九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

手術も終り、リハビリに   落石

2007年04月15日 10時49分52秒 | Weblog
母の骨折は、数日前に、手術も無事終り、今はリハビリ。
手術翌日から車椅子に乗ってリハビリ室へ。
およそ3週間で退院の予定です。
といっても医療行為が終ったために退院させられるといった感じで、
リハビリは別の病院で続くようです。

ここ数年の医療改革はめまぐるしいものがあって
病院のなかは随分変化しているようです。

病棟には母と同じ様な骨折患者が一杯。
年輩の女性がほとんどです。
聞くともなく聞いていると、おなじように転倒。
「ああ玉子は大丈夫?と思ったら骨折していた」
「大きな病院で打撲と診断されたが、誤診だった」など・・・
病院は、耳学問の場です。

年齢に自信のある方々は、くれぐれも転倒にはご注意を。
また、母のレントゲン写真を見ても、
素人目には骨折とは、全くワカリマセンでした。
専門医でない医師が打撲と診断するのも無理ありません。
痛みが続くようでしたら、骨折を疑って下さい。

お礼とご報告を。



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朝のドラマ どんど晴れ 落石

2007年04月14日 11時48分37秒 | Weblog

4月から始まったNHKの「どんど晴れ」。
いよいよ舞台が横浜から盛岡へ。役者も出揃って、ドラマが展開していきます。
現代女性が老舗旅館の女将に。
昔、花登さんの芝居に女将ものがあったような記憶がありますが、
あの時代の話は古いしがらみに苦しむ女性。
朝ドラの話は、全く、逆のベクトル。
現代女性が古いしきたりのなかで、どうように成長していくのか?
根性ものの流れかな?

話が突然、飛びますが、このドラマを見ていて
最近読んだメデイアの本を思い出しました。
そのなかに出てくる「社会関係資本」という言葉があざやかに蘇えったです。

社会資本という言葉は聞いたことがありますが、社会関係資本とは?

日本が高度経済成長のなかで失ってきた古い人間関係。
でも新しい都市のなかで人間関係が希薄となり、孤独地獄が出現。
流行歌がいみじくも、東京砂漠と言った世界が出現しまいした。
昔からあった「若者組」などのさまざまな人間関係を育て、
守ってきたネットワークが消えていったのです。

社会的な存在である人間にとって不可欠な目に見えない資本を、
「社会関係資本」という言葉で表現したものでしょうか。
社会資本の整備といってコミュニテー会館などの建物の整備は進みましたが、
そのなかで活動する人間たちのネットワークは簡単に生れてきませんでした。

    

どんど晴れのヒロインは、老舗旅館という昔の社会関係資本のなかで成長してゆく。
それがドラマのひとつの骨格になっているようです。
そうしたストーリー展開を視聴者に受け入れられやすくするために
盛岡という東北の都市が舞台に選ばれているようです。

このドラマ、古い衣装のもとで、どんな新しい社会関係資本の姿を見せてくれるのか?
楽しみです。

ドラマの展開はからへ。

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反転攻勢「九条世界会議」来年五月開催を!!  まもる

2007年04月13日 12時20分56秒 | Weblog
 自民党を先頭に改憲の動きが進んでいるのに対抗して、平和憲法を護ろうとする市民の側の動きも広がりを見せている。改憲国民投票法案の強行採決スケジュールを背景に、市民グループが開催準備にかかった「9条世界会議」がそのひとつ。2008年5月のゴールデン・ウィークに、幕張メッセで1万人を集めて国際会議を開催する。

 長渕やサザンのコンサートではない、<憲法>で1万人!「戦争の放棄」が冷笑される今日の状況では、何といっても<9条>に集うひとの数にものをいわせねばならない。旧来の<護憲派>の枠を大きく超えて、憲法をひとごとと思いかねない若者なども引きつけられるようにと、3月末に発足した実行委員会のメンバーは、そのための“ことば”“イベント”“グッズ”の企画に知恵を絞っている。
 
 「9条世界会議」の呼びかけ人には、広島平和研究所所長の浅井基文、歌手の加藤登紀子、経済同友会終身幹事の品川正治氏など約30人が、また実行委は、ピースポートの吉岡達也、国際法律家協会の新倉修の両氏が、とりあえず共同代表の任務を担っている。約1年後の5月4日の集会には、吉岡氏らの働きかけで、ノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズさん(米国、地雷廃絶世界キャンペーン)が講演者として参加すること決めている。加えて、同じくノーベル平和賞受賞者女性、シリン・エバディ(イラン、女性人権活動家)、マイレッド・マグワイア(北アイルランド、平和運動家)、ワンガリ・マータイ(ケニア、グリーンベルト運動)さんらにも参加の呼びかけが行われている。会場費とこれらのゲスト招聘費などで必要なのは、約5000万円。ひとを集めることと、この予算確保が背中合わせの難題となっている。

 「日本の平和運動は、憲法9条を枕に昼寝をしてきた」と平和学のリーダー、ヨハン・ガルトゥングは言う。「9条世界会議」は、憲法条文の墨守を超えて、市民が自ら平和を積極的に創っていくことを目指す。その眼目は、日本国憲法が謳う平和的手段による平和構築の理念を、世界各国がこぞって現実的な安全保障策に活かしていくことをアピールするところにある。先ずは日本が、そして世界各国が【戦争の放棄】を確実にしていくことを訴えようとしている。
 
 日本の平和憲法の国際化は、1999年5月、オランダのハーグで開催された<平和アピール国際市民会議>で明確に示されている。「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議をすべきである」という呼びかけである。さらに、コフィ・アナン前国連事務総長の呼びかけで2002年に発足した国際NGOネットワーク、<武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ>(GPPAC)は、2005年2年2日の「東北アジア地域行動宣言」(東京アジェンダ)で、「日本国憲法9条は、日本の軍事主義を封じ込めることで地域の民衆の安全を確実なものにするための規範であるとされてきた。とくに、紛争解決の手段としての戦争およびそのための戦力の保持を放棄したという9条の原則は、普遍的価値を有するものと認知されるべきであって、東北アジアの平和の基盤として活用されるべきである」と銘記している。

 GPPACは、この5月24、25日モンゴルで東北アジア地域会議を開催し、<市民による六カ国協議>や<東北アジア非核地帯構想>に取り組む。ここには、地元モンゴルや、北京、上海、ウラジオストク、ソウルなどの他、台北、香港、さらにはモンゴルと近い外交関係にある北朝鮮からの市民参加が期待されている。「9条世界会議」を、日本に最も近い地域で予行することができよう。

 <9条>は、肝心の日本国内で明らかに劣勢に向かってきた。何より<北の脅威>が、国内世論に大きく響いている。冷戦終結を経てじわじわと増えてきた日本の有権者の改憲支持が、北朝鮮による拉致問題を背景により強固なものとなり、さらに2006年の北朝鮮によるミサイル、核実験で不動のものとなった感がある。改憲の布石となる国民投票法案は、そうした流れに乗って“あっという間に”成立に向かっている。

 政府(内閣法制局)が違憲とする<集団的自衛権の行使>に触れる可能性のある日米共同のミサイル防衛システムも、海上、陸上双方、配備がすんなりと進んでいる。実質的に改憲が先取りされてしまった感もある。改憲案の国会決議と国民投票への発議も、「北」がさらなる“冒険”を試みるタイミングを計って行われるだろう。

 「9条世界会議」に向けて、この会議が何を目指し、何をしようとしているかを、短い“ことば”(キャッチコピー)で示さねばならない。それによって、<9条の輪>を、過半数を割り込みそうな護憲勢力の外へと大きく広げることができなければ、9条は本当に枉げられてしまう恐れがある。たとえば「9条第1項の【戦争の放棄】は堅持します。しかし、拉致犯・テロ国家、北朝鮮の核ミサイルから日本を守るには、第2項の【戦力の不保持】を少し修正する必要があります」といった自民党の改憲PRに負けてしまうかもしれない。

 実行委のメンバーはいま、「日本発、世界へ。9条」「PEACE CODE 9」といったキャッチコピーの候補を次々に挙げて競い合っている。実行委の末端に連なったわたくしも案を出さねばならないのだが、なにを隠そう、そうした“ことば”を考えるのが何より苦手。それは、自分の<護憲>が、独りよがりの甘さを持っているためでもあろう。

 JanJanの読者、記者の皆様、どうぞお知恵をお貸し下さい。JANJANへ、はっとするような、にっこり笑いたくなるような、元気の出るようなコピーを、じゃんじゃんお送り下さい。

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中国と日本  落石

2007年04月13日 11時19分49秒 | Weblog

アメリカのメリーランド大学?が行った
世界に貢献している国のランキング第一位と二位が
日本とカナダ。

経済による貢献と平和主義が、その大きな理由。
これこそ9条に対する正しい評価。

さて、中国の指導部は、こうした日本の貢献について
内心はともかく、対外的にも、国内的にも、評価してこなかったようです。
日本は中国国内の不満をそらす場合の標的にされているようです。
悪しきナショナリズムの台頭です。
また日本の一部にも、こうした動きに敏感に反応するナショナリズムが
台頭しており、総理の靖国神社参拝をめぐって悪い循環が起きてしまいました。

今回の温首相の訪問は、「氷と溶かし」
こうした悪循環をストップさせる良い機会です。
日中関係はすんなりとはいかないでしょうが、
経済的には後戻りできないところまで関係が深まっています。

これからの日中関係を悪化させないためにも、
これまで日本が60年かけて作り上げたイメージを
自ら破壊することはやめねばなりますまい。
愛国者は、9条を守る側に、「今」は立つべきでしょう。

    

こうした日本の外国でもイメージ調査は、どこかで行っているはず。
それを広く伝えて欲しいものです。

温首相訪問の同じ日、国会が国民投票法案を可決したのは
現代史の皮肉でしょうか?
まさに「今」のそして「未来」の日中関係を象徴する一日でした。







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本の紹介「国民投票、憲法変える?変えない?」 まもる

2007年04月12日 00時40分25秒 | Weblog
 豊秀一著「国民投票、憲法変える?変えない?」岩波ブックレット 

 この本で著者の豊さんは、これまでの法案をめぐる経緯を説明しながら、数々の問題点を指摘しています。

◎国会の発議から実際の投票日までの期間の問題。与党案民主党案ともにそれが「60日以降180日以内」としているが、それで十分なのか。
◎テレビCMや、メディア規制の問題。特にテレビCMは投票日の14日前から禁止、とされているがそれでいいのか。14日以前は野放し状態となる。CMによる刷り込みの危険性はほとんどマインドコントロールだし、当然のことながら、資金力によってその放送量には圧倒的な差がつく。どちらが有利かは、財界の総本山・日本経団連の御手洗会長が「改憲」を標榜している以上、説明するまでもない。
(この問題については、『マガジン9条』で、カタログハウス社長の斎藤駿さんが丁寧に論じているから、ぜひ参照してほしい)。
◎「国民投票広報協議会」の問題。これは国会の中に作られ、衆参両議院から同数の委員を選ぶということになっている。国会が自ら提案した憲法改正案を自らが広報する、ということで果たして公平さは担保されるのか。その疑問は、払拭できない。
◎「憲法審査会」の設置に関する問題。これは2000年に衆参両院に作られた憲法調査会を事実上改組し、新たな組織にしようというもの。つまり、調査が目的だった調査会を、原案を作る強い権限を持つ審査会に格上げするもの。独走する可能性には触れられていない。
◎民意の正確な反映ができるかという問題。投票に際して賛否を問う課題の立て方は、公平にできるのか。
◎最低投票率の問題。例えば投票率が50%だった場合(ちなみに、今回の東京都知事選の投票率は約54%)、その過半数の賛成なら、全有権者数の25%の賛成で改憲は成立することになる。それでいいのか。
◎有権者の年齢は何歳からか。一般の選挙との整合性はどうするのか。

 ここに挙げた以外にも、疑問点・問題点はたくさん指摘されています。このように問題が山積みなのに、なぜそんなに成立を急がなければならないのか。この本のユニークなところは、その成立を急ぐ最近の「政治状況」にもきちんと触れていることです。
 これまで「国民投票法案」についての議論では、その技術的な側面ばかりが強調されるきらいがありました。つまり「どうすれば国民にとって真に民主的で平等な法案になるのか」とか、「諸外国での例に遜色のない法律にするべき」「これまで改憲手続法の国民投票法がなかったのがおかしい。改憲に賛成か反対かはさておき、両派に平等な法律は必要である」「この法律がないから、解釈改憲がまかり通ってきた。国民主権を取り戻すための真に民主的な国民投票法を作るべき」「そのための法案作成は急がなければならない」などといった意見が、この議論をリードしてきたのです。

 しかし、この本では「なぜ今、国民投票法か?」という疑問を、戦後政治の歴史的状況を踏まえて検証しています。
 技術的に正しい法案を作ることは当然必要でしょうが、その前に、なぜ今なのか、という現在の政治状況を考えなければならない、と説くのです。
 小泉首相から安倍内閣への流れ。特に安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」は、まさに憲法改正を最大の目標としたものです。日の丸君が代の強制、教育基本法改定、防衛庁の省昇格、これらすべての政治的流れが唐突ともいえる「国民投票法案」のゴリ押しにつながっている、と読み解くのです。
 技術論もさることながら、その裏に隠された政治的意図をきちんと把握するべきだとするこの本の中身は、確かに大切な戦後の分岐点を示唆しています。

 なぜ今、国民投票法か?
 一部を除き、ほとんど盛り上がっていないといわれる「憲法改正のための手続法である国民投票法」の審議の行方を、私たちはもっと関心を持って見つめ、その行方に対し、はっきりと賛否を表明するべきです。この本は、そのための絶好の教科書といえるでしょう。

(鈴木 力)
           
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現代日本人の「死」観に関わって  文科系

2007年04月11日 20時53分31秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
落石さん
大切な話題提供を、有り難うございました。
今、自然が日本で久しぶりにブームになっていますね。自然崇拝宗教も含めてこんなことは歴史的に当たり前であった日本人が、戦後これを軽視しすぎてきた。高度経済成長社会などの中で「文化的生活」ということが「人工的生活」と同義語であるように。そして、何かただ「新しければ良い」というように。そんなふうにして戦後の日本人は、「新しい商品に何か幸せがある」というように暮らしてきたのではなかったでしょうか。もうこういう感じ方が、一つの「哲学」になっていた。商売に都合の良い、物を買わせ、金が儲かる哲学ですね。

山登りが凄い人気です。「百峰登る」とか、「体力維持」とかもありますが、移り変わる自然がなければ面白さ半減以下のはず。
家庭菜園はとても高級な趣味だと思いますね。「自分で作って、自分で鑑賞(賞味)する」。鑑賞だけではない、芸術の創造と同じ価値があると考えています。そういうことの大衆化だ。ある種の芸術創造をプロのものと考えるような悪い習慣すら存在した。
そして、エコロジーね。あれは、自然好きを一つの宗教にまで高めるようなものにもなりうる。
山が大好きな人で、「オレが死んだら、あの山の山頂近く、大きな石の下にでも散骨しておいて」と遺言された方も何人か知っています。海に散骨を言い残した歴史的文化人も非常に多いでしょう。

僕はこんな気さえしてるんですよ。自然を疎外してきたことが人間の死を「何か得体の知れぬ、恐ろしいものにしてきたという側面はなかったか」と。3月16日からこのブログに転載、3連載させていただいた作品「歳々年々人同じからず」はそういう問題提起のつもりだったんですが。


(落石さんの「お返事」)
親は自己の死をもって、子供に死を教えているんですね。
でも今の社会は老いに価値を見ようとしないで
この大切な部分を医療とか福祉という専門家に
ゆだねてしまっているんじゃないでしょうか?

親の背中を見て育つということは親がなくなるまで
一生続くものではないでしょうか?

更に言えば、死んでからも教えてもらっていますが。


(僕の「返事」)
ばかに明るい社会で (文科系)

落石さん
死に関わって言えば、ばかに明るい社会、馬鹿なほど明る過ぎる社会と思います。「明るい人が好き」と結婚の第1条件を若者皆が語り、いっぱい、どんどん離婚していく。
その若者たちが最も恐れるのが「ネクラ」と思われること。シリアスな問題はなかなか話題にもできない雰囲気があると言っても良いでしょうか。
昔はテレビの端っこに座っていたお笑い芸人が、テレビの主流で、人生観までを説き、タレント人気投票で男女ともトップの方に位置している。
どこか虚飾の、上っ面な人間関係社会と言えるのではないかと考え込むばかりです。

こんな社会では死なんて、最も疎外されるべきものなのでしょうね。誰にでも訪れる人生の最大問題であって、人間、これを考えるから生き方を問うと言っても良いほどのことなのに。
それかあらぬか、「健康老人」、「生き生き老後」、「リタイアー後の生き甲斐ブーム」の風潮には、「死の陰」消すようなものが多いようです。

この馬鹿に明るい社会、「バラ色老後ブーム」の裏側にはこんなことが放置されている。老人病棟、老人保健施設では本当に惨めに人が死んでいました。戦後日本の繁栄を築き上げてきた人々が。きっと誰かが悪いということではなく、死というものを、死を迎えようとしている人々の心への想像力が根本的に欠けているのだろうなと、僕は考え込んでいたものです。

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今夜「改憲手続法反対!緊急県民集会」がありました。 まもる

2007年04月10日 22時03分06秒 | Weblog
今週末にも採決される「国民投票法」に対する緊急反対集会が、今夜栄で開かれました。
 約四百人の人々がそれぞれの幟をかかげて参加しました。
 自由法曹団、憲法と平和を守る愛知の会などの団体の呼びかけで、六時半から集会が始まり、各団体の報告と決意表明、そして、共産党、社民党、新社会党など政党の代表の決意表明もあり、集会後矢場町まで「投票法反対」を市民に訴えて八時近くに解散しました。
 道行く人々は、選挙直後のデモ行進の歌声やシュビレヒコールに驚いたように見入っていました。
 まだまだ この法案の関心は低いように思えて残念でした。

    
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都知事選の負けてもアッケラカン?     ネット虫

2007年04月10日 13時09分31秒 | Weblog
「 浅野氏敗北の分析と感想」 佐藤 弘弥氏   
                    JANJAN2007・4・9より

07年の東京都知事選、誰がこれほどまでの大差がついて、浅野史郎候補が大敗すると予想しただろう。

<確定の得票>
 石原慎太郎候補 2,811,486
 浅野史郎候補  1,693,323
(東京都選挙管理委員会発表)

 対立候補の石原陣営すら、もう少し接戦になるものと思っていたようだ。しかし現実は、もはや動かし難いものとなった。

 この予想外の大差には、何らかの原因があるはずだ。私は大きく分けて、原因は以下の6つほどあると考える。

1.はじめ民主党の立候補を拒否し、勝手連方式で立候補しながら、後に民主党の選挙応援を受け入れた優柔不断な態度。

2.高級官僚(旧厚生省 タミフル問題も起こっている)出身であること。

3.宮城県知事時代、県の財政赤字が倍近くに増加した点について、「これは国の政策もあって」と開き直りとも取られかねない発言をしたこと。

4.勝手連方式の選挙運動の限界。結局、無党派層の広範な支持の導火線に繋がらなかったこと。

5.石原候補に対して明確な対立軸を示せなかったこと。(福祉と情報開示を重点とした社会的弱者優先の政策が、東京都民の大多数の利害や意識と乖離していたこと)

6.現実的に、埼玉県の上田知事、神奈川県の松沢知事など、首都圏連合と言われる民主党系の知事までが、石原支持に回るなど民主党支持者が石原候補にかなり流れたこと。

 以上のことから、浅野候補の敗北の最大の原因は、勝手連を中心とした選挙運動にあったと私は結論付けざるを得ない。当初、浅野候補担ぎ出しに成功した勝手連の動きであるが、彼らはある種「選挙プロ的市民」であって、しかもその中には、リベラルというよりは左翼に近いグループもいて、それは宮城で成功した勝手連方式という選挙スタイルが、時代的にか東京という地域の特性のためかは議論は分かれるが、通用しなくなっているということである。

 石原都政の権力構造の中心には、潜在的に「東京再開発」というものを強力に推進する勢力が存在していると言える。この中心には、最近の「東京ミッドタウン」のオープンに象徴される不動産デベロッパーやゼネコン企業が、今後の巨大な利権を狙って石原都政に強い支持を表明しているのである。「オリンピック」も「築地移転」も今回飛び出した「多摩シリコンバレー」発言も、その延長線上にある。

 本来、浅野候補は、このような石原都政にストップをかけて、「東京再開発」からの脱却とそれに対抗する21世紀型の政策を有権者の前に「提示」しなければならなかった。
 例えば、石原「東京再開発」都政に対し、浅野「東京高度情報福祉都市」を掲げ、IT産業や情報産業に協力を要請して、東京を世界一の高度情報都市にすると宣言し、あらゆる都民サービスをインターネットを活用して実現し、同時に都政のコストカットを実現することで、福祉予算を拡充する方向を明確にする方向を打ち出すことも可能だった。

 浅野氏の当初からの戦術は、都民のマイノリティーである社会的弱者の熱い出馬要請に人間としての黙っていられないとして立ち上がったもので、それ自体はけっして間違っていなかったと思う。しかし問題は、余りにその社会的弱者の視点にのみ終始したために、大多数の無党派層、特に年収規模で言えば、700万から1000万前後の人々や、年齢層で言えば、20代から40代にかけての働き盛りの比較的富裕な人々の心に訴えかけるようなメッセージを発することが出来なかったことにある。これは煎じ詰めれば、やはり準備不足だったということが上げられると思う。

 この都知事選の石原候補圧勝が示すものは、富める東京、ひとり勝ちの東京に住む都民は、その東京都と地方の格差が拡大しているという現実にあまり興味がなく、石原都政8年の流れを継続してよしと承知したことになる。

 残念であるが、浅野氏がマニフェストで「東京都政を転換することにより……いきいきとした日本を蘇らせます」とした東京と地方の「格差是正」のメッセージは否定ではないが、少なくても否認されたのである。私はここに東京人の「東京ナショナリズム」(東京エゴ)の影を見るのである。

 またこれは愚痴になるが、慶応大学の教授である浅野候補を応援する学生ボランティアがほとんどいないのは大いに疑問である。若者の政治参加は、民主主義の成熟度合いをみるリトマス紙だ。

 東京に限らず、今回の統一地方選挙の結果は、ほとんど予想された通りの選挙結果となった。保守派候補の軒並みの圧勝である。残念であるが、日本人(全国の有権者)は、やはり政権交代を欲していないようにも見える。

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  「都知事選をどう見るか」 五十嵐仁氏   
                      五十嵐仁の転成仁語より

 花の写真ばかりでは「何だ!?」と言われそうですので、統一地方選挙前半戦についての感想を書かせていただくことにします。先ず、都知事選です。
 結果は、皆さんご存じのように、得票率50%だった石原候補の圧勝でした。2位につけた浅野さんは110万票以上の大差を付けられ、3位の吉田さんは、さらにそれより100万票も少ないという結果です。


 率直に言って、このような結果はある程度、予想されていました。予測できたがゆえに、私としては大変書きにくかったわけです。
 各候補が当選をめざして懸命に運動しているときに、そんな、水をぶっかけるようなことを書けるわけがありません。ネットが不調だったことを幸いに、都知事選についてコメントしなかったのはそのためです。
 石原3選がある程度見えていたが故に、書く気が起こらなかったのです。そんなイヤなこと、誰が好きこのんで書くものですか。


 対抗馬として登場した浅野史郎さんは、あまりにも出馬が遅く、候補としても欠点がありすぎました。事実、一番盛り上がったのは出馬表明の時だったと言われ、その後、ブームは起きませんでした。
 人物・政策などの面で申し分のない吉田万三さんは、得票力では浅野さんに及ばないと見られていました。そう見られているという点こそが、吉田さんの弱点だったといえるでしょう。
 「反石原」のために力を統一させようとした人々は、吉田さんではなく浅野さんで統一しようと考えたからです。「反石原」を望む人々の間に、戸惑いと苦悩があったことは否めません。


 こうして、石原慎太郎都知事の3選という最悪の結果になりました。石原候補は、都政の私物化、オリンピックの招致、築地市場の汚染埋め立て地への移転計画、新銀行東京の破綻、教員への日の丸・君が代の押しつけと処分、福祉の削減など、様々な問題点を持っていました。
 このような弱点は、石原候補自身、それなりに自覚していたのでしょう。選挙が始まると、「反省」を口にし、「低姿勢」が注目されたほどでしたから……。
 それなのに、何故、これほどの大差で再選されたのでしょうか。280万票もの得票が可能だったのでしょうか。


 その最大の要因は、「反石原」の側が勝てる対抗馬を立てることに失敗した点にあります。表に出なかったとはいえ、民主党と共産党が別々の候補者を立てたということ、しかも、民主党の候補者擁立が公示直前まで迷走したということが、最大の敗因であったと思います。
 この点で、民主党の責任には大きなものがあります。都知事選は4年前から分かっていたことなのに、準備が遅れに遅れ、直前まで対立候補を立てられなかったという点に、民主党の弱点が象徴的に現れています。
 それは同時に、都政における民主党のスタンスの問題点をも反映しています。過去4年間、民主党は決して野党ではなく、石原都政を支えてきたという過去があるからです。この過去からなかなか決別できなかったために、「反石原」の候補擁立が遅れました。


 これは、今後の問題にもかかわります。今回、浅野候補を全面的にバックアップした民主党は、今後の都政運営でも「反石原」を貫くのでしょうか。
 都知事選での争点となった都政の私物化、オリンピックの招致、築地市場の汚染埋め立て地への移転計画、新銀行東京の破綻、日の丸・君が代の押しつけと強行処分、福祉の削減などの問題は、今後の都政でも大きな係争問題となるでしょう。そのとき、民主党はどうするのかが問われるにちがいありません。
 石原候補は「これが最後だ」と言っています。4年後の都知事選を見据えて3期目の石原都政に対抗するという長期戦略を、果たして民主党は立てることができるのでしょうか。


 東京だけでなく、北海道、岩手、神奈川、福岡で、民主党は自民党に対する対抗馬を擁立しました。その結果、岩手と神奈川で民主党、東京、北海道、福岡で自民党の推す現職の再選という形になりました。
 民主党からすれば、2勝3敗です。今日の『毎日新聞』は「民主、戦略空回り」と書いていますが、そうでしょうか。
 これらの知事選は民主党にとって失敗ではなく、半歩の前進だったと思います。「相乗り」ではなく対抗馬を擁立したからです。その対抗馬が当選していれば、大きな前進となるでしょうが、そうならなくても評価に値するものです。


 しかも、同時に行われた44道府県議選や政令市議選などでは、明らかに民主党の風が吹いたと言えるでしょう。『毎日新聞』は、「政党『風』起こせず」と評していますが、実は「反自民」の風が吹いたのではないでしょうか。
 来るべき参院選への影響という点からすれば、こちらの意味の方が大きかったかもしれません。首長選挙で対抗馬を立て、議員選挙での前進に結びつけるという「小沢戦略」は決して「空回り」ではなく、基本的に成功していたのです。
 この結果は、福島と沖縄の参院補選にも、明るい見通しを生んでいます。もし、ここで民主党が2勝できれば、夏の参院選では大きな波乱が起きるにちがいありません。


 今回の都知事選では、「無党派」の動向が注目されました。「支持政党なし」が最大の勢力となり、しばしば予想を覆す「ドラマ」を生んできたからです。
 今回、そうならなかったのは、「ドラマ」を演ずることのできる「役者」がいなかったからです。「役者」としては、現職の石原候補の方が上手だったということもできるでしょう。
 もちろん、知名度の問題やマスコミの影響もあります。無党派とは、政党を信頼せず、政治的関心もそれほど高くない人々ですから、もともと、知名度の高さやマスコミの報道に左右されやすいという弱点があります。今回も、その例外ではなかったということでしょう。


 出口調査の結果では、石原候補と浅野候補が、無党派層の支持を分けあっていました。つまり、革新無党派だけでなく、保守無党派もかなりの層をなしているということになります。
 生活の苦しさや将来への不安が増している中で、「強いもの」にすがろうとする心理や自暴自棄的な気持ちが強まっているのかもしれません。それが、石原候補という「勝ち馬」に乗る流れを作り出したとするならば、極めて危険な兆候だと言わなければならないでしょう。
 かつて、ファシズムの社会的基盤を形成したのは、まさにこのような状況と心理だったからです。郵政選挙で若者が小泉首相を支持したのと同じような状況と心理が、そこにあったのかもしれません。


 ただし、今回の選挙で投票した人々は都民有権者の約半数である54%にすぎないという事実も同時に指摘しておく必要があるでしょう。石原3選を支持したのは、有権者の4分の1強なのです。
 その背後には、投票を棄権した物言わぬ人々の存在があります。これらの人々は、今回の結果をどのような思いで受け止めているのでしょうか。


  
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老人の役割   落石

2007年04月10日 08時44分13秒 | Weblog

東海自然大学に入学しまいた。
たくさんの60歳以上の人たちが集まってきていました。
自己紹介の時、一人の人が、孫に自然の面白さを教えたいから
と動機を話されました。

たしかに定年退職し、時間が出来ると、自然に目がむいていきます。
社会に出て、いつの間にか、自然と接する機会は激減、
人間関係のなかで神経をすりへらしてきました。
自然に帰ると、ほっとするのは私ばかりじゃないでしょうね。

子供たちの世代は仕事に追われ、子育てに忙しい。
とても自然を楽しむ時間は豊富ではない。
孫の世代は、子供の世代より、さらに自然から遠いところで
成長していかざるを得ない状態です。

祖父母は、自分たちだけが自然に帰るのではなく、
孫も自然に接するようにと願う話は、とても良い話でした。

      

ルソーでしたっけ「自然に帰れ」と言ったのは?

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9の日に花を   落石

2007年04月09日 11時51分09秒 | Weblog
こんなのはどうでしょうか?
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東京の風

2007年04月09日 09時14分36秒 | Weblog
今回、都知事選、風は吹かなかったようです。
事前に民主と共産が手を組んでも、石原さんには勝てなかったかな。

ちょっと意外だったのは無党派の共産党支持が
思ったより多い気がしました。
この辺りも風が吹かなかった現象かな?

さて今回の結果から、9条の行方をどう読んだらいいでしょう?

              落石

求む解説です。

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グランパス、初の敗北  文科系

2007年04月08日 21時02分03秒 | Weblog
70分ぐらいまでは今年のスローガン通り「ゲームを支配して勝つ」という通りの運びでした。6:4ぐらいでボールを保持し、シュート数(チャンス)も相手の倍は作っていた。広島は、意識的かどうかは別にして、カウンターサッカー(相手に攻めさせて、反転速攻)だけだった。
1点先行を2回続けた2:1から70分過ぎに1点、その直後に藤田の反則退場PKで2:3とされたままで破れたわけですが、70分までにもう1点取れなかったから破れたというゲームだと思いました。つまりゲームを支配している間にもっと差を付けておきたかった試合ということでしょう。フィニッシュやクロスの精度が広島よりちょっと低かったとも思います。

今後の展望です。中盤5人は確かに良い。けれども「ゲームを支配するサッカー」は攻守ともこの中盤に負担がかかりすぎて、前半に点が入らないと、体力が落ちる後半は苦しい。強いチーム相手にそれができるか否か、それで10位以内か5位以内かに別れるというところでしょう。強いチームとは、ガンバ、川崎、浦和、清水そして今年の台風の目、柏辺りのことです。
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東京都知事選挙は?

2007年04月08日 18時59分26秒 | Weblog
さて都知事はどういう結果になるのでしょうか?
どんな数字が出るのか?
興味津々です。          
               落石

そういえば公明党さんから選挙の勧誘がありました。
珍しいことです。
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沖縄戦集団自決問題について    へそ曲がり

2007年04月07日 17時14分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 5日付の「朝日新聞」朝刊に、太平洋戦争“沖縄戦”での「集団自決」を巡り、06年度教科書の検定で文部科学省が日本軍の関与に対して修正意見をつけたことで、第4面と第27面に関連記事が掲載されていました。
 第4面では、公明党沖縄県本部が伊吹文科相に抗議文を提出するとのこと、また第27面では、4日、大江健三郎氏と岩波書店が文部科学省に抗議声明を送ったという記事です。

 これを読んでいて、入院中に差し入れられた雑誌の記事を思い出しました。当時、読み終わった雑誌はすぐに談話室の書架に寄贈していたのですが、これだけは気になって自宅へ持ち帰ったのです。
 雑誌は「週刊新潮」1月4・11日新年特大号です。194~195ページに「連載コラム第246回」として、ジャーナリストの「櫻井よしこ」氏が寄稿されたものがあります。タイトルは“沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣”です。
 この中で櫻井氏は、昨年、当時の沖縄慶良間列島座間味島の守備隊長であった「梅澤 裕」氏(当時 少佐、現在、「大江健三郎」氏と岩波書店を相手どって訴訟している原告)と会見した内容について詳しく述べておられます。

1 梅澤少佐は住民への自決命令は出していない。沖縄戦の前夜、5人の村民代表(助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長)が司令本部の基地隊へやって来て、集団自決をするための爆薬や弾丸や手榴弾が欲しいと言ったとのこと。むしろ梅澤隊長は“食料も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ”と諭した。住民のその後の動きは知らなかった。

2 1958年の「週刊朝日」に“座間味島の住民は梅澤隊長の命令で自決させられた”という記事が無残な写真とともに報じられたのを知った。報道が事実無根であることを訴えたが、誰も取り上げてくれなかった。

3「梅澤=集団自決命令=軍国主義の悪」の構図は、「家永三郎」氏の『太平洋戦争』、「中野好夫・新崎盛暉」氏の『沖縄問題20年』、「大江健三郎」氏の『沖縄ノート』などによって喧伝されていった。

4 1980年、「神戸新聞」が“絶望の島民悲劇の決断”・“日本軍の命令はなかった”と報じた。

5 住民への自決命令を出したのは当時の県助役の「宮里 盛秀」氏である。では、なぜ軍の命令と言われたのか。戦後、すべての日本人がそうであったように、沖縄の住民も食べるに困った。特に沖縄は激しい戦闘で焼き尽くされ、多数が亡くなった。国の援助を申請した時、自決というだけでは、軍人でもない一般住民への援助は無理だとされた。そこで考えられたのが、軍による自決命令が出されたという理由づけだった。

6 このことを証言したのは5人の村民代表のうちただ1人生き残った女子青年団長の「宮城 初枝」氏である。

 そして、最後をこう結んでいます。
“日本人は戦後、戦争を反省する余り、軍に関するもの全てを悪と見做してきた。その偏った心理のなかで、梅澤氏の悲劇が生まれた。この歪んだ戦後体制からの脱却を目指すというのが「安倍 晋三」首相である。真に戦後体制から脱却し、新しい日本を創るために、より多くの真実を探り出し、虚心坦懐、歴史の真実と向き合いたい。そして、一日も早く、高齢の梅澤氏の訴えに正しい判決が出てほしいと願うものだ”。

 この「櫻井よしこ」氏の記事や「朝日」の報道を読んで、おやっ?と思ったことがいくつかあります。

1「櫻井よしこ」氏は少なくとも「ジャーナリスト」という肩書きを持った人である。そうであるのなら、「梅澤 裕」氏との会見内容についての客観的な「裏づけ」が必要ではないか?それがない。どうやって事実関係を調べたかを知りたい。

2“住民への自決命令を出したのは当時の県助役の「宮里 盛秀」氏である”と言っている。ところで、当時の都道府県の知事は選挙で選ばれたのではない。「国家」から任命された「官制知事」である。その知事が選んだ「助役」である。なんのことはない。国家権力の命令による「集団自決」ということになる。このことについて、櫻井氏は一言の批判もしようとしない。彼女の結びの言葉には寒気がする。     

3 大江氏らの文部科学省への抗議声明では、集団自決で軍の強制を示す文献や資料も多数あることを指摘しているそうである。わたしの手元にある「別冊歴史読本特別増刊 沖縄 日本軍最期の決戦 戦記シリーズNo.18 1992 新人物往来社」の中にも数多く出されている。那覇空港の書店でも、沖縄のジャーナリストが書いた本を数多く見かけたこともある。

4 沖縄戦では、「集団自決」だけでなく、軍による「住民虐殺」という事実もある。沖縄の方言を使ったためスパイと見做され、銃殺された住民もいるとのことである。しかし、櫻井氏はこのことについて一言も触れようとはしない。なぜか?また、「自決」という用語はおかしいとの批判もある。追い込まれた状態ではなく、あくまでも当人の主体的な意思があってこそ言える言葉である。沖縄戦の場合、自決「した」のではなく、「させられた」と言ったほうが正しい。 

5「櫻井よしこ」氏は、06年度教科書検定の内容について、公表以前から知っていたのではないかと、勘ぐりたくなってしまう。

6 第4面の記事には、“党幹部の1人は「沖縄の有権者は怒っている。文科相に抗議したとの姿勢を示さないと、選挙(5日告示の参院沖縄選挙区補選など)は戦えない」と語った”との記述もある。記事が事実とすれば、情けない。こんなことを選挙に利用して欲しくないと思う。

7「朝日」の記事の取り上げ方もおかしいと思う。第4面は、公明党側はまだ行動を起こしていない。一方、第27面の岩波側は前日に行動を起こしている。取り上げる順序があべこべではないか。おまけに、どうしてこんなにも離したのか。それだけではない。見出しの活字の一字一字の大きさが2倍近くも違う(面積からいうと4倍近い)。第4面の方が遥かに大きい。いったいどういう狙いなのだろうか。

8 6日、那覇市で「沖縄戦の歴史わい曲許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」による緊急抗議集会が開かれている。しかし「朝日」の当日の夕刊や翌日の朝刊は、このことについて一言も触れていない。どういうつもりだろうか。
 
 なお、「3」の声明文を入手したいと思い、岩波書店のホームページを調べたのですが出ていません。直接電話したところ、“FAXで送りましょう”と言われ、雑誌「世界」の編集部から送られて来ました。。以下に紹介します。


     沖縄「集団自決」に関わる06年度教科書検定に抗議する

 文部科学省が3月30日に公表した06年度の教科書検定で、沖縄戦において発生した「集団自決」について、「日本軍に強制された」という内容を修正させたことが明らかになった。
 その理由のひとつとして、05年に、沖縄戦時座間味島守備隊長であった梅沢裕および渡嘉敷島守備隊長であった故赤松嘉次の遺族によって、岩波書店及び大江健三郎が名誉毀損で訴えられていること、その中で原告が隊長命令はなかったと主張していることが挙げられている。また、「文科省が参考にした集団自決に関する主な著作等」の中には「沖縄集団自決冤罪訴訟」という項目がある。(この「冤罪訴訟」という言葉は原告側の支援者の呼び方であり、中立・公正であるべき行政の姿勢を著しく逸脱するものである)。
 しかし、
(1) 訴訟は現在大阪地裁において継続中であり、証人の尋問さえ行われておらず、
(2) 岩波書店及び大江健三郎は、座間味島及び渡嘉敷島における「集団自決」において、①「軍(隊長)の命令」があったことは多数の文献によって示されている、②、当時の第32軍は「軍官民共生共犯」方針をとり、住民の多くを戦争に動員し、捕虜になることを許さず、あらかじめ手榴弾を渡し、「いざとなれば自決せよ」などと指示していた、つまり慶良間諸島における「集団自決」は日本軍の指示や強制によってなされた、として全面的に争っており、さらに、
(3)「集団自決」をした住民たちが「軍(隊長)の命令があった」と認識していたことは、原告側も認めている。
 文部科学省が「集団自決」裁判を参照するのであれば、被告の主張・立証をも検討するのが当然であるところ、原告側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは、誠に遺憾であり、強く抗議するものである。

  2007年4月4日
                 (株)岩波書店
                  大江健三郎
                  沖縄「集団自決」訴訟被告弁護団
  文部科学大臣
   伊吹文明殿

 以上です。 
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国民投票法の採決が迫っています。是非ファックスを!! まもる

2007年04月06日 16時58分10秒 | Weblog
 政府与党は東京の公聴会をアリバイにして国民投票法案の12日委員会採決を強行しようとしています。

 いま最も効果的な取り組みは、「まだ国民の声を十分聞いていない、もっと多くの地域で公聴会を開いて欲しい」というFAXの山を再度、中山太郎委員長に届けることです。

 すでに送られた方もお連れ合いのお名前などで再度、送ってください!!!

 住所、氏名、年齢、職業明記とのことです。

> 送り先 FAX 03-3581-5875




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