アジアと小松

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小松基地問題研究会

20240703小冊子『小松基地騒音「10・4協定」への1年間』を発行

2024年07月03日 | 小松基地関係―M保管文書
小冊子『小松基地騒音「10・4協定」への1年間』を発行
              頒価500円 送料215円

 編集後記―資料入手のいきさつ

 小松基地第7次爆音訴訟がはじまるにあたって、1975年の「10・4協定」、「ファントム裁判提訴」に関する資料を整理した。その当時の私は田上の「学び舎」にあり、「ファントム訴訟提訴」や「10・4協定」についての情報が十分に伝えられず、「10・4協定=毒饅頭」論や「騒音訴訟=合法主義」論として、冷ややかに見ていた。

 竹内伊知さんとの親交は、そのはるか後の1990年代から2009年に亡くなるまでつづいた。1926年生まれの竹内さんは皇国少年として、友人たちとともに死を急ぎ、生き残ったことを暗い重しとして自らに課し、戦後は革新系政治家として人々の信を得ていた。
 何がそうさせたのかを尋ねると、竹内さんは「新憲法草案」と「越中弘司さんとの出会い」を挙げた。私は、驚きのあまり、「その人は、僕の叔父さんや」と叫んでいた。治安維持法でマークされ、習志野陸軍練兵場から、硫黄島に送られる寸前に敗戦を迎えて、辛うじて生き残った戦前の活動家であった。

 この雑談を機に、年の離れた兄弟のような信頼関係が築かれ、本島等さん講演会(1998年)や聖戦大碑闘争(2000年~)に取り組み、沖縄・辺野古を訪問し(2000年)、「10・4協定」に至る1年分の交渉記録(M資料)を受けとったが、不二越強制連行訴訟に忙殺されていて、精査することもなくやり過ごしていた。

 やがて、竹内さんは健康を損ね(2002年頃)、第5・6次訴訟(2008年提訴)がはじまり、竹内さんは不帰の人となった(2009年)。私は不二越強制連行訴訟での役割を終え、ようやく小松に戻り、M資料の翻刻にとりかかり、『大軍都小松から防空要塞へ』(2016年)、『小松からアジアの友へ』(2021年)に記録し、関係者に配布したが、あまり注目されなかった。
 2024年にはじまった第7次訴訟の争点の一つとして、「10・4協定の順守義務違反」が挙げられており、今一度、資料に目を通し、「10・4協定」をたたかう武器として鍛えるために、冊子として残すことにした。

 再整理する過程で気づいたことは、「10・4協定」の交渉真っ只中で、「ファントム訴訟」が提訴されたことにあらためて唸らざるを得なかった。そこには、強いられた騒音苦への怒りが噴出しており、その表現として「12人のファントム訴訟」と「竹内10・4協定」があり、堡塁として今日に引き継がねばならない。「毒饅頭論」や「合法主義論」などという、人民の苦悩とかけ離れた屁理屈は撤回しなければならない。

 1974年以降の騒音防止協定交渉開始後は、森喜朗らが政治的に介入し、協定内容の空疎化(紳士協定)を図ってきたが、ファントム訴訟提訴は「防衛庁では他の基地への連鎖反応を憂慮、困惑している」(9/13『北国』)と報じられているように、相当な打撃を与えたようで、後日、竹内さんは「私にも勇気がふつふつと湧いてきた」「提訴が報じられると、防衛庁側の態度が急速に軟化した」(2002/3/7『朝日』)と語っている。

 まさに、たたかいこそが政府・防衛庁に譲歩(「10・4協定」)を強制したのであり、竹内伊知さんを市長に押し上げた小松市民、その最先頭で「ファントム訴訟」をたたきつけた12人の原告、彼ら・彼女らの意思をいまこそ引き継ぎ、第7次爆音訴訟支援に取り組みたい。                             2024年6月






目次
(Ⅰ)「1975年『10・4協定』に至る経過」(表) …… 1頁
(Ⅱ)Mさん保管資料の解説(2016年6月) …… 2~9頁
(Ⅲ)「10/4協定」、「9/16協定案」、「名施局施策案」の比較 ……10~15頁
(Ⅳ)Mさん保管資料の翻刻 …… 16頁~
①1974.10.19【名古屋防衛施設局から小松市へ】小松基地において自主的騒音規制について…16頁
②1974.10.25【名古屋防衛施設局から小松市へ】小松基地ファントム配備に伴う当庁の諸施策について(案)…18頁
③1974.11.19【小松市から名古屋防衛施設局へ】第303飛行隊関連施設の整備について…19頁
④1974.12.21【名古屋防衛施設局から小松市へ】小松基地ファントム配備に伴う騒音対策大綱(案)…20頁
⑤1975.2.27【名古屋防衛施設局から小松市へ】小松基地安全ならびに騒音対策大綱について…20頁
⑥1975.6.10【小松市議会から内閣総理大臣へ】意見書…22頁
⑦1975.7.4【名古屋防衛施設局から小松市へ】確認書(第1案)、協定書(第2案)、協定書(第3案)…23頁
⑧1975.7.17【石川県、小松市など】防衛庁に対する回答の基本方針(案)…24頁
⑨1975.8.27【名古屋防衛施設局から小松市議会へ】航空自衛隊小松基地へのF4EJ機配備について…25頁
⑩1975.8.27【名古屋防衛施設局から小松市議会へ】航空自衛隊小松基地に係る懸案事項の解決促進について…26頁
⑪1975.9.16【小松市から名古屋防衛施設局へ】協定書案…26頁
⑫1975.9.23【名古屋防衛施設局から小松市へ】航空自衛隊小松基地に係る懸案事項の解決促進について…28頁
⑬1975.9.26、29【『地方行政』時事通信】「私の基地騒音反対闘争」竹内伊知(石川県小松市長)…29頁
⑭1975.10.4【防衛庁・小松市】小松基地周辺の騒音対策に関する基本協定書…31頁
(Ⅴ)Mさん保管 原資料 …… 34頁~
(Ⅵ)当時(1975/9~10)の新聞切り抜き …… 74頁~
 編集後記 …… 92頁
2024年6月 小松基地問題研究会
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