九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

川崎フロンターレの原点   文科系

2020年09月03日 12時28分03秒 | スポーツ

 久しぶりにサッカー記事を書きたくなった。川崎フロンターレが、その全盛期をさらに築き直したように、凄まじい強豪ぶりを見せているからだ。29日Jリーグ戦で清水エスパルスを5対0、2日のカップ戦では神戸を6対0で破った。Jリーグ29日終了時点において、2位の勝ち点25を10点も引き離す35と、まさに独走である。凄まじいのはその得点力。得点41はダントツで、ほぼ1ゲーム3得点を獲っている。僕としては、このチームの最大の原点が改めて強化され直した感じを覚えるのだが、そのことが、29日の対戦相手清水エスパルスGKらの感想からうかがい知ることが出来た。
『ボールを受ける選手の「フリーの概念」が、我々とは全く違う』
 解説が必要な言葉だが、こういう意味である。「俺は今、敵マーカーを外していてフリー状態だから、いつでもボールをくれ」と川崎の選手が主張している状態は、他のチームにとっては全然フリーではない時」と。つまり、味方ボールの受け方に他チームにはないチーム技術があって、結局ボールを自由に回されてしまうということなのだ。このことで思い出すのがこのチームのレジェンド・中村憲剛の話である。
『僕がこのチームに入った2003年、一緒にこのチームに入ってきたジュニーニョから学んだことがとにかく大きかった。いつも俺を見ておけと言われる。そして要求した時にボールをくれ、と。と言われた時でも、彼は全然フリーじゃないんで、怖くて出せないんだよね。だから、後で怒られる。そんなことが続いたある日の要求に、「エイッ、もう知らないから」と、言われた所に出してみた。マーカー相手をびっくりするほど上手く制して、ボールを収めてくれた。僕の全ては、それからだった!』
 その後の川崎は、翌2004年関塚監督体制でJ2優勝、2005年にはJ1で8位と、まさに現在の基礎を築いていったのだった。さらに、もう一つ、この中村が日本だけにいていかに特殊な選手に育っていったかを示すエピソードを添えてみたい。今、大島僚太、そして田中碧らが、この中村憲剛の「目」と技術とを、引き継いでいるのである。 若手があっという間にどんどん育ってくることによって全員がレギュラーになれるような、川崎フロンターレ。過去の磐田とか鹿島のように、歴史に残る強豪時代を築きつつあると観ている。

 

【「日本サッカー・希望の星」と、ザック監督など(1)  文科系 2010年09月17日

 新生ザッケロー二代表の対外戦が、もうすぐだ。10月8日にはアルゼンチン戦、12日には韓国戦がある。折しも日本は、この15日発表の9月世界順位で30位に上り、更に上昇していく要素も多い。そんな今「日本サッカー希望の星」としてまずドイツはドルトムントで早くも「エース格トップ下」に抜擢された香川真司(21)を語り、合わせて新監督ザッケローニなどにも、資料を掻き集めて触れていきたい。
(中略)

 新生代表パラグァイ戦から、得点をアシストした中村憲剛が、スポーツグラッフィック・ナンバー最新号でこう語っている。ちなみにあの得点場面を再現描写しておくと、こんな感じだった。敵ゴールに向かってやや左40メートルほどにいた香川が、その右横のゴール正面35メートルほどにいた憲剛にボールを預ける。と同時に、するすると右斜方向のゴール正面へと走り込んでいく。初めはゆっくりと、そしていきなり全速力で、ゴール正面のDF数人の中へ走り込んでいく勢い、感じだった。そこへ憲剛のスルーパス。3~4人の敵DFの間を縫うような速く鋭い、長めの縦パス・アシストである。香川はスピードを落とさずにこれを、ワンタッチコントロールから右足シュート。
 憲剛の「表現」を聴こう。
『ああいうのは、センスだよね。実は真司が初めて代表に来たときから、2人で今回のようなプレーをしていたんだ。走っているあいつの足元にパスを出すっていうね。真司の特徴は、動きながらボールをコントロールできること』
『日本代表もパラグァイ戦のようなプレーができれば、もっと楽しくなるんじゃないかなと思う。あれだけ人が密集していても、2人で崩せちゃうんだから』
「あれだけ人が密集していても、2人で崩せちゃう」、憲剛は簡単に語っている。が、相手は世界15位。ブラジル、アルゼンチンの点取り屋を日頃の相手にしてきたDF陣である。上記の得点に二つの超難度技術が必須であったのは明白。一つは憲剛が述べているように「動きながらボールをコントロールできる」選手だが、その直ぐ後で憲剛は「まだ日本には(香川以外は)ほとんどいない」とも語っている。そしてこの必須要素の今一つは、上の表現で言えば、これ。「3~4人の敵DFの間を縫うような速く鋭い、長めの縦パス」。敵ゴール前にこのようなスルーパスを進められる選手は、憲剛の他には長谷部しか僕には名前が挙げられない。2人ともいないときの代表が「敵ゴール40メートルほどに迫ると、横パスばっか」となるのは、そういうことだと理解してきた。

 こうして、結論。これはナンバー同号同記事の冒頭の表現であって、憲剛・香川によるこの得点への評価として、僕も大賛成。木崎伸也の文なのであるが、分析力、表現力も含めて、優れたスポーツ記者だと思う。
『一瞬のプレーに、日本サッカーが目指すべき方向性が凝縮されていた』 】 

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喜寿ランナーの手記(306)考え抜いて、9キロ/hへ光明一筋  文科系

2020年09月02日 20時58分15秒 | スポーツ

 考え抜いた試みの中から、一筋の光明が見えてくるのかどうかと、そういう結果が本日あった。
 30日のランは、いつものやり方で8・2キロ走れたのだが、中2日置いた9月2日、全く同じく30分×2回を4キロ、4・2キロと走ってみた。そして、30日と何が変わるかを観察することにした。30日はその前が中3日置き、2日は中2日置きである上にこの日はコロナ対策で開け放ったジムの窓から入ってくる強い風に秋の爽やかさが混じっていたのだが。

 結果はこんなふうだった。ランの後、心臓の疲れがかなり減った。これは、後半30分の心拍数が改善されたことが大きいようだ。時速9キロで以前の普通時心拍数150ほどへと、後半も初めて昔に戻ってきたのだが、これはちょっと驚いた。そのうえで、自転車での帰路に30日と比べてずっと心臓が疲れていないと感じられたのである。これは嬉しかった。
  この心拍数の改善は、中2日とかちょっと涼しかったとか、外的条件によるものか。それとも、心臓自身に、7月1か月ブランクから回復してスタミナが付いてきたとか、トレーニングによって酸素を運ぶ赤血球が増えてきたとかによるものなのか。とにかく次回が楽しみになった。今回と同じことをしてみれば、2日に心臓疲労が少なくなった原因が何なのかがより鮮明になるのである。次回、中2日置いた5日土曜日に、30分2回を同じスピードで4キロ、4・2キロと走ってみれば良いのである。この日さらに心拍数などが改善されていれば、30分×2回が9キロほどには出来るという感触が生まれてくると思う。2日も、後半は時速9キロほどでかなり走れるなという感じを得られたから、冬のシーズンに向かっては9・5キロも?

  こんなことを考えながら走ることができる日々は、ちょっとわくわくする。80歳直前になって、1か月入院ブランクから完全に立ち直ることが出来れば、それも入院期間と同じ日数ほどで回復すれば、ここで得た知恵はこの先同じようなことがあっても必ず生きてくると確信できる。

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「政教分離」、日本の現段階  文科系

2020年09月02日 08時32分39秒 | 国内政治・経済・社会問題

 近代世界各国の国民主権政治の確立は、宗教との戦いの歴史でもあった。旧王権などが宗教でもって権威づけられ、神聖視されてきたからである。その一例に、王権神授説などがある。そこから生まれた政教分離原則は紆余曲折の歴史をたどり、実に複雑・多様な仕組みが生まれている。フランスのように「完全分離」の国から、イギリスのように国教とは認めても主権在民を徹底し国王の神聖視を排除している国(国教首座の人物を国王が任命するのだが、その皇太子等が普通の下位軍人になったり、王子の家のゴシップが非常に激しく飛び交ったり)、イスラム原理主義に近い国などなどと。同じイスラムでも、トルコ、エジプトなどが世俗主義と呼ばれているのは、政教分離を取り入れているということだ。

 これに対して、日本はどうかと観れば、戦前は政教分離はなかった。大日本帝国憲法第1条、第3条などで、天皇主権、天皇の神聖などが明記されてあったのである。だからこそ、国民は国民と呼ばれず、普通に臣民と呼ばれるのが常だったわけだ。つまり、「御真影」を神棚のように扱った王権神授説そのものの憲法、国であったのであって、それが最も徹底していた国政領域が軍隊であった。軍隊には、内閣は一切関知できず、天皇の直接指揮の下に置かれていた。こんな明治憲法の天皇権力そのものの有り様は、日本を統一した時の古代天皇国家の再誕とも見える。

 さて、そういう事実を思い出す時には、日本会議の以下のような憲法改定理念は、政教分離のまともな歴史、論争がない我が国に戦前の悪夢を呼び起こすものと捉える人々が生まれて当然である。「日本会議のめざすもの」には、以下のような重大な事項が系統的に書き込まれているのであるから。

『125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう』(「日本会議のめざすもの」全6節の中の「1美しい伝統の国柄を明日の日本へ」から)
『皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』(同上)
『そもそも憲法とは、歴史的に形成された国柄を反映した国の基本法です。私たちは、外国製の憲法ではなく、わが国の歴史、伝統にもとづいた理念に基づき、新しい時代にふさわしい憲法の制定をめざし』(同「2 新しい時代にふさわしい新憲法を」)

 何か文化的な装いを凝らしてはいるが、こういう天皇の元にまとまらないと、国民が「社会の安定」を作れず、「国の力を大きくする」こともできず等と述べている。こんなふうに考えるのは、国民と国民主権とに対する蔑視とも僕には見えるのである。「国民は外っておくとバラバラになる」と? 言い換えれば「国民の力を一方向にまとめやすくする」? これが、一つの全体主義的発想であることは明らかであろう。

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日本会議論議を終わるに当たって  文科系

2020年09月01日 09時39分23秒 | 国内政治・経済・社会問題

 このエントリーを持って一か月以上続いた日本会議論議を終わりたいと思います。この団体が目指す憲法が出来ればこういうことになるという、締めくくりを以下のようにして。 

 ある国民を切り捨てる全体主義   

 天皇敬愛を「同朋感」「国柄」として憲法の柱に明記すること自身が、これを持たぬ国民を切り捨てることになる。これは、国民主権や国民の思想信条の自由を憲法で無視する全体主義である。キリスト教徒、無神論者、まともな仏教徒らはみな無視されたことになる。「日本会議がめざすもの」という文書の以下の文言にそのことが示されている。

『125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう』(「日本会議のめざすもの」全6節の中の「1美しい伝統の国柄を明日の日本へ」から)
『皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』(同上)
『そもそも憲法とは、歴史的に形成された国柄を反映した国の基本法です。私たちは、外国製の憲法ではなく、わが国の歴史、伝統にもとづいた理念に基づき、新しい時代にふさわしい憲法の制定をめざし』(同「2 新しい時代にふさわしい新憲法を」)

 民族優位論が排外主義に繋がりうる

  このような理念を中心に据えた国家観とは、アーリア人、ゲルマン民族の優位を説いたヒトラー全体主義とどこが変わるというのか。異質国民の統制や、他民族蔑視・制圧やをどれだけ自制するかという程度の差しか残っていないことに気づきもしないこの無意識こそ、今後に向かって実は最も恐ろしいものだ。ここに描かれてある「国柄」への神聖感情、民族優越意識が国家を握ったその程度に応じて、他者への不寛容、排斥がもたらされぬ訳がない。戦前の思い出がある東アジア諸国の神経を逆撫ですることにもなる。

 こんな全体主義、排外主義憲法を目指す文書に連判を押した国会議員、地方議員は、その民主主義国家感覚が狂っているのである。そういう人物こそ、今現在既にもうこう叫んでいるのだ。「天皇を冒涜するものは、公序良俗、公共の福祉に反する者である」。憲法に象徴と明記されてある天皇について国の主人公である国民が自由に論議するのを妨げるような神聖視こそ、上記全体主義の顕れそのものである。

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喜寿ランナーの手記(305)1時間8・2キロがやっと  文科系

2020年09月01日 03時10分57秒 | スポーツ

 僕の老い?について、前回こう書いた。
『前半(30分のジムマシン・ラン)を4・2キロ走ったが、これが今の僕には無理っぽくなっているのである。僕の場合前半30分の初めはウオームアップ歩行、緩走も含むから、4・2キロを目指そうとすると前半の後半は9キロ時ほどで走らねばならず、この無理が後半に祟ってくるようだ。つまり、後半はともかく、前半は4・1キロが限界に近くなっているのである』
 30日のランでも、この記述が確かめられたと思う。30日は前半30分を4キロにして、後半を4・2キロだったが、この実験で色んなことに気づかされた。

 まず、合計8・2キロを走り通せた。そして、疲れも少なかったせいか、ランの後で最近には珍しく僕のジム・ウエートトレーニングを一通りこなしただけでなく、余分なことにも手を出して帰ってきた。いつものは、座位のプッシュ28キロとプル70キロを各10回、プラス腹背筋だが、これに加えて正式スクワット75回の他に、ベンチプレス30キロ10回などをやって来た。問題は、この疲れがどう出たかということだ。
 
 この30日のジム帰りには、身体ではなく、心臓が疲れていると感じた。これは、今までの疲労感体験からランが原因なのだとはっきりと分かった。事実31日になっても身体の張りとかは皆無だったし。
 前半30分の走りの心拍数は、1か月入院ブランクの前の普通時に戻っている。時速9キロで150前後である。それが、後半の9キロ時だと160を超えることもある。僕の場合、160を超えると「このままは無理、抑えるべし」としてきた数値だ。つまり、ラン30分以降には、9キロ時の走行で心臓の疲れが酷くなるらしい。

 さて、「酸素を多く採るよう血液の質は向上できても、心臓機能自身は鍛えられない」というから、そろそろ9キロ時が無理という心臓になってきたと結論できるのだろう。これが秋に気温が低くなったら変わることがありうるかとか、それまでもうちょっと何か鍛えられるのかとかが宿題になったという、30日のランだった。まーいつも言うように、ぼつぼつやるさ。年齢なら、僕のランのケンカ相手ではなく、付き合っていく相手なのだから。なにしろできるだけ死ぬ間際まで走れるようにありたいのである。  

 

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米、また安保理採択敗北で暴力へ   文科系

2020年09月01日 02時56分43秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

  

「マスコミに載らない海外記事」のサイトに、標記のことを表す記事が載った。イラン制裁延長問題で、アメリカが完全に孤立したのである。英独仏も米提案に賛成せず、と。よってアメリカはますます暴力に走るということだろう。

『2020年8月30日 イラン制裁に関する国連安全保障理事会投票は国際関係の新段階の先駆け

2020年8月27日 ジェームズ・オニール New Eastern Outlook

 世界共同体からのアメリカの孤立は日ごと益々明白になりつつある。最近の例は、核兵器計画とされるもののかどで対イラン制裁を延長するアメリカ動議に反対する国連安全保障理事会の投票だった。安全保障理事会メンバー15カ国で、アメリカとドミニカ共和国だけが制裁延長に賛成投票した。ロシアと中国は共に反対投票した。おそらく、より重要なのは、通常、アメリカの積極的支持国のイギリスとフランスを含めて、安全保障理事会の他の11カ国が棄権したことだ。

 アメリカのマイク・ポンペオ国務長官は、安全保障理事会の投票結果にかかわらず、アメリカは対イラン制裁政策を続けることを明確にした。アメリカが国際法について一方的考え方をしている、これ以上明白な兆候はない。我々と意見を合わせろ、さもなくば我々は思い通りにして、とにかく我々がやりたいことをするぞ!

 国連安全保障理事会投票が十分明白ではなかったかのように、2020年8月20日、三つの最も重要なヨーロッパ大国、イギリス、フランスとドイツは、明らかにアメリカの態度に対する反対を述べる共同声明を発表した。共同声明は、アメリカの態度と行動に対する遠慮ない拒否で、注目に値する。

 2018年5月8日、アメリカは合意からの撤退後、JCPOAの参加者であることをやめたと声明は言う。三カ国は、従って、彼らは「JCPOAを支持する我々の現在の取り組みと相いれない、この行動を支持することはできない」と書いた。

 三カ国は、更に、彼らはこうまで述べている「多国主義の基盤を構成する過程や組織の維持に専心している。我々は国連安全保障理事会の権限と完全性を奉じるという目的に導かれている。」

 これは現代における、アメリカ単独主義に対する未曾有の拒絶だ。通常はアメリカ単独主義の主要応援団ニューヨーク・タイムズさえ、(20/8/20)アメリカ政府の行動を非難した。新聞は、三国が「アヤトラを支持することに決めた」と言って、イギリス、フランス、ドイツ政府の立場を非難したマイク・ポンペオ国務長官の言葉を引用した。

 ポンペオは、アメリカ単独主義の主要唱導者の一人だが、通常支持してくれるアメリカ同盟三国を毒舌的な言葉で攻撃した素早さは、アメリカがどれほど、多国主義の見せかけから遠ざかっているかの目安だ。ポンペオは、地域でイランに対する最強で、最も騒々しい反対者、イスラエルの強力な支持者だ。

 イスラエルは、そうと公言していない核保有国で、核拡散防止条約に加盟したり、公式に核保有状況を認めたりするのを拒否している事実は、アメリカのどの政権によっても決して批判や反対意見の対象になっていない。現在のアメリカ政権も例外ではない。

 国連安全保障理事会のほぼ満場一致の意見も、もちろんアメリカが一方的に行動し、イラン政府に対する制裁を延長するのを阻止するまい。イランとの新しい「合意」に関するのトランプのあいまいな言葉は、無視してかまうまい。イランに対するアメリカ反感は、少なくとも、1953年の、民主的に選出されたモサデク政府打倒にまでさかのぼる。(以下略)』

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