分類・文
小説 カケス婆っぱ
第31回 吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
正面に朴訥な雰囲気をもった年輩の男が鷹揚に構えて用件を訊ねた。
「それなら、奥から2番目のところへ行ってください」
キクは相手の指差す通りに奥へ進んで行くと女事務員が気付いた。
「あら、中村さん。昨日は如何でしたか?大変だったでしょうに。今日はもう早速届けに来てくれたのけ」
言葉のバランスに違和感を覚えたが相手は昨日、寺で皆と歓迎してくれた同じの37,8歳ぐらいになる後家の野沢民子という人だった。
キクは野沢から昨日は如何だったかという曖昧な問い掛けに、村に対する第1印象なのか、疲れたかの問いなのか、あるいは寝心地のことだったのか返答に窮した。
「はあ、お陰さまでなんとか……これからもどうぞ宜しくお願い致します」
やはり、キクにも曖昧な言葉しか出てこなかった。
「こちらこそ宜しく」応えが短く返ってきた。
キクが提出した書類に目を通している動きの端々に冷たく、底意地の悪そうな表情が窺えた。いま冷静さを装っているが、キクが提出した転入届に記載された情報を独占したことによって腹の中では小躍りして喜んでいるに違いない。
こういう寒村の役場では、いくら役所とはいっても個人に対しての守秘義務など有って無いようなものだろうから恐らく昼食時には私らの家族関係の詳細を、この野沢は得意になって話し、盛り上がるのだろうなとキクは推察しながら役場を後にした。
既に見慣れない来訪者に職員達が立ち去る2人を興味有り気に見ていることがキクの背中に痛いほど感じた。
《鹿島村役場の跡地》
役場の下の道を挟んだ低地に富田久吉の家がある。
久吉の家は、その裏から下りると簡単に行けたが挨拶に行くには気が引けたので郵便局や床屋のある通りへ一旦出て、正面玄関のある広い庭先から入っていくことにした。 久吉はキクを寺の墓守としてこのの人たちに説得し世話をしてくれた命の恩人だった。それがなかったら今頃は路頭に迷い、死を選ぶ窮地に陥っていたかも知れないのだ。
久吉は親戚が茨城の華川という所にいる関係で、何度か往来している内に重内炭礦に住んでいるキクたちの話を聞いて哀れんでいたようだ。
キクは夫の源造と息子の和義親子の5人で長いこと炭礦長屋で暮らしを送っていたが、採炭夫だった源造は肺を患って病院の入退院を繰り返し5年前に亡くなった。
幸い息子の和義も坑内に入って働いていたので、炭住を出ることもなく贅沢さえしなければ生活も維持できたから、家庭内では常に笑いが出る環境の中にあった。
しかし、幸福というものは長くは続かない。
息子は酒好きが祟(たた)って体調を壊し、気が付いた時には腹が鏡餅のように膨らんでいた。アルコールの過剰摂取が原因で肝硬変を起こして、今年の2月に父親を追うように妻と子を残して32歳の若さで他界してしまった。
キクは一体なんという世の中なのだろうか、自分は何も悪い事はしていないというのに大切なものを次々と剥奪されていく現象にやりようのない憤りを覚えた。 (続)
小説 カケス婆っぱ
第31回 吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
正面に朴訥な雰囲気をもった年輩の男が鷹揚に構えて用件を訊ねた。
「それなら、奥から2番目のところへ行ってください」
キクは相手の指差す通りに奥へ進んで行くと女事務員が気付いた。
「あら、中村さん。昨日は如何でしたか?大変だったでしょうに。今日はもう早速届けに来てくれたのけ」
言葉のバランスに違和感を覚えたが相手は昨日、寺で皆と歓迎してくれた同じの37,8歳ぐらいになる後家の野沢民子という人だった。
キクは野沢から昨日は如何だったかという曖昧な問い掛けに、村に対する第1印象なのか、疲れたかの問いなのか、あるいは寝心地のことだったのか返答に窮した。
「はあ、お陰さまでなんとか……これからもどうぞ宜しくお願い致します」
やはり、キクにも曖昧な言葉しか出てこなかった。
「こちらこそ宜しく」応えが短く返ってきた。
キクが提出した書類に目を通している動きの端々に冷たく、底意地の悪そうな表情が窺えた。いま冷静さを装っているが、キクが提出した転入届に記載された情報を独占したことによって腹の中では小躍りして喜んでいるに違いない。
こういう寒村の役場では、いくら役所とはいっても個人に対しての守秘義務など有って無いようなものだろうから恐らく昼食時には私らの家族関係の詳細を、この野沢は得意になって話し、盛り上がるのだろうなとキクは推察しながら役場を後にした。
既に見慣れない来訪者に職員達が立ち去る2人を興味有り気に見ていることがキクの背中に痛いほど感じた。
《鹿島村役場の跡地》
役場の下の道を挟んだ低地に富田久吉の家がある。
久吉の家は、その裏から下りると簡単に行けたが挨拶に行くには気が引けたので郵便局や床屋のある通りへ一旦出て、正面玄関のある広い庭先から入っていくことにした。 久吉はキクを寺の墓守としてこのの人たちに説得し世話をしてくれた命の恩人だった。それがなかったら今頃は路頭に迷い、死を選ぶ窮地に陥っていたかも知れないのだ。
久吉は親戚が茨城の華川という所にいる関係で、何度か往来している内に重内炭礦に住んでいるキクたちの話を聞いて哀れんでいたようだ。
キクは夫の源造と息子の和義親子の5人で長いこと炭礦長屋で暮らしを送っていたが、採炭夫だった源造は肺を患って病院の入退院を繰り返し5年前に亡くなった。
幸い息子の和義も坑内に入って働いていたので、炭住を出ることもなく贅沢さえしなければ生活も維持できたから、家庭内では常に笑いが出る環境の中にあった。
しかし、幸福というものは長くは続かない。
息子は酒好きが祟(たた)って体調を壊し、気が付いた時には腹が鏡餅のように膨らんでいた。アルコールの過剰摂取が原因で肝硬変を起こして、今年の2月に父親を追うように妻と子を残して32歳の若さで他界してしまった。
キクは一体なんという世の中なのだろうか、自分は何も悪い事はしていないというのに大切なものを次々と剥奪されていく現象にやりようのない憤りを覚えた。 (続)