分類・文
小説 カケス婆っぱ
第31回 吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
嫁の加代子も、これから先のことを考えると呆然として暫らくは途方に暮れていた。
もう12年も前のことになるが、和義が加代子と知り合ったのは磯原の駅前近くにあった1軒のBARだった。
和義が21歳で稼ぎを得ていたから、よく仕事仲間と飲み歩いていた時がある。加代子はホステスとして働いていて2人は客と店員の間柄から交際が始まり、やがて結婚した。
加代子が18歳になって間もないことで、その翌年に和起が生まれている。
加代子は和義が亡くなった後、逼迫(ひっぱく)した生活状況を考えると、毎日キクと家の中に居る訳にも行かず、先ずは収入を得るためにキクを説得して働きに出るようになった。
かつて経験したことのある仕事の方が手っ取り早くて収入も良いということから、店こそ違うが再び夜の磯原の街でホステスとして通うようになった。
加代子が健気に働く姿に客の評判もよく、人気者になって店の売り上げも増進させたものだから店のママも喜んでいた。
商売柄、帰宅時間は不規則だったがタクシーで戻ったり客の車で送ってもらったりして、家に入ると真っ先に和起の寝顔を見てその日の疲れが癒されたように笑みを浮かべていた加代子だった。
《今に残る重内炭礦専用車線跡=北茨城市磯原》
ところがある日、突然キクと和起にとっては思いもよらぬ最悪の事態を招くことになってしまった。
加代子が店に出るようになってから4ヵ月後に失踪してしまったからであった。 世間では今の生活に嫌気を差したからだとか、好きな男ができたからだとか無責任な憶測が流れたが、キクは直接ママや複数の客から何か思い当たる節はないかを問い質して歩いたが徒労に終わった。
又、警察署に失踪届けを出して捜索も依頼していたが朗報は届くことはなかった。 キクはもう運命に憤るどころか愕然として、涙は枯れ果て泣くことさえ忘れていた。
加代子にも精神的、金銭的な苦痛はあったにせよ、可愛い子供を置いていくという感覚がキクには到底理解できなかった。
炭礦会社も最初の内はキクたちが社宅に継続して居住していても黙認しているようだったが、従業員の居ない家族をいつまでも置いておく筈がなく、なるべく早い内に明け渡すよう迫ってきた。
全く先が見えないで苦悶していたキクの前に現れたのが富田久吉だった。
キクは地獄に仏とはこういう事を云うのだなと痛感して、その時は久吉から正に後光が差しているような錯覚を起こしたぐらいだ。
このような深い事情もあってキクは何はともあれ真っ先に久吉の家へ挨拶に伺うのは至極当然のことだった。 (続)
小説 カケス婆っぱ
第31回 吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
嫁の加代子も、これから先のことを考えると呆然として暫らくは途方に暮れていた。
もう12年も前のことになるが、和義が加代子と知り合ったのは磯原の駅前近くにあった1軒のBARだった。
和義が21歳で稼ぎを得ていたから、よく仕事仲間と飲み歩いていた時がある。加代子はホステスとして働いていて2人は客と店員の間柄から交際が始まり、やがて結婚した。
加代子が18歳になって間もないことで、その翌年に和起が生まれている。
加代子は和義が亡くなった後、逼迫(ひっぱく)した生活状況を考えると、毎日キクと家の中に居る訳にも行かず、先ずは収入を得るためにキクを説得して働きに出るようになった。
かつて経験したことのある仕事の方が手っ取り早くて収入も良いということから、店こそ違うが再び夜の磯原の街でホステスとして通うようになった。
加代子が健気に働く姿に客の評判もよく、人気者になって店の売り上げも増進させたものだから店のママも喜んでいた。
商売柄、帰宅時間は不規則だったがタクシーで戻ったり客の車で送ってもらったりして、家に入ると真っ先に和起の寝顔を見てその日の疲れが癒されたように笑みを浮かべていた加代子だった。
《今に残る重内炭礦専用車線跡=北茨城市磯原》
ところがある日、突然キクと和起にとっては思いもよらぬ最悪の事態を招くことになってしまった。
加代子が店に出るようになってから4ヵ月後に失踪してしまったからであった。 世間では今の生活に嫌気を差したからだとか、好きな男ができたからだとか無責任な憶測が流れたが、キクは直接ママや複数の客から何か思い当たる節はないかを問い質して歩いたが徒労に終わった。
又、警察署に失踪届けを出して捜索も依頼していたが朗報は届くことはなかった。 キクはもう運命に憤るどころか愕然として、涙は枯れ果て泣くことさえ忘れていた。
加代子にも精神的、金銭的な苦痛はあったにせよ、可愛い子供を置いていくという感覚がキクには到底理解できなかった。
炭礦会社も最初の内はキクたちが社宅に継続して居住していても黙認しているようだったが、従業員の居ない家族をいつまでも置いておく筈がなく、なるべく早い内に明け渡すよう迫ってきた。
全く先が見えないで苦悶していたキクの前に現れたのが富田久吉だった。
キクは地獄に仏とはこういう事を云うのだなと痛感して、その時は久吉から正に後光が差しているような錯覚を起こしたぐらいだ。
このような深い事情もあってキクは何はともあれ真っ先に久吉の家へ挨拶に伺うのは至極当然のことだった。 (続)