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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

改めて「教育勅語」   文科系

2017年03月08日 10時04分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 仲良しと僕が勝手に理解してきたあるブログでの、僕との論議を初めにご紹介しよう。ブログ主さんの「極右勢力と安倍内閣が近すぎる、だから大問題」というエントリーに、僕が先ずこういうコメントを付けた。

【 よいエントリー! (文科系)2017-03-05 12:10:51
 本当に、日本会議っておぞましい。アベも森友のことを「良い教育をしている」とか言っていたが、何を称してそう思うんだろう。カゴイケが日本会議大阪支部長!?
 日本会議ご一統様ってどうも教育勅語を本心から「良いもの」と考えているようですね。戦前思想の岸さんの教育を受けたかしたアベの本心であるように。これって信じられない思いです。なんせ、勅語の末尾、大元はこうだから。
『以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』】

 すると、ここの主さんから、こんな返事があったので、僕は大変驚いた。

【 文科系さん、おはようございます。
>『以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』
よくわかりませんで、調べました。
どうやら、
「永遠に続く皇室の運命を助けるようにしましょう」
らしいです。
そうですか、、、
おぢは、平和を希求しておる今の天皇、安倍晋三さんより、はるかに信頼をしております。
スマンこってす!! 】

 さて、このお相手のお返事には、僕がコメントを書いた意図がまったく伝わっていないと思った。僕は大日本帝国が「天皇主権」であって、教育勅語にもそのことが如実に表れていると書いたのである。そして、それが現憲法と全く合わないということを指摘したつもりであった。対するお相手の応対がどうも僕の言葉を今の天皇のことを語っているような感じで「永遠に続く皇室の運命を助けるようにしましょう」と返してこられたと読める。そこで僕が返したコメントは、
【「永遠に続く皇室の運命を助けるようにしましょう」
 この下りは、教育勅語の最後の部分ですが、この直前の文章は、○でなく点で止められていて、この末尾文章に懸かっていく書き方がされています。すると、この文章全体のこういう姿が見えてきます。勅語の後半、全文の半分以上のものが一つの文なのであって、それは「爾(なんじ)臣民父母に孝に、兄弟に友に、・・・」と始められ、以降いろんな徳目がずらーと来て、最後の受けとして、上の文章が来る構造です。つまり、『以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』は、以上全部を「以テ」ということで、締めている訳なのでしょう。
 という「こういう考え方」は、国民主権の現憲法には全く合わないと思います。なお、勅語でもそうですが、大日本帝国憲法には国民という言葉はありません。国民という所が全部「臣民」になっています。】

 さて、この遣り取りとは別のことだが、教育勅語についてこう述べる人は多い。
「いーこと、書いてあるよ。現代社会にこそ通じる良い教育目標が書いてあると思う」
 ところが、この勅語の諸目標はすべてそのこと自身を価値ありとする書き方ではないのである。上記のことから「天皇家の発展のためにこそ、国民はこういう教育目標を追求せよ」という文書なのだと思う。だからこその勅語であって、だからこその国民ならぬ臣民なのだろう。
 大日本帝国憲法のどこにも「国民」という言葉はなく、当然「国民主権」という考え方そのものが存在しない。
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随筆紹介  「父と私」    文科系

2017年03月06日 06時19分55秒 | 文芸作品
 父と私   H・Tさんの作品です


 私は、昭和五十六年三月一日に父を送った。享年九十二才。天寿を全うした死であった。父の最期を看とった時も通夜の夜も、私はそれほど大きな悲しみも、その他のことも何も感じなかった。

 病知らずの頑強な父は、思いもかけず六十才半ばで、“結核性脳脊髄膜炎”という重い病気で倒れた。それからの長い年月次々と襲ってくる病に苦しみ、晩年は“老人性痴呆症”、今で言う“認知症”になり、すっかり別人のようになって日を送っていた。その間の家族の世話は大変であった。今のように老人福祉法も介護法もなく人にも話せないような出来事が次から次へと起こった。
ある時から徘徊も始まり、探し回ったりして、ご近所にもずいぶんめいわくをかけた。また三度の食事をすませた後でも、まわりの物を口に入れ取り出すのに大変であった。下着の汚れは、家族がにおいで気付く事もたびたびで、ある時は、兄弟が多く貧しくて父親(私の祖父)を満足に医者にも診せず送った事を思い出すのか、
「金のないのは首のないのと同じだ」
「おれのしんしょ(財産)ことわりもせず抵当に入れた。返せ。元通りにしろ」と、やりきれない思いをぶつぶつつぶやいていた。
 息子に逝かれ、家業もうまくいっていないことをどうして知ったのか、私は聞こえないふりをしていた。理解できない事が次から次へで、やっと一日が終わり父の寝息を聞くとほっとする。でもまた、夜中には何が起こるか分からないという地獄のような毎日であった。

 ある日私の勤務先に電話があり急いで帰った私に、父が食卓の物を床に投げて困ると、家族。驚いて父の顔を見ると、父の目は両眼ともに白い膜で被われ、見えない目で食卓の上の物を取ろうとしていたようだ。家中の者が兄の重い病気に気を取られ、気づかなかったようだ。
 母と共に眼科医へ父を連れて走った。
 医師は重い糖尿病から来る眼疾を告げ、
「こんなになるまで家族は気が付かなかったのですか。たったひとりの父親なのに……」
私は思わず、
「今、息子である兄が癌で、隣の病院に入院中です。それで家族はこの事には気づかずでした」
 癌は死の病と言われた時代。しかも手遅れで余命幾ばくと言われている兄。
 医師は静かに、
「そうですか。息子の命も大事。でもどうして老いた父親の命と比べるのですか。人の命は年齢には関係ないのに、妙な事をうかがいました」
 私は泣いた。
 幸い右目は治療によりどうにか見えるようになった。

 こんな父でも、壮年の頃はとても厳しい人で、ようやく家業を軌道に乗せてからは村の人のよき相談相手になり、人の輪の中にどっかり座り、大きな声で話していた。私はそんな父を知っているだけに、すっかり変わってしまった父が哀れでならなかった。だがその世話が長引き、“なぜ”、“どうして”理解できない痴呆行動に振り回される日々が続くと、怒りや憎しみが増えていった。そのやり切れなさに自分をもてあまして、父に辛く当たった日。密かに、父の死を願ったこともあった。
 こんな時にある作家が“恍惚の人”という題で小説を書き、これがベストセラーになった。その物語の痴呆老人は二年で遠行。私の父は両手で数えられない位なのにと、本を投げつけて泣いた事もあった。
 父が床に伏し、めっきり衰え、別れの日が訪れたことを知った時は、ほっとしたというのが本音であった。

 村の人が大勢来て下さり、通夜そして野辺送りが型通り終わり、父は逝った。
 しかし、父が居なくなってしばらくした頃から、父の長い人生は一体何だったんだろうと考え込むようになった。いつも陶土にまみれ母をどなりつけて働いていた。そして家族を絶望させながら生きた長い晩年。
 娘の私にも涙で送ってもらえなかった父。老いさらばえて醜く生きた父の晩年は、罰だったのだろうか。“人間は、長生きすると老いという罰を受ける”とある人が書いていたが、父に尋ねたら、何と答えてくれるだろうか。私も老いて、父の年齢に近づいた。

 父と私とは、切っても切れぬ絆で生きてきたと、今分かる。父は、人間が生まれ、生き、死んでいく生き様というものを、私の目の前に示し続け、教え続けて、死んで行ったのではなかったか。生きるという業の深さ、その寂しさ、虚しさ、さらにおぞましさまでを、単に言葉だけでなく見せてくれたのではなかったのか、と。
あの晩年の精いっぱいの生き方こそ、私に対する父の最後の慈愛ではなかったのか。
 こんなことは、父の生前に、いやせめて父が他界した夜に思い知るべきであったのに、ようやく分かり始めたのである。
 何事も後手後手に回って、苦い悔いだけをかみしめて生きてきた私。身辺に何かが起こり、結果が出てしばらくしないと、その本質に気づかなかったのである。
 父は、それを一番よく知っていたのだろう。だからこそいつも痛烈に教え続けてくれたのではないか。今頃になって、血縁の父というだけでなく、人生の師と思えてくるのである。
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「大日本帝国」が闊歩する日本  文科系

2017年03月05日 14時39分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 森友さんが日本会議大阪支部長と知った。ここを評して、安倍首相が「良い教育をしている」と述べてきたことも。これが良い教育だというのは、途方もない頭と評するしかない。
 どんなに良い「教育徳目」を数多く掲げていても、これら全てが末尾のこの目的に収斂されるからこその、教育勅語なのである。

『以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』

 こんな物を掲げて世界に打って出た日には、あるいは内心にこれを持っていてさえ、「大日本帝国賛美者」の看板を掲げていると見られて当然である。日本の恥と言うべきだろう。
 問題提起として、二つの拙稿を上げさせて頂く。

【 今のアメリカ (文科系)2017-03-04 11:09:11
 今のアメリカを素直に観たら、エントリー(進藤榮一著作、第3回目の書評のことである)の姿しか見えないはずだ。
「冷戦が終わっても、戦争にばかり更に多くの金を使って、デトロイトやハリケーン・カトリーナによる荒廃地やは、荒れ果てたまま」
 なのに、日本のマスコミは一体、この何分の1を日本人に知らせているだろう。ちゃんと知らせたら、デモクラシーなどまったく機能していない国と分かるはずだ。
 政治家への企業献金に制限が無くて、大統領選挙で流れる金が1兆円。首都には何万という政治ゴロがごろごろ屯し、国家予算を食い物にしている。だからまた、ゴールドマンやモルガンなど金のある連中の声だけが政治を動かして、民間戦争請負業が大繁盛で、金のない大学卒業生が無数に人生をダメにしていく・・・。少数者による完全な悪循環国家ではないか。
 この国に付いていくよりも、この国に距離を置くことこそ、日本国民の幸せというものであろう。 】

【 ネトウヨ諸君はトランプのお先棒担ぎ (文科系)2017-03-04 17:12:06
 今ここで要約中の本の内容からしたら、日本はアジアと共に生きていけということにしかならない。「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著)のことである。ヨーロッパでさえそういう狙いから、AIIB(アジアインフラ開発銀行)にいち早く加盟した。
 中国、インドなどでアメリカ以上にレクサスなど高級車がどんどん売れていく時代が、もう来ているのだから。現に、購買力平価では中国GDPはアメリカのそれを抜き、IMF報告のGDP数値も、G7合計が新興G7に追い抜かれたのである。2014年のことだ。
 さらにまた、自然に増えているような輸出を妨げたくない中国は、これを途絶えさせて世界恐慌を招くような戦争などするわけがないと思う。
 戦争屋・米国に付いていっても、「もっと軍拡を」と言われてきただけではなかったか。現にトランプもそう叫んでいるではないか。そんなことから日本が、アメリカが中東を敵に回したように、アジアを敵に回すなど、愚の骨頂である。

 南京虐殺とか慰安婦とか、この問題を蒸し返す人々はこうして、客観的にはアメリカのお先棒を担いで「アジアを敵に回せ」と叫んでいるも同じことだ。つまり、ネトウヨ諸君とは、意識しようとしまいと、アメリカに踊らされている人々である。】(随筆 南京大虐殺史実のまとめ 文科系 2017年02月27日。これに付けたコメント)


 なお、こういう知性らが政治を握ると言論は通用せず、すぐにこう言い放つから嫌なのだし、もう怖い怖い。「問答無用!」「行動の時だ」。ネトウヨ諸君の言葉、ネット表現などにすでに人間、その理性を馬鹿にしたような特徴が満ち溢れている。

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書評、「アメリカ帝国の終焉」④  文科系

2017年03月05日 13時22分36秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」の要約、書評第4回目だ。
 今回要約部分各節の表題を上げておく。第3章「勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて」全3節のうち、1節「ジャカルタの夏」、2節「勃興するアジア資本主義」の二つだ。と言ってもこの部分はこの書全220頁ほどの内40頁程を占める。次の第3節「太平洋トライアングルからアジア生産通商共同体へ」とともに、「アメリカ終焉」と並んで、本書のもう一方の「アジアという柱」なのである。
 ちなみに、「資本主義の終焉を超えて」というのは、近ごろこの終焉が語られるのを意識して、「どっこい、こう続いている」という意味である。「知名のエコノミスト、水野和夫教授や榊原英資氏は、・・・『資本主義の終焉』を示唆し強調する」(P137)という問題意識なのである。さて・・・・


 2014年のIMF報告によると、「新興G7」のGDPは37兆8000億ドル、いわゆるG7のそれ(34兆5000億ドル)を追い越したと言う。前者は、BRICs4国に、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えたものだ。ちなみに後者は、米日独英仏伊加である。なお、2011年には南アが加わって、BRICsはBRICSと5か国になっている。この国連合が2015年に作ったのがBRICS開発銀行、同年12月にはアジアインフラ開発銀行(AIIB)も設立された。発足時加盟国57,17年度には82か国になる見込みだ。因みに後者には日本の鳩山由紀夫氏が国際顧問に就任したとあった。
 この「南北逆転」にかかわって、2012年の日本エコノミスト誌「2050年の世界」は、有名なアンガス・マディソン(フローニンゲン大学)の資料に基づいて、「アジアの隆盛、欧米の沈滞」という予想をしている。また同じことを、近ごろ有名なユーラシア・グループ代表イアン・ブレマーの言葉を採って「Gゼロの世界」とも呼んでいる。このグループは、世界政治の危険因子研究などを通して、企業の世界戦略策定への売り込みを糧にしようとした企業と言って良い。

 次に出てくるのが先述の「資本主義の終焉」論争である。「金利生活者の安楽死」を予言したケインズを採って、利子率の長期的低下からこの終焉到来を述べてきた水野和夫氏らの論に対して、著者はこんなことを語る。先進国はゼロ金利でも、新興G7はずっと5%金利であると。ただし、中国だけが16年にやや下げたと、断りが付いている。こうして、プラント輸出なども含めて日米の金も、水とは違ってどんどん高い所へ流れていったと。なお、国際銀行の貸付金にこの逆流が起こったのは04年のこと、アメリカなどのゼロ金利政策が固定化され始めた頃であるのが面白い。また、08年のリーマン後は、アジアへのこのお金の流れが激増した。こうして、
「資本主義の終焉ではなく、資本主義の蘇生だ」(p141)

 次にアジア資本主義の勃興ぶりだが、情報革命が物作りを換えたという。資源労働集約型から知識資本集約型へ。次いで、東アジア単一経済圏という「地理の終焉」。東京・バンコック間は、ニューヨーク・ロス間と変わらないのであって、「早朝東京を発てば先方で重要な商談をやって、その日のナイトフライトで翌朝東京本社へ」という解説もあった。

 さらに、EU統合などと比較して、こんな特徴も語られる。EUは法優先の統合だったが、アジアは事実としての統合が先に進んでいると。これについては、ある製品を面、部分に分けていろんな国で作ってこれを統合するとか(モジュール化)、その単純部分は後発国に先端部分は日本になどと発注してコストをどんどん下げるとか、後発国の所得水準をも上げることに腐心しつつ一般消費市場を拡大していくとか、等などが進んでいる。この結果としての、いくつかの製品、輸出などの国際比較例も挙げてあった。

 先ず2015年の自動車生産シェア(%単位)。アジア・北米・欧州の比率は、51・2、19・8、20・2であり、アジアの内訳は、中国27・0、日本10・2だ。
 結果として例えば、インドが、新日鉄住金を2位に、中国企業を3~5位に従えた鉄鋼世界一の企業を買い取ったというニュースも、何か象徴的で面白い。ルクセンブルグの本社を置くアルセロール・ミッタル社のことである。
 
「東アジア主要産業の対世界輸出における各国シェア」という資料もあった。電気機械、一般機械、輸送機械三区分の世界輸出シェアで、1980年、2000年、2014年との推移資料でもある。三つの部門それぞれの、1980年分と2014年分とで、日中のシェアを見てみよう。電気は、日本69・7%から11・1%へ、中国は、0・7%から42・8%へ。同じく一般機械では、日本88・6から19・1と、中国1・5から51・7。輸送機械は日本が最も健闘している部分でそれでも、97・4から44・8、中国0・2から18・5。なお、この最後の輸送機械については韓国も健闘していて、0・6から20・8へと、日本の半分に迫っているとあった。


(最終回へ続く ただし、次回はちょっと間を置きます)
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書評、「アメリカ帝国の終焉」③  文科系

2017年03月04日 10時27分13秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日の第一刷発行)の要約、書評第3回目だ。
 今回要約部分、各節の表題を上げておく。第1章2節「解体するアメリカ」、3節「過剰拡張する帝国」、第4節「情報革命の逆説」、第5節「失われていく覇権」。そして、第2章に入って、その1~3節で、「テロリズムという闇」、「テロリズムとは何か」、「新軍産官複合体国家へ」。

 オバマは、アメリカの荒廃に立ち向かおうとしたが、全て破れた。金融規制も医療制度改革も骨抜きにされた。その結果が、今回の大統領選挙の荒れ果てた非難中傷合戦である。2010年に企業献金の上限が撤廃されて、この選挙では70億~100億ドルが使われたという。1996年のクリントン当選時が6億ドルと言われたから、政治がどんどん凄まじく荒廃してきたということだ。

 帝国は、冷戦に勝ってすぐから、その世界版図を広げ続けてきた。1991年、湾岸戦争。1992年はバルカン・東欧紛争から、95年のボスニア紛争。01年にはアフガン戦争、03年にはイラク戦争。11年がリビア空爆で、14年がウクライナ危機、シリア戦争。
「専制国家を民主主義国家に換えて、世界の平和を作る」とされた、帝国の「デモクラティック・ピース論」は全て破綻しただけではなく、3重の国際法違反を犯し続けてきたこともあって、帝国への憎しみだけを世界に振りまいてしまった。第1の違反が「平和を作るアメリカの先制攻撃は許される」。そして、ドローンなども使った「無差別攻撃」。最後が「国連の承認無しの加盟国攻撃」である。この3様の国際法違反などから、イラク戦争開始直前に行われた中東6か国の世論調査にも、こんな結果が出ている。「イラク戦争は中東にデモクラシーを呼ぶ」を否定する人69%で、「イラク戦争はテロを多くする」が82%だ。「米国に好感」に至っては、エジプト13%、サウジ4%である。つまり、その後の自爆テロや難民の激増は、必然だったとも言えるのである。

 一体、テロとは何だろう。シカゴ大学の「テロと安全保障研究調査班」が、ある大々的な調査を行った。1980~2013年に起こった2702件のテロを対象にして、様々な要素(候補)との相関関係を出していく調査である。その結論はこうなったと紹介されていた。
『問題は占領なのだよ!』
 喧伝されるように「文明の衝突」などでテロ起こるのではなく、祖国の占領、抑圧、困窮、それらへの恨みなどが生み出した「弱者抗議の最終手段」が自爆テロなのだと。ちなみに、占領地の現状はこんなふうだ。
 バグダットの米大使館は国連本部の6倍以上の規模であり、加えてイラクには数百の米軍基地がある。と、こう報告したのは、クリントン政権下の大統領経済諮問委員会委員長、ジョセフ・スティグリッツ。基地には、3000~3500メートルの滑走路各2本、トライアスロン・コースあり、映画館やデパートまでも。米軍関係者が、要塞並みの防御壁の中で、これらを楽しんでいるとも続けている。かくて、06年の米軍海外基地建設費用は12兆円。

 次に続くのは、この帝国の終焉が3様の形を、経済力の劣化、社会力の脆弱化、外交力の衰弱を取るということだ。
 経済力は、高値の兵器に企業が走って、民生技術が劣化しているということ。
 社会力は、戦争請負会社の繁盛。米中心に世界にこれが50社以上あって、総従業員は10数万人。冷戦後の軍人の新たな職業になっていると語る。ここで問題が、新傭兵制度。高い学資、奨学金によって年1万人以上生み出されているという借金漬け大卒者が食い物になっている。学生ローンの総残高が実に144兆円とあった。自動車、カードとそれぞれのローン残高さえ、各120兆円、80兆円程なのだ。かくして、中東からの帰還兵は累計200数十万人。言われてきたように、PTSD、自殺者も多い。
 外交力の衰弱については、2例があげられている。一つは、外交即戦争ということ。この象徴が中東関連の戦費であって、今や累計9兆ドルに膨れあがった。先のスティグリッツ報告が出た当時08年には3兆ドルと報告されていたのだ。外交衰弱の2例目は、TPPの挫折。膨大な年月と人、費用を費やして追求してきたものをトランプが破棄した。

 こうして、第2章の結びはこんな表現になる。
 9・11とアフガン戦争から15年。イラク戦争から13年。戦争がアメリカをすっかり換えてしまった。もはや世界秩序維持を図るどころか、破壊するだけ、世界の憎まれっ子国なのである。
 こういう観点からこそ、トランプのいろんな「強がりの言葉」を解釈してみることも可能だろう。
『世界の警察はやめた。その分、同盟国に応分の軍拡を求めたい』
『中東7か国国民は、米国に入ってはならぬ』
『日中は保護貿易を止めろ』
『IMFの言う事など聞かぬ。むしろ脱退したい。国連からさえも・・・(と言う雰囲気を語っている)』
 これが、ここまで読んだ来た僕の、最も鮮やかな感想である。
 
(続く)
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ハリルジャパン(87) 日本スポーツマスコミの大失態  文科系

2017年03月04日 04時55分19秒 | スポーツ
 日本スポーツマスコミ界は、特に新聞やテレビは、サッカーを継子扱いしてきたと思う。とここで何度も書いてきた。ネットのスポーツサイトでも、野球ばかり。サッカーニュース・ファンまでを野球ニュースに引っ張っていこうとしているようにさえ、僕には感じられてきた。グーブログ編集画面・エントリー送付画面の「スポーツ・ニュース」分類欄でもサッカーは最も下の方にしか出て来ない。

 さて、こんなことをしているから、こんな大失態も起こったのだ。とうとう、Jリーグ・サッカー放映権が2000億円超で外国の会社に今後10年間も買い占められてしまった。因みにこのお金を協会は各チームに大判振る舞いしたから、ポドルスキも日本・神戸に来られたんだよね、
 日本のテレビ会社が結託してJサッカー放映権を安く買い取ろうとカルテル紛いの「対策」を採って来たと思われるが、この連中、今ごろは顔面蒼白だろう。この放映権取得やこの会社の新戦略などから、J人気は今後どんどん増えていくはずだから、スポーツ・マスコミ界はさらに真っ青になるんじゃないか。

 中日新聞も、丸々1面使ったような古い「伝統」芸能欄とか苔が生えたような宗教欄とかとともに(これらって、老記者達の救済措置ですか?)、「ドラゴンズ、グランパス」オンリーは止めるべきだろう。読売の巨人オンリーだって、東京地区の部外者は誰も賛成などしないのだから。ちなみに、「その地域性を生かすこと」と、「その地域性だけを生かすこと」とは、まったく別の事だ。J名称にはスポンサー会社名ではなく地域名を付けても、全部合わせてJの発展、日本サッカーの発展という視点をばーんっと出してるのが、野球とは違うのね。野球界が「その地域性だけ」だからこそ、侍日本(野球)も侍日本(蹴球)とちがって人気が出ないのだと、いつになったら分かるんだろう。

 この国際化時代、世界スポーツ時代に、「『やるスポーツ』が日本(マスコミ)文化としてなかなか定着しなくって、相撲同様興業の扱いの域を出ていない日本スポーツマスコミ界」にどっぷりと浸かっているから、世界サッカーマスコミ企業にしてやられたんだよ。

 深く深く反省すべきだろう。それにしても、日本のテレビ会社が外国の会社からJの放映権を買う羽目になったって、どんだけ情けないんだ。これもサッカー発展を阻止してきた罰だよね。
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ハリルジャパン(86) ガンバ・済州戦から  文科系

2017年03月03日 15時16分21秒 | スポーツ
1日の標記の闘いを観たが、何と酷いゲームかと感じて、前半でテレビを切ってしまった。
どこが酷いって、済州の良いようにやられている。済州は、そんなにコンパクトとも思えない高位の守備布陣で猛烈な圧力を掛けてきた。それに対するガンバが、ずーっと後手後手に回っている。特に、自陣でボールを持っているときにもう後手後手に回るのだから、どうしようもない。相手のプレス陣形が上手かったのか、ガンバのパス回しが、特に第3の走り辺りが悪かったのかと観ていたが、どうも後者のようだった。長いパスをひったくられたりしてなかなかボールを前に運べなかったから。だからなのだが、相手は更に図に乗ったように、高位プレスを掛けてきた。確かに、ガンバボールに対してよく走っていたから、そしてその走りが嵌っていたから、どんどん図にのって来たようだ。これは、ACL韓国相手ではいつも日本の負けパターン。それも、去年のACL勝ち無しの時にもそう見えたが、ガンバは球際に弱いようだ。

 韓国チームに、ドルトムントのような高位プレスを掛けられ続けちゃあ勝てる訳無いと、0対0のままにテレビ・スイッチを切ってしまった。どうもガンバだけは、ACLの取り組みが誤っているのではないか。そう思って2日の新聞を見たら、こんなことが書いてある。

①8日間で3ゲームがあって、疲れていた。
②チームを3バックに改編中で、長谷川健太監督は「これをどうしても仕上げたい」と、固い決意を述べていた。それも、長期間かかっても必要という姿勢から、今の混乱は仕方ないという覚悟までにおわせている。

 さて、こんな確信犯的改編覚悟は、珍しいもの。普通の監督にはなかなかできない決意であって、実績にチーム首脳の信頼がある健太監督なればこそ。こうであれば、これはこれで面白い。今後のガンバは注目で、ACLでも追跡していくことにしよう。ここを早く敗退してさえも、リーグ戦では成果が出るかどうかという興味まで湧いて来る。 
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「よたよたランナーの手記」(189) ランニング腕時計を使ってみた  文科系

2017年03月03日 10時49分31秒 | スポーツ
 先日買ったこの時計の使い方で、僕が弱いメカに減衰してきた記憶力が追いつかず、悪戦苦闘している。心拍計は使えても、GPS機能を使った計測値がまだ引き出せないという体たらく。本日初めておっかなびっくりで外走りの実験をして、室内でもすぐに使える心拍計機能以外を試してみた。なんせ僕は、スマホはおろかガラケイさえ使わないのである。

 さて、いつもの外走りコース、自宅から鶴舞公園グランドまで走り、グランド外周を10周して帰ってくるコースだ。走行距離関係を計るGPSが屋内では効かないから、本来の機能は外走りでしか出せないのである。結果、こんなことが計れるようになった。
 走った時間、距離、消費カロリー、走行中の平均歩幅、1分の平均心拍数など。それらが、その日その日の履歴記録として時計の中に残り、いつでも引き出して確認できるという優れもの。そして、走行中のある任意の区間ラップを何回も計ることもできる。また、「当面の1時間目標タイム、つまり時速」も出るようだ。これなら、もっと長く走れば、「マラソン目標タイム」も出ることだろう。この目標タイムは、その日の最大心拍数と平均心拍数、ストライド幅などから割り出されたものに違いない。というように、流石は、エプソンの○万円という代物だけのことはあると、感心していた次第。

 そして、以上の数値を今日で言えば、こうなった。ウォームアップ込みで8・83キロ走り、時間は1時間15分。平均心拍数は140で、歩幅は80センチ、575キロカロリーを消費したと。また、「当面の1時間目標タイム」らしきものは8・29キロと出たが、最近の僕の体験数値にも合致していて、確かに妥当な線という気がする。

 これがあれば確かに日々のラン変化が正確に分かるから、楽しみだ。もっとも、衰えていけば、その衰えぶりも分かるわけで、これはこれでまた己のためになるのである。しばらく、外走りが増えることになろう。

 最後に、この時計を付けた今日、こんなことに気付いた。僕の心拍数は非常に上がりやすくなっており、上限も155ほどとかなり下がってきたということ。そして、150を超えると苦しくなっている。去年1月11日のラン再開後の最高記録1時間で10・3キロはもう難しいだろうと、観念したものだ。最高心拍数では、無理をしたくないと考えている今なのだし。10年にやった、慢性心房細動へのカテーテル・アブレーション手術で走れるようにしてくれた医者が、こう言ったのが気になるのである。
「貴男が走り続けるのは貴男の心臓には良いのだけど、アスリートは確実に早死にしますよ」。
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書評、「アメリカ帝国の終焉」②  文科系

2017年03月02日 11時05分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今回の書評は、「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」。著者は、進藤榮一・筑波大学名誉教授で、講談社現代新書、2017年2月20日の第一刷発行とあった。
 なお、本全体の概括に当たるような書評第1回目をこの24日エントリーに載せてあって、残りは、今回の他あと2~3回ほどになるだろう。著者略歴だが、1939年生まれで、京都大学大学院法学研究科で法学博士をとって、専門はアメリカ外交、国際政治経済学。ハーバード大学、プリンストン大学などでも研究員を務めて来られたアメリカ政治経済学専門の方だ。
 先ず初めに、例によってこの書の目次。
「はじめに──晩秋の旅から」と「おわりに」以外の章立てはこうなっている。
序章 トランプ・ショック以降
第一章 衰退する帝国──情報革命の逆説
第二章 テロリズムと新軍産官複合体国家──喪失するヘゲモニー
第三章 勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて
終章 同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵

 今の世界には、ポピュリズムとテロという二匹の妖怪がうろついているという。そして、この二匹が同じように出没した世界が過去にもあったと。19世紀末から20世紀初頭にかけて世界のグローバル化が進んだことによって大英帝国が崩れ初め、アメリカが勃興し始めた時に。なおこのポピュリズムには、著者は独特の定義を与えている。形はどうであれ「民衆が民衆の手に政治を取り戻すという意味でのポピュリズム」(P21)と。
 ストライキを巡って市民と軍隊が市街戦を繰り広げたような米ボルテイモア。世界でも、ロシア皇帝やフランス大統領の暗殺、1901年には米大統領マッキンリー、1909年には安重根による伊藤博文暗殺。米フィリッピン戦争もあったし、中国では義和団蜂起も。

 さて、20世紀初頭のアメリカ・ポピュリズム時代も、現在と同じ三つの社会本質的特徴を持っていたと、次に展開されていく。①新移民の急増、②巨大資本の誕生、③金権政治と、印刷発達による日刊新聞や雑誌などニューメディアの登場、である。ただ、20世紀開始当時のこの3点は、今のトランプ時代とはここが違うと述べて、ここから著者はトランプ政治の正確な規定をしていくのである。

 なによりもまず、往時のこの3点はアメリカを帝国に押し上げたのだが、今はその座から降ろそうとしているのだとのべて、その上で各3点の違いを展開していく。
①往時の新移民は白人人口に算入される人人であって、アメリカ社会に包摂され、帝国建設の原動力になって行った。
②過去が大工業国になっていったのに対して、今は金融だけ、物作りは縮小している。物作りが縮小して金融がマネーゲーム中心に空回りしたら、まともな職など無くなってしまう。この点で筆頭国といえるのが米英日だと思う。
③は、ニューメディアとの関わりでこれを文化問題とも観ることができて、今の米国内は文化戦争になっていると言う。国民的文化同一性が崩れているとも換言されている。つまり、国民分断が極めて深刻だと。
 この③の国民分断について、今回の大統領選挙の得票出口調査結果分類を例に取っているのをご紹介しよう。トランプ対ヒラリーの各%はこうなっている。黒人8対88、ヒスパニック29対65。ところが、白人票、男性票ということになると実に各、58対37、53対41とあり、女性票でも42対54と、トランプが結構善戦しているのである。

「トランプのつくる世界」とはこんな物として描かれている。普通に新聞で触れられていない記述を中心にまとめてみる。
 まずこのこと。30年前に新自由主義を初導入したレーガン政権と「ポピュリズム右派」など非常によく似た点が多いのだが、ソ連の斜陽が始まった時に数々「成功」したように見えるレーガンに対して、トランプが国力衰微の中で生まれた政権だという例証として、以下が述べられる。
 IMF報告の購買力平価GDPで、2014年には中国に抜かれた。その傾向から17年、19年には各、2500億ドル、4500億ドルという差が広がっていくと予測されている。つまり、中国が「世界の工場」になっているだけでなく、「世界の市場」にもなっていることの意味の大きさを強調している。今の有効需要が少ない世界で大市場というのは、アメリカが日本の王様である理屈と同じような意味を持つのである。世界金融資本にとってさえ。つまり、マネーゲーム以外のまともな投資先がなければ、所詮金融もまともには活躍できないということである。
 また、軍隊重視には違いないが、「世界の警察を返上した」ことに伴って他国にも強力にそれを求め、国内経済第一主義の中でも国内インフラ整備には邁進して行くであろうということなど。これもトランプの大きな特徴である。

 こうして、結ばれる著者の世界政治用語は、「米英中ロの多極化」という「新ヤルタ体制」ができるだろうと書かれてあった。


 さてでは、次にアメリカの衰退ぶりを改めて確認していく部分の紹介。世界一安全な日本(人)では考えられないような内容である。
 まず、物作りの大工業国家・旧アメリカの象徴デトロイトの荒廃ぶりだ。
 荒廃した旧市街地へ入りかけると、道路脇にこんな看板が立っていたという。「これから先、安全について市は責任を負いません」。警察が安全責任を持てないから、自分は自分で守れと警告しているのである。ちなみに、市域の3分の1が空き地か荒れ地で、街灯の30%が故障中、警官を呼んで来る時間が平均27分というのだから、無理もない。全米都市中2位の殺人発生率を誇るデトロイトのすぐお隣には、殺人発生率1位都市もあるのだ。GM発祥の地フリント市である。
 デトロイトの人口も最盛時185万から70万に落ちて、9割は黒人。普通の会社の従業員などは郊外の「警護付き街区(ゲイテッド・シティー」から通勤してくると続いていく。

 
 このデトロイトを象徴として、米国二重の困窮という事項が次に解説されていく。一つが物作りの零落、今一つが連邦政府が地方政府を支援不能となったのに市民の互助活動も廃れたという、連邦赤字と市民社会劣化である。食うに困る人々だけの貧民街に公共財が何もなくては、政治など吹っ飛んでしまうということであろう。


(続く、ここまでで約4分の1。あと、3回続くと思います)


追加としての感想
 なお、この本を読んでいると、ここ「9条バトル」で僕が書評で紹介してきたいろんな著者が出て来て面白い。まず、その国連調査報告を紹介したノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツの言葉が出てくるし、最近長々と紹介した「金融が乗っ取る世界経済」、ドナルド・ドーアの言葉も。さらには、最も最近の書評、エマニュエル・トッドへの言及。これは、トッドの学問の限界を指摘した学問的内容をもって、1頁近く言及されている。この内容は、僕がここでトッドの書評を書いたときに言及したことと同じ内容だと思われたものだ。トッドの「専門領域」からすると、各国のことについては何か言えても、その相互作用や世界・国連の動きなどは語れないはずなのである。例えば、経済についてはピケティやスティグリッツ、クルーグマンらを読めばよいとトッドは語っているし、国連のことは門外漢だと自認しているようだ。
 そして何よりも、この書の「おわりに」に、こんな献辞まであった。
『最期に、出版のきっかけを作って下さった孫崎享先生と・・・に深謝します』
 孫崎の著書もここで何回扱ったことだろう。
 ただし、これらのこと全て僕にとって、この本を読み始めてから分かった、偶然のことである。
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春の雪国会中継「安倍一族」   らくせき

2017年03月02日 09時10分53秒 | Weblog
安倍さんの奥さんを守ろうとする一念。
さてどうなるのか?
コメント (11)
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随筆紹介 『見張られ社会の小さな恩恵』   文科系 

2017年03月01日 14時35分24秒 | 文芸作品
 見張られ社会の小さな恩恵  S・Yさんの作品です


 ちかごろよく散歩をするようになった。習慣になったらこれがなかなか体調にもよくて気分転換にもなる。ウエストポーチに小銭を入れて、散歩の先々で見つけた店などにも立ち寄るのもたのしい。

 あるとき、食品スーパーの店先にたくさんの果物を見つけた。ミカンやリンゴは重いから無理だけどイチゴ1パックならと、ついでにほうれん草とキノコを買い求めた。帰宅して何気なくレシートをみたらイチゴを2パック買ったことになっている。そういえば大して買わなかった割には高かったことを思い出した。たかだか500円ぐらいのことだ。その場で気付かなかった私もバカだ。店に引き返しても(6時閉店)すでに閉まっている時間だ。あきらめようとそのときは思った。
 しかしなんだかすっきりしない。その店は安いのが売りなのに、レジの店員が(お喋りに夢中だった)ミスをするなんて腹立たしい。そう思うと苦情を呈したらその店がどんな対応をするのか、がぜん興味が湧いてきた。家人は「やめとけ。世間にはクレームをつけるオバサンはいっぱいいる。モンスター扱いされて不愉快になるだけだ」そう言った。
 確かになんの証拠もない。買い物をしたその場でなければレシートと品物が一致しない。

 しかし翌日、私は店に電話をした。店側の反応をどうしても知りたい。事情を話すとレシート番号を教えてくれという。そして調べて折り返し返信をするという。
「はっ? 調べて? どうやってわかるのですか?」興味をそそられる。
「各レジにカメラが付いています。それで今から確認をします。しばらくお待ちください」
 驚いた。私はなにも悪いことはしていない、ごまかしてもいない。それでも防犯カメラのようなもので確認されるとは。胸がドキドキした。そんな時代なのか。
 すぐ電話が来た。「確認が取れました。店員どうしが話をしながら間違えていました」、いつでも来ていただければ差額を返金すると、丁寧に謝られた。

 たかが500円ほどのイチゴ1パックのことであたふたした自分にも苦笑したが、いろいろと参考になった。いまではどこの店のレジに並んでも、私はカメラの位置を確かめずにはいられない。そう思って生活していると防犯カメラはいたるところにある。
 そういえば夫も車にドライブレコーダーを付けた。良くも悪くも常に見張っている、見張られていることになんだか複雑な心持だ。

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