アジアと小松

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小松基地問題研究会

20240608 6・6第7次小松基地爆音訴訟(第1回口頭弁論)傍聴記

2024年06月08日 | 小松基地爆音訴訟傍聴記
6・6第7次小松基地爆音訴訟(第1回口頭弁論)傍聴記

 6月6日、午後2時半ごろに、兼六園下の白鳥路公園に到着した。すでに、横田と厚木からの支援者が幟旗を掲げており、挨拶をし、PFAS(有機フッ素化合物)などについて四方山話をしているところに、小松からのバスが到着し、公園は原告団でいっぱいになった。弁護団も加わり、総勢100人近くが横断幕を先頭にして、裁判所に向かった。



 法廷の傍聴席は原告団と支援者で埋まり、原告弁護団席は30人ほどで身動きも出来ない状態だ。被告(国)席は12人がさえない顔をして位置についた(弁論途中で、2列目で、手前から3人目の男性がこっくりこっくりと居眠りをはじめた)。
 裁判官が入廷し、写真撮影がおこなわれ、審理が始まった。裁判官と被告・国のやり取りを聞いていると、国側は口頭弁論ごとに原告本人の意見陳述がおこなわれることに不満のようだ。何を言ってるんだ、原告の姿も見たくなく、声も聞きたくないようで、書類審査だけで審理を進めたいなど、もってのほかだ。

 第7次訴訟の第一声が発せられた。今村さんは「なぜ爆音という言葉を使うのか、わかりますか?」と裁判官に問いかけ、「爆音は、基地周辺住民に不安、恐怖、ストレスを引き起こしている」と説明するが、基地の近くで生活したことのない3人の裁判官の心にどれだけ響いたのだろうか。
 今村さんは、WECPNL(うるささ指数)80の地域に生まれ、7歳のとき(1961年)に小松基地が開設され、F86F、F104J、F4EJ、F15Jへと機種変更されるごとに爆音が大きくなり、爆音に晒されながら生活してきた。この先にはF35A戦闘機の配備が予定されており、「もはや、住民は耐えてはいけない局面」だと自らを叱咤している。「軍事や国防は人権や平和に優先するのか」とも問いかけ、言外に「否!」と叫んでいる。
 最後に、宮沢賢治の「注文の多い料理店」になぞらえ、次から次へと出される国からの注文(指示)に易々と従っていくと、とんでもない事態が待っているという、宮沢賢治の警鐘に、「私は声を上げ続けていこう」と決意を表明した。

若手弁護士、奮闘
 原告意見陳述につづいて、弁護団から、①小松基地の歴史と現況、②生活侵害の実態、③F35戦闘機配備、④被害実態(浜佐美町、安宅町の住民の声)、⑤健康被害(心身相関)、⑥差止請求(「10・4協定」)、⑦損害賠償、⑧まとめ(違憲訴訟として)についての主張がなされた。そのなかからいくつか簡略に報告しよう。(文責『アジアと小松』)

①小松基地の歴史と現況
 小松基地は1961 年に設置され、現在約1700人の隊員が所属し、主力戦闘機のF15 が約50 機配備されている。1975 年10 月4 日、公共用飛行場の区分第2種Bについて定められている期間内に速やかに環境基準の達成を期すると約束した「小松基地周辺の騒音対策に関する基本協定書(10・4 協定)が締結された。
 その直前の9 月16 日、「静かで平和な空」を求め、小松基地を離着陸する戦闘機の飛行差止等を求める裁判が始まった。第1次訴訟原告12人の名前(福田、湯浅、翫、廣瀬、長井、中林、森、笹井、澤田、久保田、立花、川口)が読み上げられ、彼ら彼女らの顔が浮かび、目頭が熱くなった。
 基地を相手とした裁判は全国に広がり、横田、厚木、岩国、新田原、普天間、嘉手納の基地で同様の裁判がおこなわれている。
 小松基地爆音訴訟の特色は2つある。①自衛隊違憲の主張:小松の裁判は「静かさ」だけでなく、「平和」を求める闘いであり、差止請求の根拠と騒音の違法性を基礎づけるものとして、自衛隊機及び米軍機の違憲性を一貫して主張している。②医学調査の実施:戦闘機騒音によって基地周辺で暮らす住民に健康被害が生じていることを裏付けるため、医師を中心とした大規模な医学調査を多数回実施し主張してきている。

④被害実態(浜佐美町、安宅町の住民の声)
 訴状では、従前の訴訟の陳述書等で語られてきた被害実態に基づいた主張をしています。この主張の元となった陳述書等を時間の関係でごく一部に絞って紹介します。まず、肝臓がんで病気療養中だった男性の話です。
 肝臓がんですので、日中体が重くて辛い状態になることがよくあります。そんなときは昼寝をして体を休めたいのですが、4 機続けて飛んだりされると、とてもとても眠れたものではありません。騒音で昼寝を中断させられて「えー、うるさいなあ」と悪態付きながら起きることもよくあります。
 そんな風に起きると、ひどい耳鳴りがし、頭も痛くなります。まだまだ体がだるく眠りたいのにそれでも眠れないので、大変辛いです。こんな体調では外を出歩くこともできませんし、かといって家にいても、ジェット機とかの騒音でテレビの音も電話の音もよく聞こえない。ちょっと気分転換に庭木の手入れをしたりしますが、その間もひどい音がしたりします。何機も連続だったりすると、なんとも落ち着かない気持ちになります。
 私の親の墓は小松市浜佐美町という、滑走路のすぐそばの、住民が集団移転した跡地にあるのですが、やかましくて、やかましくて、落ち着いて墓参りもできません。
 浜佐美町のお墓は、滑走路の南端のすぐそばにあります。筆者もまた、80コンター内の泉町で10年間暮らしたが、病気で発熱し、寝ているときに、ジェット戦闘機の爆音には苦しまされた。

⑥差止請求(「10・4協定」)
 自衛隊及び在日米軍は小松飛行場を使用して、原告ら周辺住民らに対して、日夜,耐え難い騒音をまき散らし,深刻かつ重大な被害を与え続けている。侵害行為や被害から原告ら周辺住民を救済する方法は、違法な騒音をまき散らす原因である戦闘機の飛行を差し止めるしかない。金銭の支払いでこと足りるとすることは許されない。
 原告らが主張する差止めの根拠は主に4つある。①憲法第9条に違反する国の行為によって個人の基本的人権が制約されない権利である平和的生存権が憲法上保障されている(憲法前文2項)。すべての基本的人権の基礎となる「基底的」権利である。集団的自衛権行使を認めるなど、現在の自衛隊の在り方が憲法に違反することは、あまたの憲法学者も認めている。
 ②憲法上、個人の生命・身体・健康及び生活利益など、人間としての生存に基本的かつ必要不可欠な権利としての「人格権」が保障されている。個人の生命・健康は,最大限尊重されなければならない。
 ③憲法上,国民が健康で文化的な生活を維持しうる外的条件である良好な環境を享受しかつ支配しうる権利としての「環境権」が保障されている。
 ④小松基地特有の差止め根拠として,公害防止協定である「10・4 協定」(1975/10/4)が存在する。主な内容として、
ア 1983 年までに周辺地域の騒音環境を、屋内外を問わず、環境基準W70 ないしW75 以下にすること
イ 安全対策として、努めて市街地上空を飛ばないように飛行経路を選定すること
ウ 騒音源対策として、ⓐ離着陸方式、飛行経路等運行方式を改善、ⓑ早朝,夜間及び昼休み時間には、特にやむを得ない場合を除き、離着陸及び試運転を中止、ⓒ高校入試、お旅祭りその他小松市の主要行事で小松市が要請する場合は、できる限り飛行を制限し、又は中止など。
 協定成立から45年以上、履行期限から約40年が経過した今日に至るも、上記環境基準値(W75以下)を達成していない。飛行経路のうち最も騒音が軽減される中島コースの遵守率は低い。市街地上空の飛行を継続するなどして、安全対策も騒音源対策も著しく怠っている。
 したがって、原告らは、被告国が自ら約束した、法的拘束力のある「10・4 協定」に基づいて、これに違反する自衛隊機の飛行の差止めを求めている。
 差止内容は、①時間帯(「午後0~2時」「午後6時~翌午前7時」)による差止め。夜間早朝の騒音は、市民生活に及ぼす影響が大きく、昼休み時間も、日々の仕事や学業における休息の時間であり、「10・4 協定」上、夜間早朝はもちろん、昼休みの時間も飛行を控えること。

 2時間の口頭弁論を終え、次回期日を9月17日午後2時からとして、閉廷した。
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