おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

人生経験

2021-02-02 10:59:21 | 日記

 どんな物事にでも、適応年齢というものがある。スポーツの世界で言えば、器械体操みたいに体が小さいほうが有利なものは低年齢化が進む。野球やサッカーでも30代のうちに引退するのはザラだ。が、馬術みたいな経験が必要なスポーツになると、活躍できる年齢はグッと上がる。

 将棋や数学のような純粋な理屈で成り立っているような分野は、早熟な人間が出て来るが、物理のように世の中の現象も含めて扱うとなると、年齢が上がってくる。文学でも、詩は若者が得意とし、小説になると人生経験が求められてくる。昔は政治などは、長屋のご隠居みたいにならないとできなかったが、最近は劇務のために若返りが求められている。

 芭蕉さんは、歳をとって俳句の世界を完成させたが、普通の生活をしていては覚束ないと思ったのだろう、老人には過酷な旅に出ることにした。それはおそらく青春を取り戻す旅だったのかもしれない。山頭火の手紙を読んでいると、新鮮な発想を得るために、自ら生活を破綻させているとも言える。それはいつまでも青春を続けようとしているかのようだ。

 詩の世界を若い人が得意とするのと同様、流行歌みたいな世界も若い人が活躍しやすい。というのも、良く言えば純粋、うがった言い方をすれば世間知らずだからで、歳をとってくれば「永遠の愛を誓う」なんてことを大声でいうなんてことは、恥ずかしくて口にできなくなるのが普通なのである。「三年目の浮気くらい大目に見ろよ」と歌っても、若者にはピンと来ないだろう。

 年相応のものを作り続けるのは難しい。しかし、それがなくなれば、老人には文化は存在しなくなってしまうだろう。年寄りには年寄りに向いた仕事があるのと同様、年寄りのための歌やダンスがあってもいいし、年寄りのための漫画やアニメがあってもいい。今はまだその動きは小さくても、いずれ近い将来には、人生の酸いも甘いも噛み分けた作品が巷に溢れるようになるだろう。

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