不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

人の情に盲目、日米首脳   文科系

2017年09月22日 20時03分43秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 北朝鮮への制裁強化が、国連で大きな議題になっている。もっとも、世界が国連法違反の北の核を問題にしているが、日米はさらにこれを、戦争さえ厭わぬ大問題にしつつ、ここの国民は生きていく資格もないという態度を取っているようだ。新聞をよく読むと、こういう日米首脳の言動を「無理もない」と観ているやにも読めて、人道上はなはだ非常識を通しているようで、凄く抵抗を感ずる。こんなふうに。

 韓国が北に対して800万ドルの人道支援を実施すると発表したことについて、日米が「慎重対応を要請」したとのこと。わざわざ国連に集まった機会に日米韓三首脳会談を持った場所でこれを「要請した」というのだから「要請」というよりも、韓国大統領に抗議したに近い態度になる。対するに、韓国大統領が良い返事をしなかったから、「要請」という表現になったのだろう。以下の理由で、韓国大統領が良い返事をしなくて当然なのだ。それが見えない所にトランプと安倍が間になっていると垣間見えた気がする。その愚考内容はこのようなものだ。

①まず問題の人道支援内容はこうであると、韓国政府から発表されている。子どもや妊産婦の医療や栄養改善に充てる。「現金ではなく医薬品や栄養食などの物質なので、(軍事目的への)転用は不可能」と強調したとのこと。
 こういうものさえやめろとわざわざ「抗議する」というのは、はなはだ人道に反する冷酷、低劣な思考だと言いたい。酷い独裁首長を頂いた国民は生きる権利もないと振る舞っているのである。こんなしわ寄せをしたところで、国民に抵抗の芽さえ生まれるわけもないのである。そういう国は、サウジも含めて他にも多いはずだが、米国が利を得ている国には何も非難などしていないのであるから、そういう国民には生きる権利がないとしているのと同じ事になる。

②かてて加えて、韓国と北の国民には親類同士が無数なのだ。しかも、毎年故郷に念入りに墓参りをする習慣なども含めて、日本よりもはるかに親類関係を重んじる国である。そんな国がある時点でいきなり人工的国境によって南と北に分けられたのだから、南から北の故郷の父母、祖父母、兄弟、子や孫の事を、酷い生活をしているだろうななどと、いつも胸を痛めてきた。だから、韓国大統領が上記のような「人道支援」を申し出るのは、人の情の必然と言える。それに対してトランプと安倍は、「そんなことは無視せよ」と抗議したのである。韓国大統領がこれを拒否したのは、人の情として当然のことだ

なんせ韓国大統領に抗議した方は、イラク戦争関連50万以上の死者を、シリア戦争関連はそれ以上を出しても、なんの反省もない日米首脳なのである。50万とか100万とかの死者を出してなおかつ正当な戦争の大義名分が、果たして米側に存在したのであるかと、考えてみたらよい。一方は「大量破壊兵器」という嘘の理由開戦だったのだし、シリアに至っては根拠もあやふやと分かった「化学兵器使用」なのである。そんな理由で、国連はいざ知らず世界の一国に過ぎぬ国が50万とかそれを超える人殺しをやったのである。
 つまりこう言いたいのだ、今度の北へのこれほどの制裁や、ましてや戦争理由になどなるわけがない、と


④何故戦争理由にとか、これほどの制裁になるわけがないと言うのか。現に核を持っている国は多いし、このどこもが過去にばかばか実験を重ねてきた。国連は確かに核拡散を違法としたが、これまでの核保有国と同様に北もこれを他の国に撃つ可能性など皆無なのである。小型核一つこの70年以上の世界で撃たれていないという「背景」にはそれ相当の重い世界史的意味があることに加えて、もし撃ったならば首領様ご一統が集団心中するようなものだとは、フセイン、カダフィ、ミロシェビッチなどを見ている世界では、普通の人は皆理解できることになっているはずだからだ。


 こういう諸事実に鑑みれば、韓国大統領の提案は人として当然のもの。対する米日首脳の「抗議」は、人でなしというものであって、自分の正当化ごり押しの甚だしく非人道的な偏見に凝り固まった振る舞いと言うしかない。日米以外の国は皆、戦争になど出来るわけがないと振る舞っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際金融暴力の手口  文科系

2017年09月21日 12時49分22秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
近ごろ、麻生太郎さんも「株屋はヤバイ」と語る。なぜなのか。経済本や経済誌を読んで題名の事をずっと学んできたが、ファンドや証券会社、投資銀行の遣り口をもっと世に広めるべきと思い立った。米英圏中心の新たな金融暴力が世界の政治経済を最も大きく動かしているのだが、そのことが案外知られていないのは、この動きが意識的に隠されてきたからと、これは心ある識者皆が憤慨していることだ。なお、トランプは、初め以下のような人物に、次には軍部にも取り込まれてきた人物である。

①企業の筆頭株主になって
企業の株を買い占めて筆頭株主になると、こんなことをする。長期的株主としては、人員整理や「無駄」の削減などリストラに励んで株価を大幅に上げ、これを売り抜いて去っていく。短期株主に狙いでは、こんなことをやる。土地や建物など資産を多く持っている会社に目を着け、筆頭株主になってその土地を売るなどして株価を大幅に上げ、素早く全部を売り払い去っていく。国際金融が、こういうやり方で同じ国内に留まらず海外にもどんどん進出していくから、失業者や不安定労働者が増えているのだろう。
 最近の日本経済論調では、こういうやり方への批判も激烈になった。「米国流『ガバナンス』が企業を弱くする」。これは、高級経済誌「Wedge 3月号」表紙にも大書された二〇ページ大特集の表題。その主旨は、金融中心主義が企業・社会から長期観点を奪うことによって、製品開発能力などを壊してきたというもの。よく言われる自由化とは、こういう自由化までを含むのだろう。

②通貨戦争
 九七年東アジア通貨危機、〇一年トルコとアルゼンチン、そしてギリシャ危機など近年無数に起こっているものだ。解説が大変難しいこの遣り口の一つを、アジア通貨危機の発信地タイを例にとって見てみよう。一ドルがタイ通貨二五バーツの現時点において、三か月後に三〇バーツに下落すると「予測」して、一ドル二五バーツでドルを大量に買う先物予約をしておく。その上で、バーツを一挙に、そしてどんどん売り始める。そこには、同業者などから大量に借りる契約がしてあったバーツなども大量に含まれる。自分が所有していない債券、商品などを売る行為を空売りと呼ぶが、この空売りがバーツで始まったと観た同業者などは当然、これに協調して儲けようとする。その結果、三か月後一ドル三〇バーツになって起こることを、例示してみよう。一億ドルで三〇億と安くなったバーツを普通に買ってから先述の先物予約を行使すると、このバーツが一億二千万ドルに換えられる。バーツを借りた相手にも、その時点で普通に買ったバーツを返せばやはり二割の儲けになり、今時の安い利息を付けてもなお莫大な釣りが来るよう。また、普通なら不安になるこの「大商いへの確信」も、世界大金融にとっては比較的容易だろう。他の金融などから借りることができるバーツも含めて、己が動かせるバーツとタイ政府の「防御体制(金額)」とを比較できるし、持ち金の二五倍の勝負ができると言うレバレッジ手法もあるからだ。こういう全てから大金融による通貨危機は比較的容易に起こせるのであって、IMF資料からこう解説したマクロ経済学者がいる。
『一九七〇年から二〇〇七年までの三八年間に、二〇八か国で通貨危機が、一二四か国で銀行危機が、六三か国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後一九七〇年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません』(伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授「金融危機は再びやってくる」)
通貨危機は国家債務危機にも繋がっていくのだし、中小国の大銀行危機なども容易に起こせる理屈だ。ドイツ銀行に米英日が目下掛けている銀行株空売りもできるのだから。

③デリバティブ
 普通は金融派生商品と訳される言葉だが、これがまた現代世界の怪物である。
消費者ローンでも住宅ローンでも、借用証書がある。これは、借りた方が貸した方に出す証明書。これを債券として貸し主に出すのが社債や国債。一定利子が付くのは同じだが、こちらはお金と同じような意味を持ち、売買も可能。この社債などと同じ考え方で、種々のローンの貸し主が借用証書(債権)を証券化したものが金融派生商品の元である。焦げ付きなどの危険が高い借金から出来た高リスク債券とか、低リスク債券でも元のローン返済が急に怪しげになったりしたら、利子を高くしなければ売れない。高リスク商品は当然売りにくいのだが、首尾良く売れるようにできれば、「高リスク高リターン」で凄い儲けになる。そこで、ハーバード大学院の数学科主席卒業というような優秀な頭脳を集めて、高リスク商品を売る手をあれこれ考え出させる。まず、証券化商品というのを色々に分割して組み合わせた。一銘柄の株を売るのではなく、投資信託を売るようなものだろう。とにかく、様々な債券を組み合わせるのだが、そこに高リスク債券を巧みに切り分けてもぐり込ませる。貯金もない低所得者に売りつけた住宅ローンからできたサブプライム住宅ローンの債券でも、これに安全な債券をちょっと組み合わせれば、「信用が保証された」という理屈だ。「高リスク貸し金を低リスクにして、お金が貸せない貧乏な方にも家を持っていただける、夢の商品」、こんな社会福祉的うたい文句付きの金融商品の登場となった。リーマンショックの原因となったサブプライム・バブルは、これが爆発的に膨らんでいったもの。ネズミ講同様売れている間は自転車操業的資金繰りも上々どころか、買い手が増えて値段がどんどん上がった家主の一般消費者ローン限度額さえ大いに上がったというように、周囲が大儲けだった。このサブプライム組込証券はなお、世界の小金持ちに売りつけられた。ギリシャ国家危機にもこれが絡んでいるし、この愛知でも二つの学校法人が確か百億を超えるような金の詐欺に訴訟を検討したが諦めたという新聞種もあった。

④CDS
 こんなサブプライム・ローン組込証券に格付け会社によって破綻直前までトリプルAの信用が付いていた。それにはこんな保険商品も懸けられていて、これが大宣伝されたことが関わっている。クレディット・デフォルト・スワップ(CDS)と呼ばれた保険商品である。
『企業ばかりではない。国家もそうである。ギリシャの金融危機が深刻化したのはギリシャ国債の空売りに加えて、新契約の裸のCDSの掛け金がどんどん上がってギリシャ政府が発行する新国債の利子率が急騰したためである。ドイツなどはその裸のCDSの取引を禁じているのだが、そういう取引を歓迎する金融センターが世界中にたくさん残っている』(前掲書「金融が乗っ取る世界経済」)  
『保険法だったら、隣の家に黙ってその家に火災保険をかけることは禁じられている。全く当然だ。放火罪奨励はとんでもないことだからである。しかし社債のCDSの場合、国によっては、そのとんでもないことがまかり通る』(同上書)
 この「裸のCDS」ゆえにこんなことが起こる。A社の社債を持っていない人がこの社債に莫大な保険を掛け、安い掛け金のA社債を無数に買い集め始める。すると、その会社を潰すことになっていくのである。安い掛け率の保険が買い占められたら、新たな社債を発行しようにも利子率が高くないと誰もこれを買ってくれない。よってこの会社はもう、会社存続のための新たな借金もできなくなる理屈だ。CDSを「大量破壊兵器」と語ったのが、有名な投資家ジョージ・ソロスだ。
『ゼネラル・モータースなどの倒産を考えよ。その社債の持ち主の多くにとって、GMの再編より、倒産した場合の儲けの方が大きかった。人の生命がかかった保険の持ち主に、同時にその人を打ちのめす免許を持たせるようなものだ』(前掲書)
「(会社再建よりも)打ちのめした方が儲かる」CDSの実際が、投資銀行リーマン・ブラザースの倒産でも示された。倒産時のリーマン社債発行残高は1559億ドル。その社債へのCDS発行銀行の債務総額は4000億ドルだった。



 かくして、世界は大金融天国。二〇〇六年の投資銀行ゴールドマンの優秀従業員五〇名は一人最低一七億円のボーナスをもらった。「夢」のサブプライム証券バブルが爆発する二年前の話。世界的著名投資家ウォレン・バフェットの二〇一〇年度収入は、約四〇〇〇万ドルに上る。こちらは、バブルが弾けたは弾けたで空売りで儲けた手口である。また、世界の大企業社長が皆、金融の馬車馬になってしまった。「会社は、社員や地域も含めた社会的公器」などと振る舞う社長などはアメリカ式株主にかかればすぐ首で、馬車馬の儲け記録は、ディズニー社社長アイズナーの年俸六億ドル! 
 以上主な出典は、ドナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済」である。

 なお以上の仕組みは、8時間労働制が出来る前の10数時間労働のようなものだと愚考している。つまり、人間史とは現実が先に進んで法は後から追っかけるばかりだが、未来の世界法では不法になるものであると。つまり、民主主義理念に合わない大金融暴力と見て良いものであると。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争を煽ってどうする。  らくせき・安倍自民党を落とそう

2017年09月21日 10時02分57秒 | Weblog
【9月21日 AFP】安倍晋三(Shinzo Abe)首相は20日、国連総会(General Assembly)で演説し、北朝鮮との対話の時は終わったと述べ、「すべての選択肢」がテーブルの上にあるとの米国の警告を支持すると明言した。

これも選挙戦略の一環かな?日本人はアメリカ人程マッチョ好きではないかも・・・
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの戦争、中国の「戦争」   文科系

2017年09月20日 13時21分22秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 昨日sicaさんに、こういう回答コメントを書いた。

『 アメリカは現に戦争を重ねてきた (文科系)2017-09-19 09:23:58
 sicaさん、中国は確かに軍事費を増やしている。しかしながら、その経済成長率の伸びの方がずっと高いから、軍事費の対GDP比率はどんどん下がってきて、今や1・9%。3・3%のアメリカよりも遙かに低いのです。16年度の、ストックホルム国際平和研究所が発表した数字です。

 さて、アメリカは現に戦争を重ねてきた。一強になった冷戦終結以降は特に。湾岸、アフガン、イラク、シリア。またニカラグアもベネズエラも開戦しているようなもの。これらその都度の「開戦大義名分」をば、貴方は全部文字通りにすべて信頼しているのですよね。中国の軍拡の方がずっと気になるというのは、そういうことでしょう? おかしいと思わないのですか? それが不思議で仕方ない。』


 このように、アメリカのその都度いろんな開戦理由を全て信頼する人々が、中国軍事強化を批判しているのだ。アフガンは「アルカイダを匿った」。イラクは「大量破壊兵器」。「化学兵器使用」がアサド・シリアへの内戦工作理由であった。そして今はトランプの「(自国などの防衛のために)北朝鮮は完全に破壊する」発言。
 ところで、アフガン戦争は延々16年と米戦争史上かってない長きにわたり、イラク戦争は関連死含めて50万以上が亡くなられたという国際調査団発表数もある。シリアに至っては、イラクの死者数を軽く超えるということだ。そして、これら3国の家庭が無数に壊されて、世界へは膨大な難民・・・。そう考えてみたら、アメリカって現代の疫病神ではないか。しかも、このほとんどが国連の制止を振り切ってなされたもの。この事実を今の米当局は一体どう見ているのだろうか。そんな声は全く聞こえてこないから、このうち一つの総括も成されていないということだろう。酷い国と言う他はないである。

 あれだけ酷い首領様の国にも、幾百万の家庭があるということを、そして、それらの家庭の多くを韓国の多くの家庭が親戚としているということも、胸に手を当てて振り返ってみて欲しいものである。「(自国などを守るためには)北朝鮮は完全に破壊する」などと思いつきを語る時に。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本サッカー史に聳える中田英寿の足跡  文科系

2017年09月20日 12時33分00秒 | スポーツ
 これは、06年ワールドカップ直後にある所に書いたものだが、再掲させていただく。日本サッカーは、彼にどれだけ感謝してもしたりないはずだと、そういう思いで書いた物だ。ワールドカップ(日本出場)が近づくといつも思い出すべき事と、自分に言い聞かせている内容である。

【 最後に、〇六WCドイツ大会終了を待って、二九歳でサッカー界からの引退表明をした中田英寿のメモリーを記しておく。彼が日本サッカーにどれだけの革命をなしたかという諸事実の記録である。

 まず、彼のジャパン代表登場がどれだけ衝撃的であったかから、始める。
 九七年、フランスワールドカップ・アジア予選途中で絶望的な苦戦続きから加茂・代表監督解任という結末、窮地が訪れていた。前回の「ドーハの悲劇」を経て、「今回こそは、WC日本初出場!」という国民の期待が崩れかけていた瞬間である。この瞬間に、突如出現した新米の二十歳。チーム危機の中、実力でレギュラーをもぎ取り、あまたの先輩たちが即座に「チームの司令塔」と自然に認めて、その後数ゲームで日本初出場という結果を出して見せた「日本の救世主」。日本中を大フィーバーさせたのも当然のことだろう。この二十歳の出現がなければ、フランスでワールドカップ日本初出場という歴史自身がなかったはずなのだから。クライマックスとして上げられるのが「ジョホールバルの奇跡」、対イラン第三代表決定戦。得点したのは中山、城、岡野。この三得点それぞれへの最終パス(アシスト)は全て中田が出したものだった。
 さて、この彼、その後も日韓、ドイツと三回のワールドカップを引っ張り続け、さらに希有のアスリートであることを証明し続けて見せた。これが、中田の二十歳から二九歳までの出来事なのである。そもそも「三大会連続出場」は他に川口、小野だけだし、「三大会レギュラー出場」ともなればもちろん、中田以外にはいない。こうして、日本サッカー界の常識を覆した革命児と表現しても、サッカー界の誰一人反対はできないという選手なのである。

 サッカー選手としての彼は、そもそもどんな特長をもっていたか。
 二十歳の彼のパスは、「『追いつけ!』という不親切この上ないもの」と日本の評論家たちから総スカンを食った。が数年後にはもう、彼のパススピードでしか世界には通用しないとは、周知の事実となった。
「フィールドを鳥瞰していることを示すようなあの広い視野はどうやって身につけたものなのか?」。こちらは、反対者のいない関係者全員が初めから一致した驚きの声だった。どんなプレー中でも背筋を伸ばし首を前後左右へと回してきょろきょろする彼のスタイルは、その後日本の子ども達の間に広がっていったものだ。正確なロングパスは正確な視野からしか生まれないのだから。
「人のいない所へ走り込まないフォワードにはパスをあげないよ」。これも今や、「フォワードは技術以上に、位置取りが全て」という、日本でも常識となった知恵だ。これについては日本FW陣の大御所、中山雅史のこんな証言を読んだことがある。
「中田が俺に言うのね。『そんなに敵ディフェンダーをくっつけてちゃ、パスがあげられない。どこでも良いから敵を振り切るように走ってって。そこへパスを出すから。そしたらフリーでシュート打てるでしょう』。俺、そんな上手くいくかよと、思ったね。でもまー、走ってみた。きちんとパスが来るじゃない。フォワードとして『目から鱗』だったよ!」
 この出来事が中田二十歳の時のことだ。十年上の大先輩によくも言ったり!従ってみた中山もえらい。中山が代表で中田から学んだものこそ、その後三十歳を過ぎて2度の得点王に輝き、J史上最強と言われる黄金期磐田を作り上げた原動力だったのだとも、僕は確信している。封建的な日本スポーツ界では、希有なエピソードなのではないか。

 中田はまた、自分個人用のサッカー専用体力トレーニングにプロ入り以来毎日、汗を流し続けている。「走れなければサッカーにはならない」、「外国人には体力負けするなんて、プロとしては言い訳にもならないよ」。自らのプレー実績で示してきたこれらのことの背景こそ、このトレーニングなのである。

 さて、「不親切な速すぎるパス」とか、「スペースの活用」、「ますますサッカーは格闘技になっている」とか、これら全ては今でこそ日本でも常識になっているものだ。しかし、中田はこれら全ての「世界水準」を二十歳にして、どうやって身につけたのか。「世界から習った」、「例えば十六歳で出会ったナイジェリアから(ヌワンコ・カヌーの名前をよく挙げていた)」などと彼は述べている。ほとんど世界の相手を観察してえた「知恵」なのである。もの凄い観察力、分析力、練習プログラム考案力、自己規制!それら全てにおいて、なんと早熟だったことか! この上ない頭脳の持ち主が、若くして観察のチャンスに恵まれたと語りうることだけは確かであろう。

 彼はまた、世の全てが媚びを売るがごときマスコミへの反逆者でもある。「嘘ばかり書く」、「下らない質問ばっかり投げてくる」と主張し続け、「こんなものは通さず、自分の大事なことはファンに直接語りたい」と、スポーツマン・ホームページの開拓者にもなったのだった。当時有名になったナカタ・ネットを創ったのは、弱冠二一歳、九八年のことである。それも、日本語、英語、イタリア語だけでなく、中国語、韓国語版まで備えたサイトに育ち上がって行った。国際人というだけではなく、アジアの星にもなっていたということなのだ。

 他方、日本のサッカーマスコミは未だに程度が低い。テレビのサッカーでも、ボールばかりを追いかけているように見える。ゴールに向かって組み立てられていくサッカーの神髄は、これでは絶対に見えてこないはずだ。この『ボール追いかけ』カメラワークは野球中継の習慣から来ているものだろう。野球はどうしてもボールを追いかける。その習慣で、サッカーでもボールを追いかける『局面アングル』が多くなっているのではないか。それにもう一つ、日本の新聞などのサッカー報道でも、勝ち負け、得点者に拘りすぎているように思われる。サッカーの得点は、ほとんど組織の結果と言って良いのだから、フォワードよりも組織を写して欲しいと思うのだ。得点を援助したラストパス、いわゆる「アシスト」報道がないのも、日本の特徴だろう。

 ありがとう、中田英寿。僕をこれほどのサッカー好きにしてくれて。僕の生活にサッカーを与えてくれて。】

 最後に、現在のマスコミは「キング・カズ!」を連呼しているが、何故ヒデの名前がもっと多く出てこないのだろうか。不思議だ。ワールドカップ初出場、W杯本戦初の予選リーグ突破・ベスト16の立役者を日本サッカー史のキングと呼ばずして、誰をそう呼べるというのか? ナカタを差し置いたこの「キング・カズ」もまた、読売辺りが画策したマスコミ的偏向なのであろう。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国で、公然の国防相独走  文科系

2017年09月20日 11時17分02秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 19日の新聞にこんな韓国関連記事があった。

『 海軍出身の宋(永武国防相)氏は、自身が創設を表明した北朝鮮首脳部の「斬首作戦」実行部隊を文(正仁大統領府統一外交安保特別)補佐官が「大きな過ちだ」と非難したことに、「不適切ではない」と反論した』
 また、この国防相は戦術核の韓国配備について「検討する用意がある」と公式に発言しているが、大統領は「核配備には同意しない」と発言し、大統領府も「政府として検討したことはない」と公式に発表している。

 韓国軍って、こんなに安易にかつ堂々と、国防相が独走発言、文民統制違反とも言える言動を犯すのだ。一体この罪の大きさがどれほどのものかを、ちゃんと理解しているのだろうか。それとも、歴史的に韓国政府を堂々と無視して、米軍の言う事だけを聞くように出来ているのか? だとしたら、アメリカの指示によって旧日本関東軍のように独走を始めることもあるのではないかと、危惧するのである。

 なんせ、今の朝鮮半島はトンキン湾事件のような「偶発的」事故・戦争を恐れるので、韓国軍部の独走は怖くて仕方ない。トランプは相変わらずこう叫んでいるし。『北朝鮮は完全に破壊するつもりだ』。この発言、イラクと同じで、そこに国民が居て、無数のその家庭があることを何も見ていないものと思える。


 と、ここまでを昨日に書いたら、本日の中日新聞には現地特派員によるこんなニュースが載っていた。韓国大統領府が宋国防相に厳重注意、対して、宋氏がこう謝罪したとのこと。
『過ぎた発言だった』
 それにしても、戦術核配備と「斬首作戦」。こんなに大きな「過ぎた発言」が何故安易に飛び出すのだろう。戦術核配備は大きすぎる問題だし、「斬首作戦」も以下のような大問題をはらんでいる。アメリカが「斬首作戦」を叫ぶたびに、北のミサイル実験がエスカレートしてきたと。なんせ彼の国の体制は、首領様の存命以外は何も見られないような仕組みになっているのだから。韓国政府関係者が「斬首作戦」を叫ぶというのは、それだけで両国が険悪になるということである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙だって・・・  らくせき

2017年09月19日 09時58分15秒 | Weblog
代議士のみなさんは、こころここにあらず、でしょうね。
結果は現状維持ってとこかな?
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆  日本サッカーの金字塔ゲーム    文科系

2017年09月19日 08時13分58秒 | 文芸作品
 コアな日本サッカーファンが、待ちに待った歴史的一勝を、鹿島アントラーズがとうとう上げた。昨年末、世界各大陸チャンピオン・クラブが日本に集ったクラブW杯準決勝戦において。南米優勝者コロンビアのアトレティコ・ナシオナルを三対〇で破って、アジア勢で初めて決勝戦に進んだ上に、その決勝戦では、世界の攻守きら星を絶頂期を見計らって収集しているかのスペインはレアル・マドリッドに九〇分では「二対二の同点」! この2得点によって、鹿島の柴﨑岳の名が世界に轟いたのであった。

 さてこんな結果から、二種類いると思われる日本人サッカーファンの一方、欧州と南米大陸との崇拝者とも言える一部の人々の悔しがり様が僕の目に浮かぶのである。常々「追いつくには、五〇年かかる」などと吹きまくってきた人々だ。これを苦々しく観てきた僕は逆に、「日本も、そろそろ勝てそうになってきた」とあちこちで吹聴しまくってきたのだった。一昨年末の同じこの大会で、日本のサンフレッチェ広島が、アルゼンチンのリーベル・プレートと演じた白熱のゲームが脳裏に焼きついているからである。なんせ、このゲーム後半には相手リーベル監督は顔面蒼白だった。

 さて 鹿島と日本サッカーはこの1~2年で急に強くなったと認識している。二ゲームが同じように「組織的守備」で光った。「攻撃的守備から入り、相手攻撃がよく見えるチーム」と評することができる。そういう一つの面白い戦い方を鹿島が築き上げたなと感じる。レアルの鹿島評も、「守備が良い。攻守の切り替えも早い。本当によく走る」というものだし。そして、この走りが落ちてきた延長戦に入って鹿島はレアルに負けたのである。鹿島のエースでレアルから二得点を挙げた柴崎岳が悔しげにそう語っていたが、逆に言えば九〇分走り回されたから延長戦に入って走れなくなって失点ということだろう。準決勝の相手アトレティコにしても、世界最高かつ旬の選手を集めたレアルはなおさら、個人能力でいえば鹿島より数段上のチーム。それを、組織の見事さ、特に組織的走りで対等に戦ったという典型的なゲームだった。この一勝と「九〇分は同点」との二ゲームは、今後のアジア勢がビデオを回しては教訓、自信にしていくはずのものであって、今後の世界戦がますます楽しみになってくる。

 二冊の雑誌に載った石井・鹿島監督の言葉で、この偉業を解説してみよう。
① まず鹿島の戦い方の特徴であるが、石井さんはこう説明する。
『自分たちからボールを奪いに行く守備の形や、攻撃では相手陣内で自分たちがボールを動かす時間を長くすることです』
『まずは相手の攻撃力を削ぐことと、自分たちがボールを持ったときに、しっかり相手陣内で動かしてスキを狙って攻撃することがポイントだと考えました』
② 石井さんはまた、①に関わりかつこれにプラスして、次のことを強調している。
『たとえば浦和や川崎のようなスタイルも良いと思いますが、それプラス優勝するためには、勝負に対する執着心が絶対に必要で、その点では三チームの中で、我々が一番だったと思っています』
 とこう語って、クラブの古い選手らと同じように付け加える。
『それはやはり(Jリーグ発足時にこのチームにいた)ジーコの存在が大きい。(中略)二四時間サッカーのことを考え、試合から逆算して日々の生活をしなさい、というプロとしての姿勢から始まって、(中略)プロのサッカー選手とは何かを教えてもらいました』
③ 最後に、今期鹿島の強化から外せない一つのエピソードも上げておこう。選手と監督との感情的もつれから監督の休養にまで発展した大事件がサッカー界に知れ渡っているが、これを石井さんが乗り越えた経過について、ある雑誌がこんな解説をしている。
『ミーティングの最後には、必ず発言の機会を設けるなど、選手の意見を尊重してきた配慮が、結果的に仇となる。選手間で意見が衝突することもしばしばで、チームは方向性を見失ってしまうのだ。そうして、“事件”は起こるべくして起きる』

 石井さんはここから、『(ミーティングの場所としては)自らの方針と要求を伝えるだけで、選手の意見を聞く時間はなくした』と変化したのである。こうして、『監督の立場なら苦しい時期もあるのだから、そこから逃げてはいけない』ということが、これまでと一番変わったところと語られている。
「選手の意見を聞くのは個別におおいにやって、最終方針は監督が一人で孤独に決めて、全員の場所ではこれを言い渡す」
 選手の意見採取と監督方針への集中とをぎりぎりまで最大限闘わせあった上で、最後は監督方針を押し通すと決めたと、こういうチームは確かに強くなると思う。選手の意見としては特に、小笠原、金崎、曽ヶ端などの発言内容、発言力も見逃せないということだろう。特に、守備で世界に名だたるイタリアで苦労を重ねてきた経験を持つ小笠原の言葉は、このチームにとってとてつもなく大きいだろう。因みにこの小笠原は、ジーコ監督のドイツW杯代表チームでは大変な失敗、苦労体験も積んできた。

 こうして先期の鹿島は、集団競技の最も肝要かつ難しいところを、一山越えるようにして前進させ得たのである。至難の一山を越えたときには選手らの結集力も一皮むけたのだろうし、こんなチームは強くなるはずだと、二つのサッカー雑誌特集から読ませてもらった。


(2017年1月、同人誌月例冊子初出)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆  僕は「ヒーロー」   文科系

2017年09月18日 16時20分36秒 | 文芸作品
 名古屋中心部の一角。五月の花々が咲き乱れているその小公園に歩を進めると、三三五五と遊んでいた子どもらの中から七~八人ほどが一斉に駈けて来て、僕を囲む。一~四年生ほどの男女なのだが、なかで一番高学年に見える一人が進み出て、拳を握りしめながら尋ねる。「いいっ?!」。僕はいつものように両脚を広げ、腰を落とし気味にして、下腹に力を入れる。
「さー、どうぞ!」
「バシッ!」
 教えたとおりに腰を回しつつ全身の力を込めて、右拳・人差し指、中指などの付け根が僕の腹に打ち込まれる。いや、打ち込まれると言うよりも、跳ね返されると言った方がよいかも知れない。現に打ち込んだ彼が、拳をブラブラと振りながら顔をしかめて痛そうにしているのがその証拠だ。それでも彼は僕の顔、目を探るようにして、
「効いた? 痛かったっ?」
「ちょっとね!」
 それからは我も我も、延々と挑戦者が続く。なんとか僕をやっつけようという気概を全身に漲らせて。握った拳の人差し指と中指との付け根できちんと打ち抜くと教えたとおりの正しいフックの打ち方をしっかりと確認しつつ挑戦が続く。このごろいつも、本当に、全く、切りがない。

 ここは、僕の最初の孫娘ハーちゃんがこの春に入学して通うようになった学童保育所の前にある市の小公園。僕はハーちゃんをお迎えに来たところだ。そしてこの「遊び」は、ハーちゃんの保育園で僕が開発してきた大人気の「スポーツ」である。人間の腹筋そのものが思っている以上に強いものなのか、それともランニングと並行して僕がジムで鍛えているせいなのか、腹筋だけを目標にさせている限りほとんど痛みを感じないとよーく体験済み、分かっているのだ。そしてなによりも、この遊びを子どもらがどれだけ大好きかというその程度にこそ、よーく通じているのである。好きな理由は多分こんなところ、ゲームやアニメのヒーローが大好きだから。学童保育では特に、女の子の挑戦も続々と続くのである。ちなみに、子ども自身がその腕を折り曲げるポーズを取ったり、僕の下腹部を撫でてみたりしながら「筋肉見せて!」という注文も度々だ。僕はアニメのヒーローなのである。スポーツ大好きの僕としてもまた、興味津々の、面白くって仕方ない遊びになって、
「おーっ、今のは効いた! そのフォーム忘れんようになっ!」
 その男の子が自分の拳に目を懲らしつつその形を確認している顔の、なんと誇らしげなこと! シオリちゃんと言う四年生の子だが、小さい身体の割に並外れた威力を示したのである。こういう子は、いろんなスポーツが得意に違いない。全身の協調能力が高く、筋力もあるということだから。

 ところで、この出来事からは僕には想像も出来なかった副産物が生まれた。ハーちゃんの心の中にも僕という大ヒーローが生まれ直したのである。それも「強いヒーロー」という以上のものが。なかなか見たこともないように目を輝かせながら、彼女がこう語ったから分かったことだ。
「爺ーは、学童でも大人気なんだねー!」
 確かに、彼女にとっては確固としてそうなのだろう。学童保育所でこれほど子どもらを自発的に集められる術など一年生ではもちろんのこと、最上級生でもなかなか持ち合わせていないはずだから。この事件からこの方、やんちゃなハーちゃんが僕の言い付けをよーく聞くようになった気がする。子どもには「子ども特有の能力世界」があるという、新たな大発見であった。



 昨日のアクセスは200超え、そこまで4日間それぞれの閲覧数も2000を優に超えていた! なお、先週一週間の累計数は1233の12669だった!  嬉しかったこと! このブログはこの12年ずっと、閲覧数が多い。アクセス人数の10倍ほどの画面を皆さんが読んで行かれる。それだけ古いエントリーを探し出して読まれているということで、これがまたいつも嬉しい。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

というわけでプレミア予想w 1970

2017年09月17日 20時17分48秒 | Weblog
これもまだだったなw
今年のプレミアは大きく分けて3つのグループに分けられる。

Aグループ
チェルシー、トッテナム、シティ、ユナイテッド。

Bグループ
アーセナル、リバプール。

Cグループ
それ以外。

アーセナルはもうベンゲルの顔がモニターに映るだけで停滞感が漂います。フィールドから加齢臭も漂ってきそうですw
はよ交替しろ。
リバプールはクロップの戦術では過密で鳴らすプレミアでDFが1年持ちません。
ブンデスリーガーでは名将になったがプレミアでは迷将になるなw
ハイプレスも使い処を間違えると盛大に崩壊します。

で、優勝予想なんだが、チェルシーの連覇かな~。
ユナイテッドがルカクやマティッチを獲りバランスのいい補強をしたが、まだDFの層が薄いんだよな。特にCB。マティッチが怪我したら一気にザルになりそうだから。
肉弾戦が売りのプレミアだとDFはケガをしない方が珍しいんで。
冬の移籍でいいDFを買えればユナイテッドが久々の王者の可能性もあるが。

その点チェルシーは派手な補強こそ無いが各ポジションにスペアがいる。
戦術も浸透している。コンテはクロップと違い戦術の柔軟性があるので相手なりの試合も出来る。ちょっとDFに怪我人抱えてるのが心配だがチームとしての完成度はユナイテッドよりは高い。まあインサイドハーフは反則的に凄いんで十分カバーしちゃうけどw
順番つけるなら①チェルシー②ユナイテッドだな。

シティはペップがアーセナルのやりたいサッカーをあっという間に完成させつつあるw
やはり監督の力は大きいな。ここの弱味は選手層。しかし、冬の補強ややりくりが上手くいけば最後まで優勝を争うチームになる。

チェルシー、シティ、ユナイテッドに関しては、早いとこCLで負けたチームがプレミア制覇する可能性が高いかもしれないな。

というわけでプレミア予想終了。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説 祐介のワールドカップ(後編)   文科系

2017年09月17日 02時29分00秒 | 文芸作品
 そしてさて、二〇〇二年三月二十七日、ポーランド、ウツジ。ウクライナ戦を先発出場で無難に終えた祐介に、願い続けたチャンスはやってきた。このゲームでも先発に選ばれて、また何よりも、中田英寿と小野伸二がおよそ五か月ぶりにゲームに加わっている。彼らとの合否に自分をかけ続けて四年、その実証の場が初めて与えられ、現実にその結果を出せるかという日がやってきた。しかも、ヨーロッパ組の次の参加は五試合後、そのノルウェー戦は既にワールドカップ日本代表発表直前の、調整ゲームになっていることだろう。
 〈自分の場合、この選手選考ゲーム・ポーランド戦のチャンスをとらえ損なえば、ノルウェー戦のチャンスはもうあるまい〉
 そう思い起こす度に昨夜から何度も、胸の辺りでおこった震えが全身に伝わっていた。心理学者・トルシエは、こういうものを乗り越えるかどうかも、観察しているのだろう。『ハートが強い、弱い』がいつもの彼の口癖だし。鹿住さんの『からっとした戦闘性』、なかなかの言葉かも知れない。そんな自問自答をしてみるのだが、体の震えは収まるわけもなかった。

 そして今、フィールドに出ていく。ついさきほど、控え室で先発メンバーが発表されたばかりだ。こんなやり方もいつものトルシエの流儀だけれど、『心理学者』が試みる挑発なのだろう。そう勘ぐるとまた、ますます体が震えて来る。『もうやるしかない』、こんな時に誰もが言う言葉が出て、それが頭のなかで何度も繰り返されていた。

 同じ時、鹿住の方も一種厳粛な決意をもってテレビに臨んでいた。祐介が周囲とともに成すことを、それも彼が絡んだ得点という結果周辺の事実だけを、順に見届けてやるのだと。祐介の今日のプレーに関わっては、得点以外の他のどんな場面も、事実以外のどんな修飾語も、意図や評価へのどんな訳知り顔 も、一切意味がない。当然これは、ビールを飲みながらできるいつもの観戦とは全く違ったものだ。得点の実況中継を見届けるのではあるが、それをやる自分にも『からっとした戦闘性』が要求される、そんな実況中継と言えば良いだろうか。

 さて、祐介が繰り返し描いてきたイメージシンクロプレー、複数プレイヤーの同調プレーは、早くも前半十分に得点をあげた。それは、こんなふうに展開している。
 左サイド低目の位置でボールを持った中田。低い位置のせいかそれとも敵の油断からだったのか、とにかく彼の周囲には珍しく敵のプレッシャーはない。小さくドリブルしながら、首を大きく回してフィールド全体を見回している。祐介の方は、右サイドライン寄り、ハーフラインよりやや下がり目。
 〈フリーなヒデさんなら、この距離のパスも精度は十分〉
 と、催促するような感じで中田の方を見つめて前へゆっくりと数歩。すると、おそらく二人の目があったのだ。フィールド左後方から、サイドチェンジ様の一見何気ないロングパスが飛ばされた。右前の広大なスペースの、さらにその右端の一角に向かって。全力疾走で、右サイドラインぎりぎりやっと追いついた祐介。まだ敵も遠く、余裕を持ってゴール方向に顔を向ける。二人の味方フォワードがおのおの一人の敵を引き連れてゴールに迫っているのが見えるだろう。その遠い方、高原の肩の高さへ、祐介からアーリークロスが飛ぶ。跳び上がってこれを地面に落した高原、相手デイフェンダーと競り合いながらシュートして、ゴール。中田と祐介によって右、左、そして前へと、セオリー通りに速く、大きく振られたポーランドが、最後にゴール前で一対一にされて、競り負けたという場面だった。
 「一点目はとくに、ユウスケがいいクロスをあげてくれた」、試合直後にこの場面にふれて、中田は祐介の手柄と語っている。

 そしてもう一つ、祐介が思い描いてきたなかでも最もダイナミックなイメージが、前半四十三分、二点目のゴールとなって実現する。鹿住は、ビデオのこのシーンを何度巻き戻して観察したことだろう。それも、スローにしたり、一次停止を入れてみたり。それでも足らずに、読み得る限りの新聞を集めて、このシーンの言語表現を幾度も確認してみたものだった。ビデオには現れない同時他場面の動きや、関係選手の声などを調べるためである。
 ことの起こりは、センターラインからやや相手寄り、右サイド側四分の一ほどの地点。戸田の激しいプレッシャーにあわてた敵が、センターライン方向にミスキックという場面から、このイメージシンクロ劇は始まった。戻ってきたそのボールをかっさらった祐介が、前方の密集集団から逃れるように下りてきた中田に、走り違いながらボールを預ける。その時「走ります」と中田に告げたかどうか、祐介はそのまま右サイドライン沿いを首輪を外された猟犬さながら、晴れ晴れとダッシュ。ボールを受けた中田の方は祐介を気にする素振りも見せず、全く逆の左後方へ時計回りにドリブルしつつ敵を避けていく。
「フィールド左サイドに大きく振ると見せかけた」と書いた新聞記事もあった場面だ。祐介はその問も、ダツシュを続行。すると、頃合を計っていたように中田、いきなり体の向きを百八十度回転させて、「ノールックパス」、別の新聞にあった表現だ。これを中田は、右前方、祐介の数歩前にぴたっと合わせた。「ノールックパス」が事実ならば、祐介が走った方向も距離も中田には見なくとも分かっていたということになろう。さらにその上、反転振り向きざまのパスをこの方向、距離に合わせたというわけである。
 ボールに追いついた祐介の方は、余裕をもってやや内に切れ込むと、低く強いクロスをゴール前へ。それが、このあまりの速攻にパニック状態といった相手守備陣の一人に当たってゴールから遠ざかって来るところを、既にそこに詰めていた中田が駆け寄って、「セオリー通りに前に詰めていた。おもいっきり打った」。これも報道陣が後に伝えた本人の言葉である。四肢をいっぱいに延ばしたキーバーの、広げた左脇下を抜けたボールは、ゴール低くに飛び込んでいった。
 鹿住がビデオで計ってみた時間では、中田にボールを預けてから祐介のクロスまで、六秒余。合計二十二人の敵味方がコンマ何秒で繰り広げる予測至難の舞台では、非常に長い時間だ。祐介は 〈預けたボールは必ず返る〉と信じて走り、中田の方も〈なんとしても返し届けねば〉と決意してキープに努める。基本的な二人の同調プレーではあるが、それにしても裏切られなかった信頼関係が六秒。実際のゲーム上でそれも重要な厳しいゲームにおいてはなおさら、こういう信頼に応えるためにこそ、二人はトレーニングを積んできたとも言えるだろう。対するゲームの敵は、この信頼を引き裂くべくイメージを湧かせ、努力を重ねてくる。このような破壊意図に抗し、六秒もかけて成功したイメージシンクロ。祐介が中田に賭けたというのは、こういった同調場面を彼とこそより多く作りあえるはずだという戦略的狙いであった。そしてこの狙いは、年季を経たペアさながらに二点を演出することによって、果たされたのである。
 「ヒデさんが入って球をしっかりキープしてくれるので、前のスペースへ走り込むタイミングが取りやすかった」、ゲーム後に報道された祐介の言葉である。そして四年ぶりのこのたった一ゲームだけで、「祐介とヒデとは、相性の良い攻撃オプションである」という世論を形成してみせたのであった。

 なお、このゲームの左サイドを任された小野も、ゲームの後、報道陣にこう語ってみせた。「右サイドからの攻撃が多かったので、僕は左でサポートする形に徹していた。(中略)僕の場合はディフェンスをガチガチにやった」。もともと攻撃的才能も豊かな小野が、天秤の関係にある祐介を自由に動かすようにサポートに努めたと、証言を残したわけである。初めから意識したわけでもないだろうが、〈祐介の方がこりや得点の確率が高いぞ〉、そんな観測をゲームが進むにつれて強めていったという推論もありえよう。神経質なほどに『攻守のバランス』に拘るトルシエだ。この戦略的同調も当然見抜いたはず、さぞやご満悦といったところだろう。


 「このポーランド戦だけで祐介が代表を確実にしたと、僕は思ったなあ」
 好みのバーボン・プラントンゴールドを嘗めながら鹿住が言った。アルコール臭の薄いストレートな強い味と、独特のスモーキーさとが気に入って、この日とうとう彼にしては大金を覚悟してキープしたものだ。日本の〇二年ワールドカップが終わって一か月ほどの七月中旬に、二月以来初めて鹿住の店で二人は再会していた。
 「ちがうよぉ。四年もほかっとかれたら、もう心配するばっかりですよぉ。試合後の報道でも、『自分は厳しいと思ってる。自分ではワールドカップはまだ見えてない』と喋ってるはずです」
 「じやあ、確信はいつ生れたの?」
 「ヒデさんがチームに完全に溶け込んだと信じられた時かなぁ。それには、大きいことがいくつかあってね」
 そう断って話し始めた祐介の物語を、鹿住は後に幾度振り返ったことか。

 物語の初めは、トルシエが組織的でないと批判してやまなかった中田がポーランド戦以降、トルシエの戦術に己を合わせ始めたということに関わるものだった。ちなみに、トルシエのポーランド戦総評に初めてこんな評価が入っている。「ヒデが献身的にチームのために戦ってくれた。彼によって我々の戦術が機能した」。理想のサッカーゲーム要素の六割は組織規律だというトルシエにして、最高の褒め言葉ではないか。それだけ中田が、トルシエの戦術的連携命令に従ったということであろう。
 この急変は、当時ほとんどの報道機関が取り上げたものだ。鹿住も、作家、沢木耕太郎が六月二十八日朝日新聞に書いたこんな記事を読んだことがあった。「中田は一貫してトルシエを嫌っていたと思われる。(中略)しかし、ワールドカップが近づくにつれ、中田はある覚悟を決めることになる。つまり、それがトルシエの監督するチームであろうとなかろうと、日本代表というチームの中で一定の役割を『演じる』ことを引き受けようとしたのだ。それがどのような契機で、なぜだったのかは、いずれ彼自身の口から明らかにされるだろう」

 そして祐介の物語はさらに、ポーランド戦のために合流したチームに中田が感嘆の声をあげた点があつたと、語り続けられていった。鹿住が後にナカタネットで確認した本人の表現では、こうなっている。
 「今まではだいたい食事が終わると、みんなさっさと部屋に帰っていったのに、今回の合宿は以前とは違って、みんな食事が終わってもず-っとテーブルに残って話し込んでいたのが本当に印象的だったな~。トルシエとも『些細なことだけど、こういう雰囲気って良いことだね』って話をしたんだ」
 祐介にとっても、過去の合宿と比べて、確かに驚かされた雰囲気だったということだ。例えば、ポーランド戦当日の夕食後、並んで座っていた中田と小野の所へ祐介が出かけていって、こんな会話が始まったらしい。

 「伸二さん、今日はサイドに張っててもらっちゃてぇ、ありがとうございましたぁ」と、これは祐介。にこにこしてうなづきながら何か言いかけた小野を押し退けて、横合いから、中田。「伸二が、横に張ってたか-。なか行くから頼んます、なんてしょっちゅう言ってたよ」。対して小野、「ヒデさんが、試合中に攻め方ばっかし話しかけてくるからついついですよ-。後ろはあなたがちゃんと下がってくれてるってのも分かってましたし。それにですね-、祐介は守備もちゃんとやってましたよ」。「確かにね。だけど、今日の祐介なら遠慮なくもっと前へ行けば良い。そしたら、俺も下がってやるよ。守備をやりながらだってパスは出せるから」、そして一呼吸おいて、中田はこんな言葉を続けた。
 「それにしても、祐介とは四年振りのゲームだね-。フランス代表目指して苦労しあった一番若い伸び盛りが一体なにやってんだと怒ってたんだけど、高原へのアーリークロス、あれはベッカム並みだったよ、ホントに」
 中田が、イングランド代表キャプテンの名前を引き合いに出した。祐介と同じ右サイドのスペシャリストである。「あのクロスは、ヒデさんのロングパスのおかげですよ。あんな遠くからあのスペースのあそこへですからねぇ。ぎりぎり届きました」と祐介。
「それがヒデさんでしょう。ロングパスの精度があるから、遠くもちゃんと見てるということ。だから祐介も前行って良いってこと。それにしてもあのクロスを、高原は上手く落としたね-」、小野が、黙って聞いていた向かいの高原に話を振った。高原が応えるには、「Jリーグの対戦で敵の祐介を注意して観てるけど、最近怖いんだよ。だから、自分のチームで右クロスを受けるような調子で構えてたね」。ちなみに高原は、現在のJリーグでずば抜けた最多得点チームのエースである。

 そこにいる者がみんな、各局面局面で生じるチームの穴を埋め合っていたらしい。そして、それぞれが仲間の長短をイメージしながらその特長を引き出して、さらにその上に自分のアピールを積み上げようともしてきたようだ。そうしてそこに、自分の代表選出を賭けてきたのだろう。すると、今日はさしずめ、一人一人が四年間描いてきたそんなイメージがほとんど実現できたということか。強いチームに二対ゼロで勝ったし、みんな嬉しそうだし。
 ゆっくりと、それとなく、周囲の一人一人の顔を見直してみた祐介だった。


 こうして選ばれた彼等日本チームの〇二年ワールドカップ結果は、一次リーグを三試合総得失点五対二の二勝一引き分け、一位通過、決勝トーナメントは○対一でトルコに敗北というものであった。なおこのトルコは、優勝したブラジルに負け韓国に勝って、三位になっている。祐介はこの四試合のうち一つが先発で二つが途中出場と、三試合に出た。そして、決勝トーナメント出場を決めたチュニジア戦で、中田寿のダイビングヘッド得点へのクロスを決めている。若いと言われた代表のなかでも最も若く、祐介、二十二歳になったばかりのワールドカップであった。

(おわり)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリルジャパン(115) 柴﨑岳ボレーシュートに、今期バルサ初失点  文科系

2017年09月17日 01時16分32秒 | スポーツ
16日、ヘタフェ・ホームで対バルサ戦があった。僕は、このゲームを観るためにこの日わざわざWOWOWに加入したのである。

 さて、39分に柴﨑のボレーシュート。これが今期リーグ戦4ゲーム目にしてバルサ初めての失点となって、ヘタフェの1対0。後ろから中距離の高い放り込みにバルサ陣営ペナルティエリア正面密集で競り合った身方が頭で浮かせて落としたボールに駆け寄ったのが、柴﨑。そのまま左脚を軽く振ったボレーシュートは、かなりの速度でキーパー頭上をすれすれに越えてから急激に落ちて、ゴール右上方に見事納まっていった。
 去年のレアル戦のように「柴﨑、もう一点!」と身を乗り出した僕だったが、後半7分に、残念、故障交代。

 さて、ゲームはその後2対1でバルサが勝ったのだが、ゲーム自身はヘタフェが押していたと観た。なんせ、前半のシュート数はヘタフェの8対3。その原因はこれ。ヘタフェというこのチーム、中盤での潰しが非常に上手いという今世界最先端の弱者の闘い方を身に付けていると観た。ちょうど、先日8月31日の日豪戦の日本のようなやり方だ。なかでも前半の柴﨑は両チームナンバー1の走行距離を弾き出しているというレポートもあった。柴﨑のこの走りがまた、ちょうどレスターの岡崎のように、相手からのボール好奪取の起点になっていると観たから、彼の交代は本当に残念だった。事実、柴﨑が退いてわずか9分でバルサ初得点となったのである。
 これはここでは余談に属することだが、このバルサ、8月入ったばかりのパウリーニョが後半に途中交代で出てきて2得点目を上げた。中国でACL杯を何度も獲得して日本勢を苦しめた広州恒大からの移籍なのだが、本当に凄い選手である。技術はもちろん、スピードと強さと高さまでを兼ね備えていて、この日の得点は強い身体とスピードで相手ゴール前密集をゴールに向かって右方向に切り裂いて行って、遮るDF一人を軽くハンドオフ、と同時に逆サイドのファーギリギリにキーパーも届かない凄いゴールを決めた。流石に、ブラジル代表の中盤代表選手というところだが、タイプとしては世界の名FW・イブラヒモビッチを想起していたもの。

 こういう柴﨑のヘタフェは、バルサとの上記のようなこの闘い方から結構良い線いくと見たから、今後の柴﨑は大いに期待できる。攻守ともにとても良く効いていると感じた。リーグのここまで4戦、全て先発の10番というのも、よく理解できたということだ。
 それにしてもバルサと互角のリーグ戦において今期初失点を喰らわした10番が、柴﨑。相手の10番はあのメッシである。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説  祐介のワールドカップ(前編)   文科系

2017年09月16日 15時31分54秒 | 文芸作品
 二千二年三月十二日火曜日夕、文字通り居ても立ってもいられないという体で帰宅した鹿住のもとに、やっとその電話は届いた。
 「セーンセーエ、ほ-んと-に、入っちゃったよ。本当に、先生───」
 報告の主、祐介の電話越しの声は、何か間延びがしている。そう感じ取った鹿住の方も、もういけない。しばらく声が出ない。
 「…………良かったなぁ。…………頑張ったもんなぁ。病気もあったし─── 」
 祐介が、サッカーワールドカップ直前の八つの国際テストマッチに向けて、その第一戦の日本代表に選ばれたのである。電話口の鹿住の脳裏で、この四年間に祐介が闘ってきた希望、不安、迷い、闘病などが、フラッシュバックしていく。

 祐介は、九八年のフランスワールドカップ代表候補から最後にふるい落とされた三人のうちの一人である。その時、他の二人が起こした事件が、新聞をにぎわせたものだ。彼等が、日本代表監督・岡田武史の帯同要請を振り切って、フランス合宿から帰ってきてしまうという事件である。落選のショックが予測を遥かに越えていたと、岡田監督の談話も伝えられた。彼等の心中は、祐介にも理解できたはずだ。まだ十七歳の高校生で、最終候補二十六人のなかで最年少だったとはいえ、落とされた悔しさは他の二人と変わりようがないからである。しかし祐介は二人とは違って、代表の戦いを見届けるためにフランスに残るという道を選んだ。それができたのは、後に鹿住に話してくれたところでは、代表候補最年少の自分にはまだ先があると希望の方向を換えることができたからだということらしい。ところが、それ以降監督の座についたフィリップ・トルシエは祐介のこの希望を逆撫でするように、ただの一度も「日本代表」の声をかけるということがなかった。延々今年まで丸四年近くのことだ。代表候補合宿には何度も呼ばれたが、国際マッチ代表からはことごとく外れ続けて、ワールドカップ年の今年を迎えたのだった。ワールドユース、シドニー五輪、そして四年間に行われたすべての国際Aマッチ、来るチャンス、来るチャンスが、彼の手からすり抜けて行った。候補で呼ばれては、落とされ、また呼ばれては落とされるの繰り返しだ。その度に決定を祐介に伝えるチームの担当者も言葉がないという様子、ただ「今回もダメだったよ」と伝え、「また、次があるから」と付け加える。祐介の方は「じゃあ、俺の『次』はいつなんだ!」、こんな叫びを飲み込み続けたものである。鹿住もこの間、「呼ばれた時のための準備万端」だけに照準を定めてJリーグも闘ってきたというような祐介に、どれだけ心を痛めてきたことだろう。候補合宿にはたびたび呼んでおいてテストにもかけないというのは、一体どういうことなのか。練習戦略さえさんざんに迷い、長くオーバートレーニング症候群を患うほどに努力もしてきた若者なのだ。

 鹿住は、祐介の元家庭教師である。四年前に日本代表最終候補にまで残った祐介の、不足しがちな学校授業日数をカバーする仕事をその父親から頼まれて、それ以来付き合いが続いているという間がらだ。
「とうとう『次』が来たのか-。一週間あとに大阪で、ウクライナ戦があるんだったな-?」、鹿住がやっと声を出す。
 「うん。ウクライナ戦で評価されて、二戦日の欧州遠征・ポーランド戦、とにかくこれに出たい。これから八つもある代表ゲームで最後まで残れるかどうか、このポーランド戦でほとんど決まると思うんだ。ヨーロッパ組も来るし」
 「そうだったな。ヨーロッパ組はポーランド戦含めて八つのうち三つくらいにしか出ないんだったな-。彼等と合わせあえるかどうか、それが最終代表入りの最大関門になるんだな-」、後半は声の調子もくぐもりがちになっている。ヨーロッパ組と、鹿住や祐介が言っているのはこの場合、それぞれイタリア、オランダのプロチームに引き抜かれていった中田英寿、小野伸二を指している。祐介とともにフランスワールドカップを目指した最も若いメンバーで、中田は四年前のそのレギュラー、小野はサブメンバーとなった。
 「簡単じゃないよねぇ。一ゲームだけ、それもほんのちょっと出させてもらって、『もう来なくてよろしい』、そんな夢も見るよ」
 「何度も言うけど、そんなことはない。こんなに戦略的に代表を狙ってきたんだから、君の場合は出れれば、とにかく大丈夫」
 「でも他の相手も、チーム幹部のみんなと相談したりして、やってきたはずだろうしい」
 「大丈夫、大丈夫。これも何度も言ったけど、チームの同僚に森岡と戸田、守備の日本代表常連が二人もいるじやない。彼等が『祐介は出られれば、選ばれる。日本最大の弱点、得点戦略上の凄い武器になる』と言ってるんだから」
 「うん。二人に相談できたってのは、大きいよねぇ。競争柏手の情報は全部入ってくるしい。逆に、向こうには僕の情報は、テレビや新聞くらいだろうしい」
 「とにかく、狙ってきたことを出せば良い。いろいろあるんだろうから、今日はこれで切るよ」
 電話を切った鹿住は、つい一か月ほど前に祐介の誘いに応えて、ひさしぶりに二人で飲んだときのことを思い出していた。倍以上も年上のサッカー好きな部外者で、祐介の不安の整理役の一人。こんな立場を鹿住は心待ちにして、そのための準備にもいつしか励むようになっていた。そして、サッカーと日本代表チームとのウォッチヤーと言えるほどの資格を得ていたのかも知れない。


 極寒の二月初旬、ざくっと削った地肌を黒く塗った木材を使い、ログハウスとも船底とも見えるようなバー。鹿住が「自分の店」と人にも言っている唯一の場所だ。三十ちょっとに見えるオーナーマスターは「イタリア料理のレストランバーだ」と言うが、こんな若さでどこから仕入れるのか、カウンター向かいの壁に並べられた酒類の取り揃えはきらびやかに多種多様で、そのそれぞれについての薙蓄がまた多い。そして今、カウンター以外はやっと顔が分かるという程度に暗い店内で、三つのテーブルのうち二つが埋まっている。その一方に、顔を壁に向けて鹿住ら二人が座っていた。

 「うん、病気は治ったし、アーリー・クロスも一年かかってやっと物にできたし、君の『次』は必ず来ると自分に言い聞かせてでも、頑張る。それに備えたトレーニングは、ヨーロッパ組との連携を第一にイメージしたもので行く」
 鹿住が、先刻からの話題をもう一度、トーンをあげて半ば強引な調子に縮めくくる。アーリー・クロスというのは、味方陣低く左右どちらかのサイドにいる選手などがサイドライン沿いを急きょ大きく駆け上がって味方ボールを受け、すぐにフィールドを横切るように敵ゴール前へと放り込む速攻用のボールのことだ。敵ディフェンスが戻り切らぬうちに、早目に斜め前へと放り込めばアーリーがつくし、ただクロスという場合は「早目」、「速攻」という感じを抜き、『フィールドを横切るように』というところだろうか。いずれにしても、日本が不得手とする得点戦術の上で貴重な一手段であって、右サイドという守備的な祐介のポジションに期待されるほとんど唯一の攻撃参加オプションである。後ろの選手が前へ大きく抜けるのだから守備の応急手当が必要になるが、その分厚くなった速い攻撃から敵守備を分散させることもできて、得点の確率が飛躍的に高まる瞬間である。このアーリークロスも他の戦術と同様、当然のことながら「人材」が要件となる。精度の高いロングパスの出し手と、足が速くやはり高精度のクロスを持った受け手のサイド選手だ。こういう二人が年月をかけて培ってきた深い信頼関係と言いかえても良いかも知れない。サイド選手が走っても走っても、良いパスがこなければ無駄走りになるし、良いパスを通し続けても、結末であるクロスに精度が欠ければそこまでの全ての労力が無駄になる。無駄な戦術は消えるか、練習用の実験段階のものにすぎないか、いずれかであろう。逆に言えば、サイドがこれでもかとばかりにオーバーラップ、走り上がりを繰り返すチームは、この信頼関係が築かれているというわけだ。祐介のチームはJリーグきってのこういうチームで、サイドが右左ともにどんどん走り上がっていく。

 「四年間一回も呼ばれてないんだよ.中田ヒデさんらがトルシエに外される可能性だって、やっぱり残ると思うしぃ」
 と、祐介。彼のクロスの生死を握るような相棒たちの去就を、憂えているのだ。世に伝えられたトルシエと中田との不仲の行く末にも悩んできた。中田英寿や小野仲二は、祐介のクロスの成否を決めるボール供給源の仲間であるし、小野はさらに右サイドの祐介が攻め上がったときに、逆の左サイドで守りを固めて支えて欲しい相棒だ。彼等が出場するかどうかで、さらにどう呼応してくれるかで、祐介のプレーは大きく違ってくる。特に中田が出ないとなれば、自分の『次』が例え来たとしても水泡に帰そうかというほどに、彼のパスやキープカを想定した練習に拘ってきた祐介だった。
 (ヒデさんと僕との合作が、得点能力の低い日本チームの右サイドとしては最良のものとしか信じられないから、この合作をイメージするしかない〉。
 『選ばれるには?』というある種の『色気』が絡んで打ち消しても打ち消しても現れてくる他の諸選択との迷いを断ち切っては、この四年間祐介が立ち戻ってきた、自分の原点とも言える想定であった。アスリートとしての祐介の矜恃なのだろうと、鹿住には見えたものだ。
 祐介のこの迷いに対して鹿住は、雑誌で見つけてきた中田のこんな言葉を紹介した。
 『監督に話したいことがあれば話す。仲がいいことだけがすべてじゃない。そうでない人とも、いい仕事をするのがプロだから』、『(僕とトルシエとの)二人の考えが全く違うとわかった。わかりあおうとすると困難だけど、どうしようもなく違うと割り切ればむしろ楽につきあえる』。
 これらを引用した上で鹿住は、駄目を押すようにさらに力説したものだ。
「ヒデだって、『全日本みんなが揃う数少ない今後のテストマッチでは、連携の強化が全てだ』とも、どっかで言ってたから、トルシエの戦略にも、ちゃんと合わせてくるに違いないって」
 祐介の返答はない。そして沈黙。ややあって、「笑っちゃうねぇ、誰と組めるかなんて。四年間代表に出れてもいない者が、よく喋ってるよ。せめてヒデさんと組んでポーランド戦に出られたらなぁ。落とされてもまだ納得が行くんだけど」
 話を打ち切るように唇を歪めたものだ。
 そんな祐介の表情を船底さながらの薄明りの下でもうかがい観ることもできずに、鹿住はバーボンのハーフロックの残りを口に流し込んだ。そしてしかし、すぐに話しだした。
 「もう一度、まとめてみるよ。確認してくから短く応えてな。右サイド選手としての君のライバルは?」
 「いろいろいるけど、まあ明神君、羽戸君」。「トルシエのチーム概念から求められる右サイドの技能、能力と、三人の長短?」。「守備が六~七割、攻撃が三~四割、それと、持久力とスピード。それで、守備は第一が明神、あとの二人は同じくらい。攻撃は、僕、羽戸、明神の順。持久力は明神、羽戸、僕の順で、スピードは明神がちょっと落ちて、あと二人は同じ、かな?」。「それでトルシエは結局、代表右サイドは何人必要と見てる?」。「左サイドがもっと激戦だし、右には他から回してくるかも知れないし、まあ一人か二人」。「その人選について、ここ一年くらいを見た現在までの結論は?」。「明神君は確実、羽戸君が対抗、僕が大穴、まで行ってないけどそう思いたい」。「以上から、君が合宿やテストで何を示せば良いんだった?」。「第一に守備を無難にやって、絶対に攻めの結果を出すこと」。「それについて、自分の現状分析と自信は?」。「守備は意外に二人に近付いてると思うし、去年一年でクロスが急に伸びたから、ライバル二人とは違って絶対に点に絡むんだ、と。ただチームの攻めをフォワードに左サイドだけを加えてやれば良いとか、ヒデさんのパスがないとかなったら、ちょっと苦しい」。
 「なっ、結論をもういっぺんまとめるよ。必死に守備に走り回った上で、練習の紅白戦でも日本代表テストマッチに出られたとしても、絶対に点に絡んでみせる。自分ではどうしようもないことをくよくよするのはかえってハートをだめにするだけだからマイナス、やめにする。結果を求められた時に、今まとめた結論に結び付いて行くようにだけ集中する。そうできるように日常も過ごす。そんな、からっと整理された戦闘性みたいなものを、トルシエは一番観てるんじゃないかなぁ。彼は自己を表現して、主張する人間性が好きで、一種心理学者みたいなとこがあると自他ともに言ってるんだし」
 当時祐介が日本代表を目指して、これ以外に何を考えることがあったろうか。だれと相談して、どれだけ時間を使い、どう話してみても。だからその夜の会話は、どこまで続いたとしても微かな明かりも見えぬままに終わりにするしかないという、そういう性質のものであった。

(後編に続く)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CL2017→2018予想 1970

2017年09月16日 14時12分57秒 | Weblog
そういえば恒例のCL予想をやってなかったなw

来年のW杯を控え各大陸予選も佳境に入り、それぞれのリーグ戦と合わせ過密スケジュールになる。勝てば勝つほどW杯に余力を残せなくなるわけだ。
この間からCLの予選リーグも始まり新加入の戦力がどの程度フィットしているかも分かるようになった。

と、いうわけで優勝予想。

レアルの3連覇です。

はいオシマイwww


いや、まあね、イスコだよ。イスコ。天才がようやくポジションを確保して覚醒した。
売り出し中のアセンシオもいいが、やはりイスコは別格。
ベンゼマがトップを張っていると尚更イスコが光る。
ベイルは要らないだろうw
イスコが操るベンゼマ、アセンシオ、ロナウドは今のところ欧州最強。
頭ひとつふたつレアルが抜けている。

で、対抗馬なんだが、正直見当たらないんだな。
大補強したPSGは中盤から後ろの層が薄い。試合を重ね、怪我人が出てくると厳しいと思う。
そして、怪我人が出なくてもスケジュール的に厳しいのがプレミア組。
毎年言ってるがウィンターブレークが無いのはキツいわな。
チェルシーにしてもユナイテッドやシティにしても相当ローテーションを旨くやらないとチームはもたない。
そこにもってきてW杯予選もあるから特に過酷。

セリエはユベントスがボヌッチを失ったのは大打撃だな。キエッリーニ、ボヌッチ、ディシリオ、ブッフォンのカルテットだから勝てていた。今年は難しいな。

そうなると残るはバルサになる。
プレシーズンの不調が心配されたが蓋を開ければリーガー首位。
ドルトから獲得のデンベレは戦力になる。
バルベルデがSBの上がりを制約しない今のやり方を崩さなければ去年よりも攻撃力はアップする。
問題はイニエスタの契約だな。ゴタゴタが長引くようだとムードに水をさす。

ブンデス勢はバイエルン、ドルトムント共に期待薄。
バイエルンはロッベン、リベリに代わる若手が出ないとな。
ドルトムントは層が薄い。香川にはいいことだが。

まあこうしてレアル以外のチームを見るとちょっと厳しいんだよな。
プレミアはそろそろ試合数を削ってウィンターブレークを作らないと、いつまで経ってもビッグイヤーに手が届かないと思うけどね。

今年から来年はイスコの年ということで、予想終了。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代の戦争を振り返ると・・・   文科系

2017年09月15日 17時29分05秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 戦争に対して、抵抗力が多い時代と、これが少ない時代というものがあるように思う。そして、こういう知識は少なくとも100年ほどの世界史を見て来なければ、分からないものだとも。以下のように。


 戦争への抵抗力が少ない時代とは、やはり失業者が多く、生きていくのが苦しくって、個人も集団、国も競争、追い落としが激しい時代。1929年前後の世界大恐慌時代とか、2008年のリーマンショック前後の大消費不況から今も打ち続くマネーゲーム、超格差、慢性的失業者などの時代がこれに当たるだろう。激しい競争のために、人間性も損なわれていく時代とも見うるのではないか。

 戦争への抵抗力が大きい時代の時代内容とは、戦後一時期あったような弱者にこそ社会の目が向けられた民主主義発展の時代。

 この二つをケインズ流に言うと、こうなるのだろう。供給サイド経済の時代(金融本位の時代)と、需要サイド経済の時代(給与生活者本位の時代)と。ここで経済というのは普通の意味とちょっと違うのであって、世界の人々が普通に食っていけること、そして子どもを二人以上生み育てられて、その将来にも安心できそうだという時代。そんな程度の意味なのだろう。
 今は全くこんな時代ではなくなっている。世界全体もそうだが、日本は特に。若者に失業者(「完全失業率の発表」が落としている潜在的失業者を含む)、不安定雇用者があふれて、結婚も出来ない少子化時代というのがその証拠だ。「景気が良くなるなら何でもやってくれ」という機運に満ちた1930年代は08年以降の今に似ていると言われてきたが、30年代は軍事大拡大の時代であり、ヒトラーや、満蒙・侵略・開拓の日本が出現した。出現しただけではなく、人々は彼ら、その施策を熱狂して迎えた。

 こうして、今英米が作ってきた新自由主義時代とは、本当に悪い時代なのだと思う。そして、歴史の当事者がこれを分からないことが人間の悲しさだとさえも。イラクで関連死含めて50万人とか、シリアでそれを上回る死傷者が出て、南欧、アジア、アフリカ、南米では失業者をあふれさせている時代! 特に若者の失業者大群の時代! 右派が国粋主義を唱い、軍拡も進んで行くような時代! 物が有り余るようなこんな豊かな世界が一体何故、どうして??
 歴史は時代に浸かっている目では何も見えて来ないと思う。浸かっていない目で少なくとも百年程度は見て、今を客観視できる目が大切ということではないか。アメリカのように国連さえ見ない、無視するのであれば、何をか言わんやだが。


 1990年までは冷戦の時代であった。これは、軍拡競争に敗れたソ連ゴルバチョフが降参と両手を上げたから、無事に終わることが出来た。その直後に起こったのが湾岸戦争であり、中東の時代。やがて「テロとの戦い」の時代が始まった。アフガン戦争、イラク戦争、シリア内乱戦争などは膨大な死者、難民を出し、いまなお三つとも戦乱下にあるのだが、早くも次の戦争の時代、仮想敵国が現れたようだ。米中問題を含む北の核問題として。
 こうして僕は北の核問題をば、9・11や「イラク大量破壊兵器」、「シリア政権の化学兵器使用問題」などと並べて考えてみるのである。すると、米中の経済・軍事・政治的な競り合いという次の時代が見えて来たような気がする。
 すると次には、こんなことに気付く。冷戦、アフガン、イラク、シリア、そして北、中国と戦争の相手、場所は変わっても、「こちら」は全ていつもアメリカなのだと。それも、自国だけではなくその都度参戦国仲間を募って、そこも軍拡させてきた。結果として、戦後50年続いた厳しい米ソ冷戦時代に比べてさえ、今の米軍事費は2倍になるに至っている。

 はて、こうして歴史を長い目で見てくると、こんな疑問が湧いてくる。「邪な敵」がいるから軍事費を増やすのか、軍事費を増やし続けるために常に新たな敵を作ってきたのか。アメリカはもちろん前者を吹聴しているが、僕は後者のように思えてならないのである。いわゆる「産軍複合体」が政治をも巻き込んでいく自己増殖運動。

 思えば、第二次世界大戦直後に今を予言し、警告を鳴らした大統領がいた。第34代アメリカ大統領アイゼンハウアー。警告を発したのは1960年頃のことである。大戦が終わっても相変わらず自己増殖に励んでいた軍事関係者に、時の大統領自らが脅威を感じたことは明らかなのである。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする