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日韓友好のために   文科系

2015年06月04日 09時07分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 ちょうど50年前の1965年6月22日、日韓基本条約が調印された。この問題の歴史を、6月1日の中日新聞が特集している。「日韓国交正常化50年」という見出しで、第8面の一面すべてを使って。これを読み、この10年「(明治以来の)日朝闘争史」をこのブログのために学んできたものとして、この問題がこじれる事情、背景について今思うことを改めて述べてみたい。

 中日新聞記事にも、こんな下りがある。
『(65年日韓条約調印の)合意までに14年間もかかった。・・・両国の立場は大きくかけ離れており、調整が進まなかった。その理由は、二つの問題に集約できる』
 この二つの問題とは、①35年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の賠償について名目と金額、のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる(と、僕は観ている)。韓国は①を明治維新直後からの武力による侵略の歴史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の問題であって、連合国による日本「裁き」とは全く別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日本側が当初、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に良いことも多く成したのだから在韓財産が請求できるはずだなどと、久保田代表が2回の会談で語ったのである。韓国は当然、武力による不法、侵略であったし、在韓財産請求などとんでもないと反応することになる。このような対立、「認識」の相違こそ、日韓関係を以下のように難しくしている原点、大元だと今の僕は観ている。

 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもネトウヨ諸君の考え方、理論の骨子であり続けている点が、問題を難しくしているということで、興味深いところだ。難しくて当然なのである。韓国植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力を使ったかという歴史認識について、日韓間には大きな差があるのだから、難しくて当たり前なのである。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈だ。日本が韓国に行った以下のことなどは、どれだけの日本人が覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後1875年の江華島事件にまでさかのぼることができる。これは、「ペリー来航・即砲撃して軍事侵略戦争」と言えるような、韓国にとっては大事件であった。93年の東学党反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの韓国人を殺したことだろう。日本軍が平時に常時国外駐留を認めさせたのも朝鮮が初めてのことだし、95年には、こんな大事件が起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導した大事件であって、王妃の死体を陵辱し、石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者・三浦梧楼日本公使のこの残忍な行為に現れた反日への憎しみこそ、当時とその後の日本・韓国関係の一部の人々による韓国理解を象徴しているように僕は思うのだが、どうだろうか。つまり、日韓の一部にある相手への悪循環的悪感情の大元、根源は、侵略をした側、つまり日本にあると。

 1910年の朝鮮併合は、こういう40年近い歴史の結末なのである。併合前40年と併合後35年。この全体に対する真摯な反省が日本国民にない間は、正常化はうまくいかないにちがいない。先述の久保田発言、その思考はそんな反省を微塵も感じさせないものと言えよう。つまり、相手の心をみようとせず、日本有利の点、立場だけを語っている。

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興味のある方は・・・ (文科系)
2015-06-05 14:10:05
 この日韓関係のことを去年の5月15,17,18,23日とここに4回連載している。その3回目に「韓国義士 安重根」のことを書いた文章があるから、抜粋させていただく。

【 こういう(対朝鮮制圧)諸事件の一つの結末が、1910年の朝鮮併合である。韓国ではこの併合のことを普通に、その年の呼び名を付けて「庚戌国恥」と呼んでいる。安重根事件はその前年のこと。1909年にハルピンで日本朝鮮総統・伊藤博文を暗殺したのである。記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と記していた。

 さて、この「義挙」に関わってこの1月、日本でこんな出来事があった。伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が安重根記念館を開館して韓国が謝意を表したという問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と反発意見を表明したのである。正式抗議もしたようだ。どっちも理ありとも見えてなかなか理解の難しい問題のようだが、安倍政権のこの態度を以下のように批判したい。

 当時の「法律」から見たら当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろう。が、35年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたい。これで言えば、前回に書いた日本による江華島事件などはどう批判したらよいのか。国際法に違反して一方的に首都近くまで艦砲砲撃を進め、城や民家を焼いて35人を殺しているのである。これだけでも安重根の罪よりもはるかに重いはずだ。前にもここで述べたことだが、安重根テロリスト論はさらに、こんなふうに批判できると思う。

 さて次に起こるはずのこの理解はどうか。
「ならば、向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」
 僕は、こういう理解にも賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならないのである。
 こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになる。 

 全く安倍政権はどういう外交論理を持ち、どういう神経をしているのだろう。相手の立場の尊重という一片の理性も見えず、言ってみるならば「人間関係はケンカ、対立が当たり前。こちらの論理を語るだけ」と述べているに等しい。社会ダーウィニズムを思い起こさせるような幼稚さだと思う。】
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