「ならず者国家」という言葉をちょっと前に使ったのは、ブッシュ大統領。ところが、アメリカこそが今一番そう呼ばれるに相応しいと、愚考する。このように。
一、9・11を起こしたと言われるイスラム原理主義一派・「アルカイダ」は、その元をたどればアメリカが育て上げた鬼子、「レーガン(元大統領)の聖戦士」と呼ぶ米知識人もいるほどだ(例えば、ノーム・チョムスキー)。アフガニスタンを反ソ連勢力にするためにアルカイダを育て上げ、そこにアルカイダ政府を作ったのも、その後9・11画策者を匿ったとかで、アフガニスタン戦争を起こしてこの政府を潰したのも、アメリカだ。これではまるで、いわゆるマッチポンプではないか。アメリカにとって不本意にも結果的にそうなったのか、最初から予期していてこうなったかはまだ分からないのだけれど。とにかく、ソ連があたっ時となくなってからと、イスラムへのアメリカの態度、戦略が180度転回したのは、誰の目にも明らかなこと。
二、今、中国の南沙諸島問題などで国際仲裁裁判所の決定が出たことが世界の大問題になっているが、国連の司法機関である国際司法裁判所の数々の判決を最も手厳しく無視し続けてきた国は誰あろうアメリカである。中米の国ニカラグアがアメリカをこの司法裁判所に訴えて全面勝利判決を何度勝ち取っても全て無視したという、中南米では有名な歴史的事件が存在する。一九八〇年代、ここに反政府軍を組織して時の政府を潰す過程において、争われた裁判だ。当裁判所は「不当な武力行使」という言葉まで使って、アメリカのニカラグアに対する国際テロ行為に有罪判決を何回か下したが、全て無視した。無視したと言うよりも事態はもっと酷くって、こんなことすら敢行したのである。裁判の一つで敗訴した後に、反政府軍育成金一億ドルを議会決定して見せたのである。さらには、一七〇~一八〇億ドルと算定された賠償命令も鼻であしらった。
因みに、今回中国を裁いたその基準である国連海洋法条約にはアメリカは加わっていない。自分は例外にしてくれと無視してきた条約で中国を非難しているのである。大国だから許されていると見るならば、それ以上の大きな問題、鋭い対立がここには潜んでいることを、人は知るべきだと思う。世界平和組織の存否を巡る、世界史的対立と述べても良いだろう。これは、19世紀以前までの「弱肉強食」無政府的戦争世界を「名実ともに」もたらしてもよいと考えるか否かという、世界観的対立、問題である。
三、「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された一九四五年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」
「いかに不完全であれ、過去五八年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦する、単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうものなのです」
これらは、二〇〇三年九月二三日第五八回国連総会開会日における、アナン事務総長の冒頭演説からの抜粋。「単独主義的で無法な武力行使の先例」を作ってしまった「決定的な瞬間」。その年に起こったイラク戦争を批判した言葉なのである。
さて、アメリカこれだけの国連無視は、一九九〇年前後の冷戦終結後には更に激しくなったと見ている。これだけ国連無視を続けるのにここから脱退しようとしないのは、都合の良い時に利用したいだけとも見てきた。そして、こういうアメリカの姿は日本人に報道されること少なく、問題にされることはもっと少ないのだが、これは日本のマスコミ、ネット社会にバイアスがかかっているからだろう。アメリカは、ケネディ大統領の六一年国連総会演説を思い出すべきだと思う。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させること・・・・、──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』と語り出された言葉の後半、「国連の力をそぎ落とすこと」は、アメリカ自身が正に今、行っていること。そんなケネディのダラス暗殺事件は、この演説の二年後のことだった。そしてこの暗殺は、アメリカ産軍複合体の仕業と言われている。
(これを読まれた方々へ。23日の「僕の九条堅持論」を是非お読み下さい。お願いいたします。右の方々には特に、こう申し上げたい。今の日本政治は、近年のアメリカの所業をきちんと知らなければ、何も分からないに等しい、と。こういう国の「安全」のために、他国まで共に攻め入っていくべく安保法制を新たに結び直したという、その意味を僕は問いたいのです。
イラク戦争突入時のアメリカ! あのマスコミぐるみの熱狂を是非思い出していただきたい。あれはマスコミが作った全体主義、ファッショの様相ではなかったでしょうか。そしてその結果は、「米国国旗にも、国家にも、その軍隊にも真っ黒な泥を塗りつけたニセ愛国の熱狂」だったのです。今度イラク戦争のようなことがまた起こされたら! 日本も間違いなくあのようになるはず・・・・。)
反米なのは、分かるけど、見ないフリにも、程があるよ。
憎しみの連鎖が、元に戻ってきた?
「(ブッシュ)大統領は『先行防衛』を採用したが、これは帝国主義の日本が真珠湾で用いた政策と恐ろしく似通っている。かつての米国大統領の言葉通り『汚名のうちに生きる日』となったあの日の政策と。フランクリン・D・ローズヴエルトは正しかったが、今日では汚名のうちに生きるのは、我々アメリカ人の方になった」
『シュレジンジャーは更にこう述べている。「9・11の後、アメリカを包んだ世界各国からの同情の波は、アメリカの傲慢さと軍国主義に対する世界的な憎悪の波に取って代わられ」、友好国の国民ですらブッシュが「サダム・フセイン以上に平和を脅かしている」と見ていた。国際法の専門家リチヤード・フォークによれば、イラク戦争は「平和に対する犯罪であり、生き残ったドイツの指導者がニュルンベルク裁判で起訴され、求刑され、処罰されたのと同様の犯罪」であることは「否定できない」という。』
以上、ノーム・チョムスキー「覇権か生存か」(集英社新書)より。
「いや、アメリカも!」と、主張すれば、
「あぁ、まあ、そうかも‥」と、知的障害者を見るような、生暖かい支持が得られる程度。
僕のエントリー内容に何も触れられずに、米国を擁護は出来ないよ。僕が書いていることは全部真実だからである。この真実が否定できなければ、中国や北の方が悪いということにはならないよね。まったく独り善がりの主張と言うべきだ。
悔しかったら、僕のエントリー内容を否定してみることだ。どんな文章を調べても、この否定はできないという、ここが一番大切なことね。
こんな馬鹿ばかりを相変わらず続けて、恥ずかしくないのかな?
両方ともならず国家というだけの話です
もちろん、日本も過去の歴史を見れば十分ならず者国家でした
米中ロ北、どれもならず者国家ですが、例え米国がならず者国家でも日本にとっては脅威となりません
日本と米国は同盟関係であり、領土問題も抱えていません
米国が正規空母艦隊10隻運用しようが日本の国防にとってマイナスどころかプラスですが、中国の空母艦隊が現れた場合、日本にとっては脅威が増します
『両方ともならず国家というだけの話です。もちろん、日本も過去の歴史を見れば十分ならず者国家でした。米中ロ北、どれもならず者国家ですが、』
『世界平和組織の存否を巡る、世界史的対立と述べても良いだろう。これは、19世紀以前までの「弱肉強食」無政府的戦争世界を「名実ともに」もたらしてもよいと考えるか否かという、世界観的対立、問題なのである。』
これは日本人が苦手な、すぐれて論理的な問題である。特に、ここの『「名実ともに」』ということを今は強調してみたい。
言うまでもなく、次の二つは別の事を語るはずだ。「国連なんか平和組織として何の役にも立っていない」、「世界平和組織は要らない」。
戦国時代を終わらせて警察権を一手に握ってなされた徳川三百年の鎖国平和は、そこで築かれた資本が外に出て行くこともなく内需に向けられたことによって、世界でも有数の民生、識字率向上などの教育や、世界有数の二大都市(文化)などを生んだ。これがまた、アジアでも唯一の近代化日本の土台なった。これは、日本史を見る場合の一つの定説だろう。良くも悪くも、日本人は、全体組織による平和を望む民族だと、僕は理解してきた。
これと同様に、世界平和組織の必要不必要論と、役に立っているか否かとは、別の論議であると言いたい。冷戦が終わった時にアメリカが上のケネディの言葉のようにこちらよりに舵を切っていたら、今の世界はどれだけ平和になっていたことだろうかと思う。ユーゴ内戦、9・11、アフガン・イラク戦争、シリア内乱、イスラム国、アラブの春、難民、イギリス離脱などもなかったと思うのである。
その目先を逸らす為だけの、文ちゃんのジタバタぶりも、面白いけどさ。
例えば裁判は、「(犯罪を)取り繕ったかどうか」(という言葉)なんて一顧だにされず、まず「その犯罪(事実)を立証すること」に全力が注がれる。君も僕が書いたアメリカの犯罪を事実でないと立証したまえ。
それ以外は、言うなれば「空元気」言葉にしか過ぎないのね。こういう同じ事を僕が君に何度も書いているけど、この理屈が君はちっとも分からないんだろうね。これじゃ、つまり事実以外の心模様のようなことを第一に問題にするやりかたは、誰にも馬鹿にされだけだよ!
と、何度言ったら分かるのだろう。やっぱり馬鹿なのだろう。君の「先生」にも、そう言われただろう?