アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20180712 NHK「お金もうけのジレンマ~新世代の資本主義論~」を考える(上)

2018年07月12日 | 読書
NHK「お金もうけのジレンマ~新世代の資本主義論~」を考える(上)

ナレーション:「今、お金ってなんですか」―新春に放映され異色のドキュメント。分断が世界で進む現実に、若い世代からも多くの反響が寄せられた。やめられない。とまらない。欲望が欲望を生む―欲望の資本主義。アメリカファーストを掲げ、ビジネススマイル全開に見えるトランプ大統領の登場で、ますます加速。広がる分断―8人の大金持ち(総資産4268億ドル)と世界人口の半分(36億人)が持つ資産とほぼ同じ。
注:トップ8人(①米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏、②米著名投資家ウォーレン・バフェット氏、③メキシコの大富豪カルロス・スリム氏、④米アマゾン最高経営責任者(CEO)のジェフ・ベゾス氏、⑤米フェイスブックCEO のマーク・ザッカーバーグ氏、⑥スペインファッションブランドZARAの創業者アマンシオ・オルテガ氏、⑦米オラクル会長のラリー・エリソン氏、⑧前ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグ氏である。8人中6人までがアメリカ人である。―2017年1月16日、『日本経済新聞』)

  

ナレーション:持つもの、持たざるものを引き裂く欲望の資本主義。そんななか、アメリカでは社会主義の成立を願う若者たちの姿(テロップ―アメリカ社会民主主義者の会、資本主義反対)。揺れる経済のあり方。そもそもマルクスは資本主義経済が高度に発展したその後に、自由で平等な社会主義が作られると考えた。だが皮肉にも、社会主義が実現したのは、当時まだ貧しかった北の大地。早すぎる壮大な実験は失敗に終わった。
   アメリカでマルクス経済学にめざめたというAさんが今回のジレンマのゲスト。今社会主義にイデオロギーを超えた可能性を見出している新世代の経済学者だ。対するのは、ネットビジネスの最前線で、新機軸を仕掛けるCさん。Cさんが立ち上げたのは、だれもがライブハウスに出来るプラットホーム。エンタメ業界に新たなモデルを打ち出し、注目を集めている。資本主義の発生の歴史から研究するBさんも参加。産業革命発祥に地イギリスに10年以上身を置き、ビジネスと社会の関係を問い続けてきた歴史学者。人生の選択を間近に控えた学生たちも集まった。
   日本でも、産業構造が激変、サラリーマンが安定とはいえない時代に、企業をめざすか、起業か? 新たなマルクス経済学の視点を交え、お金の経済のこれからを語る―「お金儲けのジレンマ~新世代の資本主義論」。
注:「アメリカ社会民主主義者の会」とあるが、ウィキペディアでは、「アメリカ民主社会主義者(DSA)」となっていて、2011年「ウォール街を占拠せよ」に参加し、2016年アメリカ大統領の民主党候補としてサンダースが立候補した。

社会学者D:マルクス主義から見ると、起業はいいものなのか?
経済学者A:資本家になりたいという手段である。日本型雇用で働くことが難しくなってきている。それにたいするオルタナティブ(新しい選択肢、代替案)として自分はこの階級社会で、起業して資本家になりたいという―。

社会学者D:マルクス主義的正解は、労働者として搾取されるのか、資本家として搾取するのか?
経済学者A:マルクス主義的にいえば、当然、そういう対立をなくして、資本家もお金儲けをしなくちゃというプロセスに追われていることからも解放してあげようじゃないかということがある。
→投稿者:階級対立を解消し、支配階級も被支配階級も、ともに解放するという思想。

社会学者D:もともと、搾取ってどういう意味なんですか?
経済学者A:搾取というのは支払われている以上に、労働者が価値を生み出している。利潤がどこから来ているかというと、不払い労働部分から来ている。

ナレーション:マルクスは、「生産手段を持つことで富を蓄積すること」を批判した。搾取され続けた労働者はやがて団結して、資本家を打倒、自ら自由で平等な社会主義社会を建てる。

社会学者D:資本主義をまわすためには、労働者を搾取することが必要?
経済学者A:そうですね、利潤・資本を増やしていくことが資本主義の根本的なメカニズムだとするならば、そのためには必ず労働者が剰余労働をして、自分たちが得ているよりも多くの価値を生み出さなくてはならない。

社会学者D:搾取がなくなったら、お金儲けはできなくなるのか?
経済学者A:そうです。お金儲けをしなくなった状態の方が、イノベーションとかも出て来る。お金儲けのためにイノベーションをしていると、視野が狭くなったり、繋がるようなチャンスがなくなる。特許とか、資金(不足)の関係で(チャンスから)遮断されること(障害)が取り払われるわけですから。

社会学者D:共感とか、応援を受けることを目的にしていて、参加者はお金儲けが目的ではないのか?
起業家C:逆説的なんですが、お金儲けを目的にしても、多分お金は貯まらない。共感ってそういうものなんですね。自分は昔引きこもりで外に行くことはできなかったけれども、アイドルを見て救われたから、今度はアイドル側にまわって、救う側にまわっていくんだというストーリーに共感して、そこにお金が投じられるとか、そういうものなんですよ。

ナレーション:起業家Cによると、だれでも動画をライブ配信出来るプラットホームを応援したい。表現者に、見る人は有料のデジタルギフトをプレゼント。そこに利潤が生まれる。共感がこのビジネスのカギだということだが。

社会学者D:起業体は結果的に誰かの何かを搾取しているのでは?
経済学者A:今の形だと、明らかな搾取ではなくなっている。参加している人たちも、コンテンツをあげて、そのなかで楽しくしている。フリーであげられているコンテンツをもとにして、YouTubeなりショールームなりで、利潤を上げているというのは、これまでは労働者が工場で搾取されているというのとは違う形で、新しい富を産む形態になってきている。
起業家C:供給者と消費者の境目が曖昧になってきているから、単純に搾取とはいえなくなっている。
→投稿者:Aさんは現代資本主義をあからさまな搾取ではなく、新しい「富(利潤)を産む形態」と主張している。Cさんは資本家を供給者、労働者を消費者と呼び変えて、両者の間には「搾取」が存在しないかのように主張している。「新しい形態」を資本と労働、搾取=被搾取の問題として厳密に論じるべきだろう。

社会学者D:Aさんからすると、あからさまな搾取と、ハッピーな搾取でまわっている社会と、どっちがいいんですか?
経済学者A:あからさまな搾取が難しくなってきている。モノをたくさん作って、売るというモデル自身も行き詰まっているし、依然として搾取は続いているので、もっと違うあり方があるんじゃないか。
→投稿者:あからさまな搾取であろうが、ハッピーを感じる搾取であろうが、労働者の剰余労働部分をピンハネしていることに変わりはない。そうでなければ、どこから利潤が生まれるというのだ。Aさんは搾取ではなく、「違うあり方」を模索しているようだが、搾取のない資本主義があり得るのだろうか?

社会学者D:共感をもとに仕事をすることは、今始まったわけではなく、昔からあるんですよね?
歴史学者B:そうですね、例えば300年ほど前ですが、イングランドだったら国内で投資する対象が増えていくという時期があって、イングランド銀行が始まって、ベンチャー企業がたくさん出て来るんです。コーヒーハウスにいろんな人がビラを配っていて、そこで「わたしたちは新鮮な水を飲めるようにします。そうするとすごくいいですよ。生活の質も上がりますよ」などと、あの手この手で、投資を期待して、関心とか興味を買おうとしていました。

社会学者D:今でいうと、NPO、社会的企業と近いのですか?
歴史学者B:極めて近いと思います。

社会学者D:お金儲けなのか、社会的にいいことをしたいのか?
歴史学者B:実際に、本当なのだろうかと、当時も思われていました。結局私利私欲を追求しているだけなんじゃないかと、疑問とか批判とかが常にあって、それ自体も新しくない。

社会学者D:私欲追求型の起業家は流行らない?
起業家C:少ないです。

社会学者D:本気で、私利私欲がないのか、社会のためなのか?
起業家C:ただ、欲求階層(注)をのぼっているだけで、だからお金が増えてもそんなに幸せじゃない。その次の段階の幸せをもたらしてくれるものはなんだと考えたときに、自分がリーダー的行動を起こして、世の中にたいして社会的価値を与えたときに返ってくる共感とか、感謝とかを得た「幸せの効用」の方が大きいことがわかっている。
注:人間の欲求は「生理」「安全」「愛情と所属」「自尊と承認」「自己実現」という5つの階層構造を持っており、前の段階の欲求が充足されて初めて、次の階層の欲求の充足段階へと到達することができる。これを欲求の階層説または自己実現理論と呼びます。<生理的欲求>は、生命維持のための根源的な欲求、つまり、食欲・睡眠欲・性欲といったものを指します。<安全欲求>は、生命維持だけでなく、生命を脅かす可能性のある状況を回避しようとする防衛のための欲求です。<愛情と所属の欲求>は、社会的な関係性をもって居場所を確保したいという欲求です。<自尊と承認の欲求>は、居場所の確保だけでなく、その場において存在する価値のある人間でありたい、他の構成員からの承認を求めたいといった欲求を指します。そして最後が、<自己実現の欲求>自分自身が持っている成長可能性や潜在能力を十分に表現でき、自分らしく創造的に生きていきたいとする欲求です。

司会者E:(学生に向かって)起業したいと思っている人は?―3人挙手―どうですか、今の話しを聞いていて?
学生・F:利潤を追い求めたらあまりよくないという風潮になっていて、ぼくは資本主義が好きだったので、A先生が社会主義なので聞きたいと思って…。利潤についての話しなんですが、価値が出なかったらNPO、価値が出たら普通の株式会社というふうに言っているようにしか感じない。そのちがいは何ですか。自分自身利益を追求してからでないと、自立していない人間が他人にアプローチ出来ません。

社会学者D:今のところ、お金儲けしたいのですか?
学生・F:そうですね。

ナレーション:お金儲けがしたい、さらに富を増やしたい、そんな人間の欲望に免罪符を与えたのが経済学の父アダム・スミス(1723~1790)でした。自らの欲望に従い、それぞれがお金儲けを追求すれば、結果的に分業が達成され、社会は豊かになる。それを「見えざる手」と呼んだ。スミスの理論を根拠に、資本主義は膨らみ続けてきた。だが、実はスミスは倫理学の書物(『道徳感情論』)も残している。「利己心だけではなく、他者への共感が社会の要だ」と書いているのだが。
→投稿者:資本の自己運動性は倫理では抑制できない。だからスミスが生きていた当時から200年後の現在も、資本主義は非倫理的で、格差が広がり続けている。

社会学者D:お金儲けしたいという学生にたいして、Aさんは?
経済学者A:日本自体の経済が、マクロで見て行き詰まってきているなかで、起業したいという背後には、やらなかった人は自己責任だということがついてきます。パイが小さくなってきたら、失敗するかもしれないし、自己責任で切り捨てられない部分があるんじゃないか。そもそも、チャレンジ出来ない人もいるんじゃないか、そういうところに想像力を向けるべきじゃないでしょうか。

社会学者D:最近、国が「起業しよう」と言っています。日本経済を成長させるために、公的ミッションとして扱っているのに、失敗したら本人の責任という、体制に都合のよい存在でもあるわけですね。Bさんは資本主義を乗り越えることができると思って研究しているんですか?
歴史学者B:そうですね。歴史的に資本主義というのは、ここ数百年のシステムであって、いま出てきている傾向性を最大限に推しすすめることによって、資本主義を超えた、社会主義ではなく、ポストキャピタリズム(ポスト資本主義)に行けるのではないかと考えています。イメージで言うと、オートメーション化が進むなかで、労働時間を減らすチャンスが出てきている。2つ目は情報とか知のフリー共有、3つ目はシェアリングエコノミー(注:ネットを用いたモノやサービスを交換・共有する新しい経済の形)で、モノの社会的シェアーが進んで行く。そうすると資本主義の根本原理である私的所有とか、価値を追求するという原理がみんなでシェアするようになったり、みんなで共有するようになると、(注:資本主義の根本原理が)揺らいでくる。そこに突破口があるんじゃないか。そこで伺いたいのは、所有がなくなってしまうと、競争はどうやってするのですか? 競争はいらないという話しですか? そもそもシェアリングエコノミー(sharing economy)(注)とか、オートメーションを可能にしているものがどうやってつくりだされたのかを考えると、例えばシリコンバレーでの競争とか…。
注:物・サービス・場所などを、多くの人と共有・交換して利用する社会的な仕組み。自動車を個人や会社で共有するカーシェアリングをはじめ、ソーシャルメディアを活用して、個人間の貸し借りを仲介するさまざまなシェアリングサービスが登場している。
→投稿者:Bさんは<①オートメーション化、②情報・知の共有、③シェアリングエコノミー>によって、資本主義の原理=私的所有、価値(利潤)追求が揺らぐと主張しているが、これで資本主義のワイングラスが砕け散ると本気で思っているのだろうか。2011年「ウォール街を占拠せよ」は未完であり、ますます格差が拡大しているという現実からはじめるべきだ。

経済学者A:よく言われる例ですが、オープンソース(注①)の例で言うと、ウィキペディアとかリナックス(Linux)など、みんなで競争しないで、シェアしたいという気持ちから、あれだけ大きなプログラムができた。シリコンバレーの例を挙げたけど、クラウドファンディング(注②)で、挑戦心のある人を応援したいという人も出て来る。
注①:ソフトウェアの設計図に当たるソースコードを無償で公開して、誰でも自由にそのソフトウェアを改良して、再配布できるようにすること
注②:ある目的に向け、賛同者を募り、資金を集める仕組み→投稿者:株式会社方式とどう違うのか?


歴史学者B:クラウドファンディングはまだ資本主義じゃないですか?
経済学者A:だから、資本主義を超えるような、いままでみたいな資本をいっぱい持っていないと大きな企業を作る事が出来ないというモデルから、むしろだれでもチャンスがあって、水平的分散化したような新しい社会的起業をおこなえるのは全然違う資本主義のあり方になってくる。
→投稿者:「だれでも」は億単位の人間を対象にして言っているのか、知から排除された植民地下の人民があらかじめ除外されている。資本主義が戦争をもたらしており、そこで逃げまどっている人民は対象外か? 「資本主義を超える」というが、価値法則の廃絶を射程内に入れているのか? 「資本主義のシステム」を根絶することが本質的解決の道だと確言出来ないのか?

歴史学者B:それって、ぼくが研究の対象としている300年前のイギリスに似ている部分も多い。新しい共感を求めるメッセージで、新しい会社を作ってみようか、ロンドンへ行って一発勝負してみようかな、そうすると当時も、クラウドファンディングが可能になっていたんですね。
経済学者A:おもしろいのは、新しいビジネスがイギリスの時よりも、さらにグローバルに人々をつなげるようになるところに、資本主義と違う原理が出てきちゃう。
→投稿者:グローバル化が「非資本主義的な原理」とでも言いたいのか? 「帝国主義段階」論のように、「亜段階」論として展開するならまだしも、「資本主義と違う原理」が貫かれるシステムするのは明らかに誤りだ。

歴史学者B:ネットワーク化されている状態という点は、300年前とはまったく違うし、速度も違う。
経済学者A:技術が違い、速度も違う。

社会学者D:ポスト資本主義ともいえるし、資本主義の行き着く先です。資本主義が徹底され、共感さえ商品になってきた時代といえる。
経済学者A:ある意味で、人と人のネットワークが強まってきているという側面がある。

社会学者D:AさんとCさんは近いんですか?
経済学者A:そういう新しく出ている技術というのは、実は必ずしもお金儲けではないというところがポストキャピタリズムを示しているんじゃないかな。
起業家C:過渡期だから、説明しにくい現象が起きている。例えば、ウーバーだって、上場しますといって、資本市場でお金を集めたら、資本主義の仕組みのなかでロジックが動きます。

ナレーション:ウーバーは世界80ヶ国ほどで展開されているアプリで、車を呼べるサービス。一般の人が客にもドライバーにもなる。シェアリングエコノミーの実践例として注目を集めている。

起業家C:消費者側に目を向けると、消費者は所有ではなくて共有という、消費者は共有でオーケーで、奪い合いはない。運営している側は奪い合いが起き、タクシーを倒さねばならないし、他のウーバーⅡが出てきたら、それも潰さなければならない。
経済学者A:そこが資本主義が自分らの可能性を抑圧するポイントです。資本主義である限り、ウーバーはそれを手放せないから、そこはこれから階級闘争が必要となる。
→投稿者:Cさんが問題にしているのは階級間の問題ではなく、資本間の競争(闘争)なのではないか?

歴史学者B:例えばショールームみたいな一種のシェアを広げていきますよね、ここまで広がっていったときに、そこまで広がるのは不当だと、独占に近づいているといわれたら、どのように感じるのですか?
起業家C:そのとおりなんですよね。それこそぼくらがかかえているジレンマなんです。一強になってしまうと、歪みの構造になるんですよ。エンタメ業界の権力の偏りの構造は違う(注:まずい)と思っているので、それ(独占、偏り)を分散させるために、個人(歌う、踊る、楽器を弾く)が一定の生計を立てられるまで、ファンを作ることがぼくらのやっていることなんです。それが成立している裏側で、価値がどんどん付いてきて、ぼくらに権力が寄ってしまうんです。行き着く先は、ぼくらに寄った権力を分散させていくことだと思っています。

司会者E:分散というのは、社長さんがやりたいと思ったら資本主義のもとでもできるんですか?
経済学者A:できないですね。知識を独占して、労働者から取り上げたのが資本主義のロジックです。ネットワークが進んできたから、知とか情報を自分たちの側に取り戻せるんじゃないか?
→投稿者:資本主義が「知、知識」を商品化したという延長線上に論が形成されており、ネットワークが発達すれば、資本主義下でも労働者階級は支配階級に奪われた「知、知識」を奪いかえすことができるとしている。資本が作った「知、知識」という商品は資本の所有下にあり、その商品(知、知識)を消費者に販売することによって、利潤を生み出しているのではないか。この商品(知、知識)を購入することを「取り戻す」というのは間違いではないか?

司会者E:自分たちってだれなんですか?
経済学者A:資本家じゃないです。
→投稿者:「資本家じゃない」といいながら、労働者階級とは言わないで、お茶を濁している。

社会学者D:マルクスの主張は工場を持っていなかったら資本家になれないとか、今って、タブレットがあればビジネスができるので、資本家と労働者という昔ほどに強固な対立関係はないと思うのですが?
経済学者A:ぼくは「起業がいつでも、だれでもできる」というのにイデオロギーを感じる。非正規労働者とか、生活が苦しいなかで、日々の生活に追われていたら、そういうことを考える余裕もないし、彼(注:非正規労働者)が求めているのはチャレンジして、ワンチャンスをあてることではなくて、日々の安定とよい生活であり、そういう人たちに目を向けることが重要である。貧困率を見ると、苦しい生活をしている人が極めて多くなってきており、追い込まれている人たちも多いことを考えると、この人たちに「起業しろ、チャンスがあるぞ」というのは…。



社会学者D:確かに、国によるフリーター支援とかの政策を見ていると、フリーターに起業など極端なことを迫っている。フリーター問題の報告書なのに、結論が「起業しましょう」となっていて、それは無意味だなと思うのですよ。起業は大変なんですか?
起業家C:なかなか大変です。「やめなければ成功する」というのがモデルになっていて、資金調達の敷居がさがっていて、起業して壁にぶつかったときに、壁を破る精神があるかどうかにあり、だれもが起業出来るとは思わない。

司会者E:どういう壁があったのですか?
起業家C:例えば、社員が14~5人しかいないのに、10人が辞めると言い出したとき。

社会学者D:みんなに起業を勧めますか?
起業家C:モチベーション(意欲、動機)が高ければ勧めますよ。起業して、「いやなことが起きても、ハッピーに働けます、打ち返せます」というんだったら、勧めます。

社会学者D:そうでなければ、安定した何か(仕事)をやればいい?
起業家C:理想は、選択肢が広がっていけばいい。

歴史学者B:それ(選択肢)を広げるためだったのでしょうが、これまでのように安定した生活をしたい人たちは、逆に苦しくなるかもしれません。そうすると、選択肢が広がったにも拘わらず、それ(起業)を選択しなかった人の責任になる可能性がありませんか?
経済学者A:そうならないように、もうひとつ違う対案を出していく必要があります。社会的に、日本型雇用が難しくなっていて、かといってみんなに起業を求めるのは酷です。イギリスには、新しい案が出てきていて、この番組でもピケティのことが出ています。

ナレーション:資本主義が生む格差を分析した『21世紀の資本』が世界中でベストセラーとなったトマ・ピケティは「重要なのは民主主義がこの強力な市場を正しい方向に導くことです」と主張している。「r(資本の収益率=株式、預金、不動産による収益)>g(労働による所得)」を実証した。富める者がより富むのが資本主義の定めなのか?

経済学者A:rがgより大きいなら、資本を持っている人はどんどん大金持ちになって、格差が広がっていくという議論が流行っています。ピケティはその時に課税再配分して、rを抑えようというのですが、今、イギリスの労働党党首で、ジェレミー・コービンは「rを労働者自身が取ってしまえばいい」、協同組合を作って、自分たちでrを管理すればこの問題を解決出来る。
→投稿者:資本主義のもとでの課税再配分では「取り過ぎた」一部分の再配分程度で、格差を根本的になくすることはできない。資本主義のもとで「rの労働者管理」は矛盾的である。だったら資本を廃絶すればいい。

社会学者D:一部の資本家に利潤が集まりにくい構造を作るということですか?
経済学者A:そうです。企業を売却することになったときに、労働者に先買権を与えて、このビジネスを買いませんかとオファーする。労働者が買うといったら、この企業は協同組合として、労働者が自分たちで生産を管理する企業になります。

社会学者D:実際、職員はピラミッド型の構造にしないと、命令系統をしっかりさせて、兵隊がいないとまわらないと思う。
歴史学者B:それ(注:労働者自主管理)を水平的メカニズムで、どのくらいできるんでしょうか?

社会学者D:人間の能力の差をどういうふうに考えます?
経済学者A:完全に平等である必要はない。責任ある代表がいて、その人の年収が高くてもいいと思う。経営などにかかわりを持てなかった立場にいたときと、自分たちで協同組合的に運営していくときとでは、労働の中身は変わってくるでしょう。その労働の内容も協同組合的に水平的に決めていけるようになったら、少しはまともな共同管理ができていくと思います。

司会者E:私はどちらかというと、生活的に、決定できるような自信もないですし、平でいいんですけど。
起業家C:労働者に当事者意識を持たす方が社会全体にプラスになるという社会の論理があるが、労働者ひとりひとりに聞いてみると、Eさんみたいに、「当事者意識といわれても」と思う人がいるでしょう。

経済学者A:奪われている状態では、「そんなこと言われたって」となっちゃうと思います。そもそも当事者ではなくなっている状態であり、実際に当事者になって、経験を通じて、自分たちで会社を運営する民主主義的な経験が蓄積されていくでしょう。
歴史学者B:ここで民主主義という言葉が出てきたのはすごく大事なことだと思います。みんなが大統領とか政治家のようにたくさんの決定権が必要ではないでしょう。何らかの形で町内会に関わるのと同じような感じで、仕事のなかで町内会的、PTA的感じで。
→投稿者:町内会やPTAは行政の末端組織であるという認識がない。なぜ、労働組合が例として出て来ないのか? マルクスは労働組合を「労働者自治の学校」としてみていた。労働組合(労働者の自立)を忌み嫌う資本主義のなかで、平和的に労働者の自主管理に移行させてくれるようなお人好しの資本家がいるのだろうか? ジェレミー・コービンの話しは、競争に負けて経営危機になった企業を投げ出したときの話しではないのか?

経済学者A:いきなり、「決定権がほしかったら、起業しろ」というのでは、ハードルが高いけど、みんなでこの企業を運営しようとなったら、少しは心のハードルがさがる。
社会学者D:会社を変えるにしても、社会を変えるにしても、フリーライダー(コストを負担せず、便益のみを享受する人)がいちばんお得じゃないですか。自分じゃなくて、誰かがやってくれるのを見ているというのがいちばんお得ですよね。そうじゃなくて、みんなを参加させる仕組みはどうやって作るんですか?
経済学者A:規模をできるだけ小さくして、みんなが参加出来るような規模にする。知とか情報とかテクノロジーが共有されるようになってくると、小さい企業も大きな企業と同じような商品を作れるようになる。そうすれば経営にも参加できるから、民主主義的な経験が生きてくる。
→投稿者:特許権の問題をどう解決するのか?

起業家C:「跳ね返り」だと思います。TVとラインと、どっちが楽しいかと聞くと、ラインだといいます。跳ね返ってくるから、インタラクション(相互作用)があるから。
歴史学者B:そういう意味では、跳ね返りのいいメディアを作ったということですね。
起業家C:跳ね返りがいちばん大事だと思っています。

歴史学者B:他の分野でも少しづつ、そういう跳ね返りを感じ取れるような経験を積み上げていければ、政治においても、自治においても、地元においても。
起業家C:エンタメにおいては、それが証明されているんです。

…続く…
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2018年6、7月 川柳2題(天皇... | トップ | 20180717 外来種シタベニハ... »
最新の画像もっと見る

読書」カテゴリの最新記事