アジアと小松

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小松基地問題研究会

20190803読書近況

2019年08月03日 | 読書
20190803読書近況

 6月中には、小冊子「島田清次郎未発表エッセイから読み解く、その実像」を完成させるつもりで準備していたが、当初より大幅にひろがり、120ページほどになり、最後の詰めが残り、完成はお盆すぎになりそうだ。

 その間、幾つかの読書をした。まずは、とある学習会で取り上げられた三島由紀夫の『金閣寺』(1956年発行)。読んでは見たものの、「金閣寺」とは何を暗喩しているのか。菅孝行の『三島由紀夫と天皇』(2018年発行)も合わせて読んだが、そのなかで、磯田光一と奥野健男は「私の現実参加を阻害するもの」、田坂昴と野口武彦は「戦後世界そのもの」、紫田勝二は「欺瞞的天皇制」、伊藤勝彦は「金閣寺=天皇」と先人の意見を引いているが、菅自身は明確な回答を与えていない。

 菅を含めて、7人の意見はほぼ妥当だと思うが、私にはまだ納得のいかないところがある。

ひとつは、三島が占領軍と誼(よしみ)を通じて生きのびた天皇にたいして忌避感を持ち、戦後天皇(制)に対する批判を表明していたと、菅は解説するが、しかし、『金閣寺』では主人公が米軍の空襲で金閣寺が焼けることを期待しており、戦前の金閣寺(天皇)に対する三島の否定感情があり、必ずしも戦後後天皇(制)に対してだけ、限定的に忌避感を持っていたわけではないのではないか。

 確かに、三島は「敗戦は私にとっては絶望の体験」、「私にとって敗戦…それは解放ではなかった」と、戦前・戦後を分けて考えていて、戦前天皇(制)への期待感が充満しているが、単純に戦前回帰思考と見ることはできないのではないか。

 そして、LGBTの七崎良輔(LGBT)著『僕が夫に出会うまで』(2019年発行)であるが、連れ合いから強く薦められて読んでいる。はじめにを読んだだけで、きっと私の涙腺は開けっ放しになるだろうと予感したが、その通りの経過をたどっている。
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