分類・文
小説 カケス婆っぱ
第31回 吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
(七)
年の瀬も押し迫って、キクと和起は早朝5時半にリヤカーを引いて下石屋の遠藤重孝の家を出た。2人の他に遠藤の家から和起と同級生の剛と弟の郁夫も加わった。
外はまだ薄暗く寒気が手足や頬を針のように刺した。
柴をリヤカーに山積して小名浜の町まで行って売り捌いてくる仕事だった。
柴の積み込みは前日のうちに重孝が準備してくれていたから、いつでも出発できる状態になっていた。
キクが前になって引き、子供3人は後ろから押すことになって動き出した。重孝が玄関先でキクに気を付けて行ってくるように激励しながら見送った。
リヤカーの柴は高く積まれていて凸凹道になると神輿のように左右に揺れた。積荷のバランスはリヤカーを並行にして、そっと手を離すと取っ手からゆっくりと上がっていく状態が引いていても荷の重さを感じさせないようになる。
そのあたりは重孝が万全の調整をしてくれてあった。
正月を控えて、どこの家も柴売りに出るから途中で何台かのリヤカーに出会ったが皆、先を急いでいた。
柴売りの秘訣として、本当はこういう人たちと会うようではいけないのだ。
他人より少しでも早く町中に入って売り捌かないと何処を回っても既に柴を購入した家が多くなり、それだけ売り歩く時間が長くなるからだ。
複数の常連客を抱えていれば、多少遅い時間に行っても容易に売り切ることもできるが初日のキクにはそのコツが分からなかった。
《当時は薪・野菜・米などを町へ売りに行った》
小名浜の町に入ると潮の香りと魚の干物のような匂いが交錯して、鼻に深く沁み入るような感じがした。
町中は朝食の支度で何処の家も路上に七輪を出して火を焚く人が目立ちようになっていた時間帯だったので、キクはそういう人の側に近付くたびにリヤカーを止めては「柴を買ってくんねけえ」と声を掛けた。
しかし「ウチでは要んねえ」とか「もう買ってしまったかんなあ」とか、中には馴染みの柴売り以外の人からは買わないとはっきり断わる者もいて、物売りの難しさを痛感させられた。
時間ばかりが経過して、どうしても売れない柴が12把ほど残ってしまった。もう金銭のことはどうでもいい、重孝には申し訳ないが持ち帰ろうと思い、帰路を別の道に変えて歩いた。
「売らないで残ったまんま帰んのけ?」
和起が聞くと重孝の子供も心配そうにしてキクの顔を見た。
「売らないんじゃなくて売れないんだ」キクが半ば自棄(やけ)気味に言って苦笑した。
途中で雑貨屋の前に差し掛かると割烹着を身につけた年輩の女将さんらしい人が塵取りと箒を持って、店先を掃除しているところに出会った。
通りすがりに何の気なしに双方の目が合った。
「お早うございます。奥さん柴は要らねけえ」
無意識の内にキクの口がそう言わせた。 (続)
小説 カケス婆っぱ
第31回 吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
(七)
年の瀬も押し迫って、キクと和起は早朝5時半にリヤカーを引いて下石屋の遠藤重孝の家を出た。2人の他に遠藤の家から和起と同級生の剛と弟の郁夫も加わった。
外はまだ薄暗く寒気が手足や頬を針のように刺した。
柴をリヤカーに山積して小名浜の町まで行って売り捌いてくる仕事だった。
柴の積み込みは前日のうちに重孝が準備してくれていたから、いつでも出発できる状態になっていた。
キクが前になって引き、子供3人は後ろから押すことになって動き出した。重孝が玄関先でキクに気を付けて行ってくるように激励しながら見送った。
リヤカーの柴は高く積まれていて凸凹道になると神輿のように左右に揺れた。積荷のバランスはリヤカーを並行にして、そっと手を離すと取っ手からゆっくりと上がっていく状態が引いていても荷の重さを感じさせないようになる。
そのあたりは重孝が万全の調整をしてくれてあった。
正月を控えて、どこの家も柴売りに出るから途中で何台かのリヤカーに出会ったが皆、先を急いでいた。
柴売りの秘訣として、本当はこういう人たちと会うようではいけないのだ。
他人より少しでも早く町中に入って売り捌かないと何処を回っても既に柴を購入した家が多くなり、それだけ売り歩く時間が長くなるからだ。
複数の常連客を抱えていれば、多少遅い時間に行っても容易に売り切ることもできるが初日のキクにはそのコツが分からなかった。
《当時は薪・野菜・米などを町へ売りに行った》
小名浜の町に入ると潮の香りと魚の干物のような匂いが交錯して、鼻に深く沁み入るような感じがした。
町中は朝食の支度で何処の家も路上に七輪を出して火を焚く人が目立ちようになっていた時間帯だったので、キクはそういう人の側に近付くたびにリヤカーを止めては「柴を買ってくんねけえ」と声を掛けた。
しかし「ウチでは要んねえ」とか「もう買ってしまったかんなあ」とか、中には馴染みの柴売り以外の人からは買わないとはっきり断わる者もいて、物売りの難しさを痛感させられた。
時間ばかりが経過して、どうしても売れない柴が12把ほど残ってしまった。もう金銭のことはどうでもいい、重孝には申し訳ないが持ち帰ろうと思い、帰路を別の道に変えて歩いた。
「売らないで残ったまんま帰んのけ?」
和起が聞くと重孝の子供も心配そうにしてキクの顔を見た。
「売らないんじゃなくて売れないんだ」キクが半ば自棄(やけ)気味に言って苦笑した。
途中で雑貨屋の前に差し掛かると割烹着を身につけた年輩の女将さんらしい人が塵取りと箒を持って、店先を掃除しているところに出会った。
通りすがりに何の気なしに双方の目が合った。
「お早うございます。奥さん柴は要らねけえ」
無意識の内にキクの口がそう言わせた。 (続)