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随筆 ソルのエチュード、セゴビア編17番  文科系

2017年09月08日 21時12分14秒 | 文芸作品
 クラシックギターにおいて、ソル・エチュードのセゴビア編集20曲集というのがあって、その第17番は僕にとって長年因縁の曲。その歴史と近況を描いてみたい。ギターに縁のない人にも、こんな後期高齢者世界があると知って頂くのも一興という趣向だ。

 僕は2003年、62歳からギター教師に通い始めた。それまではずーっと、ギターをきちんと弾ける人の演奏を見たこともない独学の酷い音を出していた。弾ける曲と言えばギター弾きには有名なソルの月光だけで、それも人前では弾く気になったことがないという腕前。そんなわけで、先生に付いた初めは音出し1~2か月ほど。曲に入ってから最初にやったのも、この月光。以降、全て暗譜してから弾き込むというやり方で、その都度好きな曲をやって来た。腕前に合うかどうかは関係なしで、僕が選ぶ曲ほとんどを先生はレッスン曲として認めてくれた。

 さて、そんな人間が先生なるものについて3年たったころから、この20曲集を始めた。20曲集第1番目の楽譜には06年12月の日付があって、以降この3番までをやってから、いきなり17番に着手とある。07年の3月の頃だ。もの凄く気に入ったからなのだが、当時の腕では弾けるわけがない。暗譜した弾き込みで数ヶ月粘ったが完成にはほど遠いままに、一先ず17番からは離れた。以降振り返れば、09年、12年、14年、今回と、この曲を計5度レッスンに上げてきたことになる。定期的に開いてきたギター仲間の「ギター・パーティー」で、一度弾いたことがあるのは、12年頃だったろうか。酷い出来だったのは言うまでもない。とそんなわけで、この曲の難しさ、練習に僕ほど詳しい人は居ないというほどの変な自信があるほどなのだ。ここを読んで頂いているギター愛好者向けに、何が難しかったかを書いてみよう。

 この曲の難しさは基本的には「禁じられた遊び」と同じである。右手薬指のアポヤンド弾弦法で弾く旋律を途切れぬようしっとりと鳴り響かせつつ、この旋律音をアルペジオ装飾で飾っていくという曲作りということだ。こういうアポヤンドがちゃんと出来る人は、上級者だと僕は思うことにしている。音が小さいアルアイレ弾弦旋律では、いくら音が透っても僕は気に入らない。音が小さいのが弱点のギターという楽器で音が透ると言うだけでは、表現領域が狭いと言うしかないと考える。日本音楽ならいざ知らず、西洋音楽ではこれは明らかなマイナス点。なんせ、ピアノ(フォルテ)を楽器の王様と言い、フル・オーケストラを「聞く音楽の極地」という世界である。
 その上でこの曲は、3連音符で最低メトロノーム80程の速さが必要になる。そうでないと、旋律の流れに乗って弾いていけないのである。アルペジオ伴奏曲で旋律の流れに乗って弾いていけないというのは、なんというか、弾いていて全く楽しくないのである。
音楽が、「音楽」にならないということである。

 さて、この曲のレッスン五回目の今回も、はや3か月が過ぎた。一向に上手くならないので、しょんぼりしつつあれこれ工夫努力を重ねていたら、とうとう打開策が見つかった気がしたのである。この曲用の単純な2小節アルペジオ反復楽譜を自分で作って、これを繰り返すこと20日、右薬指が自然に動くようになるに連れて、そのミスが急減し始めたようだ。薬指で第1弦を弾くときには、「この指だけで動かずに右手全体を1弦に持って行き、この指の構え、形は崩さない」、これが大切。こう直した薬指だけで弾く旋律も、なんというか、指が立った厚い音になって曲のグレードが上がってきたようにも思う。この「上達」も、よくあるような年寄りの一時の幻想かも知れないが、あと半月ほどこれを続ければこの曲の全く新たな地平が見えてくるように、今は思えるのである。

 こういう時って途方もなく嬉しいものなのだ。新たな地平が本当に見えたら、その時はまー「地上の楽園に入った心地」というものだろう。
コメント (5)
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