「和起の婆っぱさんがカケス婆っぱと呼ばれていることを知んねえのか?」
 武夫は和起が知らないという意外性に気付き、言いにくそうに話すと和起の表情を見ながら含み笑いをした。和起は婆ちゃんがカケス婆っぱなどと陰口を叩かれていることに強い衝撃を受けた。
          
                《カラス科に属するカケス(懸巣)》
 その晩、思い切ってキクに今日の出来事を話した。
「あのなあ、婆ちゃんに渾名が付いているの知ってっけ?」
 そう言われてキクは厭な予感がしたが冷静を装って聴いてみた。
「どうせ婆ちゃんに付く渾名だもの碌な名前ではないんだっぺよ。なんて名前が付いているんだい?」
 内心では興味を抱いたから急くようにして和起の返答を待った。
「カ・ケ・ス・婆・っ・ぱ」
 和起は言葉をなぞるようにして、ゆっくりと言った。
「なるほどな。いくら渾名だとは云え、うまいこと付けたもんだなあ」キクは感心したように頷いてみせた。
「婆ちゃんは腹が立たねえのけ?」
「いや、腹が立つどころか婆ちゃんはブタとかカバとかいうのかと思っていたら鳥の名前だものびっくりした。きっと婆ちゃんは掠(かす)れ声でギャーギャー大声を出すから村の人らはカケスと付けたんだっぺな。最も婆ちゃんみてえな美人を捉まえてブタとかカバなんて言われたら、それこそ怒るけどな」
 キクは平然として言って退(の)けた。
 和起は婆ちゃんは腹の中ではどう思っているのかは計りかねたが、その太っ腹な態度を見ていると何故か自分も心の許容範囲が広がったような気がした。 (続)
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小説 カケス婆っぱ(12)

2013-03-07 06:40:03 | Weblog
                                            分類・文
      小説 カケス婆っぱ
             第31回 吉野せい賞奨励賞受賞        箱 崎  昭

 どの子供も走熊からは1も2部落も離れていて、家まで帰るには1時間ほど掛かる距離の連中だ。
 キクは困惑したが、もう既に和起が連れてきてしまっていたから仕方なく遊ばせることにした。
ただ、物を壊したり怪我をしたりしないように注意してから部屋に引き上げた。
 喜んだ子供たちは風呂敷に包んだ教科書を腰から外して境内を駆け回って遊びはじめた。かくれんぼでもしているのだろうか。時折、部屋の脇をゴム製短靴の足音が走り去っていく。
 その内に本堂の方から物音がしたり、畳の上を走り回る音がキクの部屋にまで聞こえるようになったので堪り兼ね、戸を開けて一声怒鳴ってやった。
「こらあ、和起ー。本堂の中で遊んでは駄目だと言ったのが分かんねえのかあ」 
 キクの地声に輪をかけた大きな声が寺一帯に広がった。
 暫らくして子供たちの騒ぎもなりを潜めたので境内に出てみると、子供たちは縞の風呂敷包みを腰にあてがい帰る支度をしているところだった。
 キクが近寄ってきたのを知ると腰の結びを早めた。
「じゃーな」
 振り返って和起に片手を挙げ石段を下りていくところだった。
          
                 《境内一面に落ちたギンナン》
「これこれ待たんかい。あとで和起にも良く言っておくけどな、皆がお寺で遊ぶのは構わねえ、だけども本堂の中まで入って遊んでは駄目だよー。分かったかい」
 キクは穏やかに言い聞かせた積りだったが持ち前の甲高い地声が禍し、子供たちはびっくりして、まるで蜘蛛の子を散らすように駆け下りて行ってしまった。
 ガキ大将の集まりのような子供たちが逃げていく後姿を目にしながらキクは、あの恰好が面白いと言って豪快に笑った。

     (六)
 いつの頃からか判然としないのだが、キクのことを世間ではカケス婆っぱと呼ぶようになっていた。
 勿論、キクに面と向かって言うことはないのだがキクのことに触れる時には名前ではなく、カケス婆っぱの呼称になる。
 別に悪意のある渾名(あだな)でないのは話す者同士のさらっとした会話の中で、自然に出てくることからでも分かる。
 しかし、単純に面白可笑しく付けられた愛称としても、直接キク自身が耳にすることはなかった。
 閉鎖的な寒村の中へ何処の馬の骨かも知れぬ者が飛び込んでくれば余所者として白い目で見られ軽蔑され、心の中で拒絶反応を起こす一面があっても不思議ではない。
 懸巣(かけす)は鳥の一種で、キジ鳩位の大きさがありジエーッと煩いほどのダミ声を発して鳴き、林の奥の茂みの中に飛び込む習性があることからキクにとっては恰好の渾名にされてしまったようだ。
 この呼び名を最初に知ったのは和起で、教室内での出来事からだった。 (続)
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小説 カケス婆っぱ(11)

2013-03-06 06:25:33 | Weblog
                                            分類・文
       小説 カケス婆っぱ
           第31回 吉野せい賞奨励賞受賞        箱 崎  昭


 久吉は鹿島村の消防団長と農業委員会の役職を兼務していて村民にも人望が厚かった。
 広い庭から玄関先へ向う途中で久吉が野良着のままで物置から出たきたところに出会った。キクと挨拶を交わしたが久吉は家の中に入るように勧めた。
 広い土間の脇が居間で、座敷に大きな囲炉裏が胡坐(あぐら)をかいているようにどっしりと構えている。
 囲炉裏に焼べられた薪が黄桃色の炎と紫煙を吐き出しながら自在鈎に吊るされた鉄瓶の底を這っていく。
 囲炉裏に手を翳(かざ)して座っている白髪の老婆は久吉の母親で、背を丸くして煙を避けながら和起を覗き込むようにして見た。
 妻の克子が人の気配を感じて奥座敷から居間に出てくると、キクを見るなり何度も会っている友人のように快く迎えてくれた。
「婆っぱさん、この人誰だか分かっけ?」克子が義母に聞いた。
「分かるわい、今度からお寺に来てもらう人だっぺ」
 老婆はキクと和起をゆっくり見比べるようにして柔和な表情を見せ皺の数を更に増やした。
「そうだよ、昨日から入ってもらったからこれでの人たちもお寺のことに関しては安心していられるようになったね」
 克子は嬉しそうな顔をして、そう言いながら熱い鉄瓶のお湯を急須に注いだ。
「旦那さんとのご縁で、私ら2人がこの土地に置かせて貰えるようになって本当に感謝しています」
          
                《現在の蔵福寺から見える遠景》 
 キクは久吉に向って改めて心からの礼を述べ深く頭を下げた。
「キクさんがこれまで苦労してきたことは充分に承知しているけども、このに来たからといって必ずしも楽になるとは限らねえかんない。見知らぬ土地へ来た訳だから慣れる間はある程度の苦労もせんとな」
 久吉は優しい目をして言った。
「はい、それは大丈夫です」
 キクの短い言葉だが聞いている者には芯の強さが伝わった。
「それさえ承知していれば私は何の心配もない」
 久吉が吹っ切れたように言うと側にいた克子も老婆も、キクの顔を見ながら安堵の色を濃くして肩の力を緩めた。

     (五)
 裏山から舞い落ちてくる枯葉が境内一面に散乱して、キクは黙々と庭掃除に専念していた。
 この時期、日に何度も枯葉掃除をするのは余儀ない頃でもあった。
 階段下の通りから子供たちの弾んだ声が聞こえてきたので石段を見下ろすと、和起を先頭にして数人の子供が一緒に上ってくるのが見えたので箒の手を休めた。
「婆ちゃん、学校の友達を連れてきた。お寺で遊んでもいいべ?」
 和起はキクの姿を見つけると他の子供たちよりも真っ先に駆け寄ってきた。今日は水曜日で下校時間が早いのだ。
 寺で静かに勉強でもしていってくれれば良いのだが、そういう類の面々ではないことがキクには一目見て分かった。
 家に帰ると親に色々と野良仕事を手伝わされるものだから、道草を喰っていこうという魂胆が透けるように見てとれたからだ。 (続)
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小説 カケス婆っぱ(10)

2013-03-05 06:36:43 | Weblog
                                             分類・文
       小説 カケス婆っぱ
             第31回 吉野せい賞奨励賞受賞           箱 崎  昭

 嫁の加代子も、これから先のことを考えると呆然として暫らくは途方に暮れていた。
 もう12年も前のことになるが、和義が加代子と知り合ったのは磯原の駅前近くにあった1軒のBARだった。
 和義が21歳で稼ぎを得ていたから、よく仕事仲間と飲み歩いていた時がある。加代子はホステスとして働いていて2人は客と店員の間柄から交際が始まり、やがて結婚した。
 加代子が18歳になって間もないことで、その翌年に和起が生まれている。
 加代子は和義が亡くなった後、逼迫(ひっぱく)した生活状況を考えると、毎日キクと家の中に居る訳にも行かず、先ずは収入を得るためにキクを説得して働きに出るようになった。
 かつて経験したことのある仕事の方が手っ取り早くて収入も良いということから、店こそ違うが再び夜の磯原の街でホステスとして通うようになった。
 加代子が健気に働く姿に客の評判もよく、人気者になって店の売り上げも増進させたものだから店のママも喜んでいた。
 商売柄、帰宅時間は不規則だったがタクシーで戻ったり客の車で送ってもらったりして、家に入ると真っ先に和起の寝顔を見てその日の疲れが癒されたように笑みを浮かべていた加代子だった。
          
            《今に残る重内炭礦専用車線跡=北茨城市磯原》
 ところがある日、突然キクと和起にとっては思いもよらぬ最悪の事態を招くことになってしまった。
 加代子が店に出るようになってから4ヵ月後に失踪してしまったからであった。   世間では今の生活に嫌気を差したからだとか、好きな男ができたからだとか無責任な憶測が流れたが、キクは直接ママや複数の客から何か思い当たる節はないかを問い質して歩いたが徒労に終わった。
 又、警察署に失踪届けを出して捜索も依頼していたが朗報は届くことはなかった。 キクはもう運命に憤るどころか愕然として、涙は枯れ果て泣くことさえ忘れていた。
 加代子にも精神的、金銭的な苦痛はあったにせよ、可愛い子供を置いていくという感覚がキクには到底理解できなかった。
 炭礦会社も最初の内はキクたちが社宅に継続して居住していても黙認しているようだったが、従業員の居ない家族をいつまでも置いておく筈がなく、なるべく早い内に明け渡すよう迫ってきた。
 全く先が見えないで苦悶していたキクの前に現れたのが富田久吉だった。 
 キクは地獄に仏とはこういう事を云うのだなと痛感して、その時は久吉から正に後光が差しているような錯覚を起こしたぐらいだ。
 このような深い事情もあってキクは何はともあれ真っ先に久吉の家へ挨拶に伺うのは至極当然のことだった。 (続)
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小説 カケス婆っぱ(9)

2013-03-04 06:45:39 | Weblog
                                           分類・文
      小説 カケス婆っぱ
            第31回 吉野せい賞奨励賞受賞       箱 崎  昭

 正面に朴訥な雰囲気をもった年輩の男が鷹揚に構えて用件を訊ねた。
「それなら、奥から2番目のところへ行ってください」
 キクは相手の指差す通りに奥へ進んで行くと女事務員が気付いた。
「あら、中村さん。昨日は如何でしたか?大変だったでしょうに。今日はもう早速届けに来てくれたのけ」
 言葉のバランスに違和感を覚えたが相手は昨日、寺で皆と歓迎してくれた同じの37,8歳ぐらいになる後家の野沢民子という人だった。
 キクは野沢から昨日は如何だったかという曖昧な問い掛けに、村に対する第1印象なのか、疲れたかの問いなのか、あるいは寝心地のことだったのか返答に窮した。
「はあ、お陰さまでなんとか……これからもどうぞ宜しくお願い致します」 
 やはり、キクにも曖昧な言葉しか出てこなかった。
「こちらこそ宜しく」応えが短く返ってきた。
 キクが提出した書類に目を通している動きの端々に冷たく、底意地の悪そうな表情が窺えた。いま冷静さを装っているが、キクが提出した転入届に記載された情報を独占したことによって腹の中では小躍りして喜んでいるに違いない。
 こういう寒村の役場では、いくら役所とはいっても個人に対しての守秘義務など有って無いようなものだろうから恐らく昼食時には私らの家族関係の詳細を、この野沢は得意になって話し、盛り上がるのだろうなとキクは推察しながら役場を後にした。
 既に見慣れない来訪者に職員達が立ち去る2人を興味有り気に見ていることがキクの背中に痛いほど感じた。
           
                    《鹿島村役場の跡地》 
 役場の下の道を挟んだ低地に富田久吉の家がある。
 久吉の家は、その裏から下りると簡単に行けたが挨拶に行くには気が引けたので郵便局や床屋のある通りへ一旦出て、正面玄関のある広い庭先から入っていくことにした。 久吉はキクを寺の墓守としてこのの人たちに説得し世話をしてくれた命の恩人だった。それがなかったら今頃は路頭に迷い、死を選ぶ窮地に陥っていたかも知れないのだ。
 久吉は親戚が茨城の華川という所にいる関係で、何度か往来している内に重内炭礦に住んでいるキクたちの話を聞いて哀れんでいたようだ。
 キクは夫の源造と息子の和義親子の5人で長いこと炭礦長屋で暮らしを送っていたが、採炭夫だった源造は肺を患って病院の入退院を繰り返し5年前に亡くなった。
 幸い息子の和義も坑内に入って働いていたので、炭住を出ることもなく贅沢さえしなければ生活も維持できたから、家庭内では常に笑いが出る環境の中にあった。
 しかし、幸福というものは長くは続かない。
 息子は酒好きが祟(たた)って体調を壊し、気が付いた時には腹が鏡餅のように膨らんでいた。アルコールの過剰摂取が原因で肝硬変を起こして、今年の2月に父親を追うように妻と子を残して32歳の若さで他界してしまった。
 キクは一体なんという世の中なのだろうか、自分は何も悪い事はしていないというのに大切なものを次々と剥奪されていく現象にやりようのない憤りを覚えた。 (続)
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小説 カケス婆っぱ(8)

2013-03-03 06:44:57 | Weblog
                                            分類・文
     小説 カケス婆っぱ
           第31回 吉野せい賞奨励賞受賞         箱 崎  昭

      (四)
 走熊(はしりくま)は明治元年以前の旧幕時代には平藩の支配下にあって、走熊村として独立していたが明治22年に隣接する御代、船戸、飯田、久保、下蔵持、上蔵持、米田、三沢、下矢田、上矢田、松久須根の11町村と合併して鹿島村となり、その後多々変遷を経て現在では地名の大字名として残っている。
 また、鹿島村の由来は上矢田に鎮座する延喜式内社、鹿島神社の名から命名されている。
 走熊は、もともと鹿島一帯のほぼ中心に位置していたから役場や学校をはじめ郵便局や農協、床屋、雑貨屋などが1本の道に集中している。
 キクのいる寺の境内から右斜め下に、その殆んどの建物を見下ろすことが出来た。
 キクと和起は境内に出て周囲を見回した。小春日和の淡い陽射しの中に時折、冷気が2人の頬を撫でていくが心地良く感じた。
「さあ、そろそろ出掛けることにすっか」
 キクが声を掛けて役場へ向うことにした。墓地の前を通り抜けて裏道を行くと、和起の背丈ほどもある熊笹が前を遮るように繁っていた。
 キクが先頭に立って笹を掻き分けながら進んでいくのだが、それは細い道で枯葉が足元に絡みつく獣道にも似ていた。
「これじゃ、山の中を歩いているのと全く同じだね。何か出てきそうで嫌だなあ」
 和起はキクの後から吸い寄せられそうになって付いていく。
「熊笹があって、このは走熊っていう土地の名前が付いているくらいだから、ひょっとすると本物の熊が出てくるかも知んねえぞ」
 キクはおどけて振り返ると笑った。
「なんだよう、いくら昼間だからといっても驚かすのはやめてくれよなあ」
 和起も冗談とは分かっていたが、確かに熊がいると言えばそう思ってもおかしくない雰囲気の細道ではあった。
 そこを下りきると今度は役場へ上がる入口が出てくる。
 寺から下りる時には役場に限らず、この道を利用すれば寺の階段から来るよりも早く生活道にへ出ることができた。
           
              《旧鹿島街道から鹿島村役場跡へ上って道》
 鹿島村役場は12のを掌管している割にはさほど大きな建物とは思えない木造2階建ての庁舎で、余裕のない土地いっぱいに建っている。
 2回が会議室と書類保管室になっているので、1階全体が村長から一般職までが間仕切りのない床板に、机を狭苦しそうに並べて各自の職域を確保している。
 小柄なキクが中に入ると行き成り高めのカウンターに突き当たり、職員の目線が見下ろしているように見えた。 (続)
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小説 カケス婆っぱ(7)

2013-03-02 06:36:40 | Weblog
                                            分類・文
      小説 カケス婆っぱ
            第31回 吉野せい賞奨励賞受賞           箱 崎  昭

     (三)
 和起が起き易いように囲炉裏に火を付けて朝飯の仕度に取り掛かった。
 昨夜、皆が食べ残して置いていったお新香や煮物があったので作るものは飯と味噌汁だけで充分だった。
 台所の甕に入った水は寺に上る階段の途中にある小井戸から汲み上げてこなければならない。
 空バケツを持って境内に出ると寺の庭に朝陽が一面に差していて清々しく、見晴らしの良い風景が広がっていた。
 階段の中段まで下りて、小井戸の中を覗いてみると岩石の隙間から白乳色にちかい不透明な水が滲み出ていた。
 こういう水なら雨水の方が余程ましだと思ったが、集会などではこの水を使用していると聞いているので、飲み水としては何の害もないのだろうと思いながら汲み上げた。
「婆ちゃーん」「婆ちゃーん」
 上の方から和起の呼ぶ声が聞こえてきた。
         
「オーイ、こっちに居るよう。和起ー」
 キクの甲高い声が朝の澄んだ空気の中に響き渡った。
 和起はキクの姿を見つけると階段を2段ずつ大ッ飛びして降りてきた。
「なんだ、こんな所にいたのかあ、目を覚ましたら居ねえからびっくりしたよ」
 大分慌てていた様子だったが、キクの側へ寄ってきたらすっかり安心感に変わっていた。
「悪かったな、気持ち良さそうに寝ていっから婆ちゃんだけ起きて飯の仕度をすっかと思っていたんだ」
 そう言って井戸に備え付けの荒縄の付いたバケツで水を汲み上げると持ってきたバケツに移した。
「オレが持っていくから」
 和起がバケツに手をやり薄白く濁った水を見て首を傾げた。
「随分と汚ねえ水だけど大丈夫なのけ?」
「の人たちがな、お寺に集まった時にはこの水でお茶を飲むって言うんだから心配は要らねえ。それに溜まり水ではなく湧き水だから安心だ」
 和起が前になりキクが後ろになって階段を上っていく。境内にある銀杏の大木が、すっかり枯葉を落として根元に円形状の黄色い絨毯を敷き詰めていた。
 朝食は1時間ほど経ってからになったが囲炉裏端に丸型の卓袱台(ちゃぶだい)を置いて食事をし、キクが釜の飯を茶碗に盛りながら言った。
「今日は忙しいかんな。まず役場さ行って転入届を出して、富田さんちに挨拶に寄り、そのあと学校さ行って和起の転校届けを済ませねばなんねえもんな」
 キクは自分が確認しているかのように和起に言って聞かせた。 (続)
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小説 カケス婆っぱ(6)

2013-03-01 06:23:14 | Weblog
                                             分類・文
      小説 カケス婆っぱ
            第31回 吉野せい賞奨励賞受賞          箱 崎  昭

 笠のない電球のコードが無造作に釘止めされて天井からぶら下がって、部屋に僅かな温もりを与えてくれているような錯覚を起こすが、2人の身体を陰影にして畳に擦り付けたりもした。
「和起、大変だったな。今日からこのお寺が我が家だぞ。それにしても住む所は小さくてもでっかい家を持ったもんだな」
 キクは虚勢とも自棄(やけ)っぱちとも思われる言葉を放つと、言っている自分が可笑しくなって高笑いをした。
「婆ちゃん、ここで2人っきりになると何だかおっ怖ないような気がすんなあ」和起は臆病風を吹かせた。
「なにが怖いもんか、男のくせして。世の中に怖いものなんか何にもねえ」
 キクは即座に否定して和起の顔を見ながら思い付いたように「あるとすれば赤飯(こわめし)かな。あれは固(こわ)いもんな。それと生きている人間も怖いな。悪いことを平気でするし他人様を簡単に殺したりすんだから。あとは世の中に何にも怖いものなんかねえ」
 キクは、お化けや幽霊の類と比べたら人間の方が現実的で、もっと怖いのだと言いたかったのだが、そこまで口にすることはしなかった。和起に得体の知れないものを想像させて更に恐怖感を与えてしまうと思ったからだ。
          
                《平成2年まで存在した蔵福寺》
 生活必需品としての鍋、釜、茶碗から蒲団まで備品として揃っているので生活上の心配はない。
 囲炉裏を挟んで奥の壁側に和起の蒲団を敷き、キクは出入り口の方に蒲団を敷いた。
 和起は蒲団の中に潜り込むと同時に「暖ったけえ」と言って腹這いになり、読み残しの雑誌を広げた。和起にとって今日一番の幸せという表情を窺うことができた。
 キクも蒲団の中に入ると仰向けになって、煤けた天井を見ながら1日の出来事を振り返ってみた。
 慌しい1日だったが今朝、住み慣れた重内の炭住街を去る時には何十年来の付き合いの人たちが名残を惜しんでキクの手を握り泣く人、肩を叩いて励ます人、そしてバスに同乗して磯原の駅まで来て見送ってくれた人人など惜別の情を感受したことを思い出すと改めて胸に熱いものを覚えた。
 キク自身ヤマの人たちと別れの際は、もう逢うことのない今生の別れになるのではないかとさえ思ったからだ。
 いま、こうして高台の寺の片隅で隔離されたような生活が始まったことが、その予感を一層現実的にさせた。
 もう決して後戻りは出来ないし、この場所以外に行く先がないのだから生きられる限り、ひたすら和起の成長に日々夢を託していくことが自分に与えられた唯一の生き甲斐であり責務ではないだろうかと自問自答した。
 それにしても朝から晩まで多忙を極める1日だったが、和起が気張って一緒に行動を共にしてくれた事がキクには何よりもの救いだったし嬉しいことだった。
 明日から先のことは全く分からない暗中模索の中で、とにかく和起と2人で懸命に生きなければならないという意気込みだけは熱い炎となり身体中が火照る(ほてる)ほど強く感じた。 (続)

     
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